その8
「そんな長い話も終わり、沈黙が訪れた。ふと気がつくと、空が白み始めておった。けれど白き魔性はわしを見るでもなく、月が薄れゆくのを見つめておった。わしは身動きもならず、その場に立ち尽くすばかりじゃった。
すると黒衣の乙女が、静かな低い声がいうた。村へ帰るがよいとな」
とまどった女の子がなぜ、どうしてと訊ねると、おばあさんはいうのでした。自分が同じことを訊くと、相手はこう答えたのだと。
「ただ宿命の重なる者だけが、この風の行く手をよぎる。自分は本来、その者を殺めねばならぬ。千年前がそうであったように、世界を破壊するほどの力を持ちうる人間という種族。その過剰な力を削ぐためにこそ、この世界の均衡の理は自分を生み出したのじゃからとな。
でもそうすれば、おまえが見たものは消えてしまう。おまえが転生できたとしても、記憶を留めることはかなわぬのじゃから。それを惜しむと白き魔性はいうのじゃ。泡のごとき儚き人の身に映り込んだに過ぎぬもの、その命とともにたちまち散じる定めとわかっていても、どうしてこの手で散らすことなどできようかとな。
だから長らえよとあのものはいうた。その儚き命つきるまで、おまえだけが見たものを留めてみせよと。だから村へ、おまえが在るべきところへ戻るがよい。されど今夜のことは決して誰にもいうてはならぬとな。
いうたら祟りにくるかと思うて問うと、黒衣の乙女はかぶりを振った。自分はもはやなにがあろうと、おまえを殺めるつもりはない。だが人間たちにこそ気をつけよと。あの白き若者は、ただ見た目が自分に似ていただけでかくも忌まれ、かのものと出会うたことが知れたとたん一方的に殺された。人の身でありながら。そんなつまらぬ死に方だけはしてくれるなといいながら、あれは風の中へ溶け込んでいった。それでわしも村へ戻ったのじゃ」
話し終えるとおばあさんは、女の子をぐいと抱き寄せ呼びかけました。
「伝えましたぞ風の乙女よ。やがてこの身は果てようと、あれはこの者が継ぎましょうぞ。たとえかけらに過ぎずとも……」
女の子の耳に風の音が届きました。気がつくと戸口には、もうなんの気配もありませんでした。
それから月日が過ぎゆくにつれ、おばあさんはますます弱ってゆきました。秋が終わりを迎えるある日、おばあさんは女の子を呼ぶと、自分がいなくなったら村で暮らすようにと告げました。そして心細そうに涙ぐむ女の子の頭をなでていいました。
「しょせん人の身である以上、地の道をゆくしかないのじゃよ。そしてその道はみな違う。わしもあまりうまくは歩けなんだが、あるいはそんな話のほうが、役にたつやも知れんでの」
そしておばあさんは冬の間、いろんな話をしてくれたのです。嬉しかったこと悲しかったこと。うまくいったこといかなかったこと。それらのことをひとつひとつ、噛んで含めるようにして。けれどなるべく教えるのではなく、時間をかけて感じ考えるようはからいながら。かけがえのないあまたの夜が夢のように過ぎてゆきました。女の子は一夜一夜をいとおしみつつ、おばあさんの言葉を胸に刻んでゆきました。
そして冬が去り、昼が夜に初めて勝りしその日、おばあさんは息を引き取ったのでした。