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その6

「そこは開けた場所じゃったから、空もうんと広く見えた。その天蓋いっぱいに満月の光が満たされていての、空からあふれ出た銀の光があらゆるものに降り注いでおった。そんな中、沼だけが黒々と静まり返っていたのじゃ。矢を受け倒れた忌み子を呑んだ水面が、闇色の鏡のように広がっておった。目の前に開けたその光景に、わしの足も固まった。冷えるような心地のまま、そこに釘付けになってしもうた……」


 それをきいて、女の子は思い出しました。忌み子を呑んだ沼におばあさんは魅入られたのだという噂話を。それがいつしか耳に入り、自分も沼のほとりのおばあさんを怖いと思うようになっていたことを。けれど実際に会ったおばあさんは優しくて、沼にも魅入られたような様子はありませんでした。少したってから沼が怖くないか訊ねたこともありましたが、おばあさんは噂を知っていたのか、あそこには何もおりはせんといって頭をなでてくれたものでした。それでいつしか女の子も、沼を気にしなくなったのです。

 けれどやはり、あばらやのすぐ下に広がるあの沼こそが事件の舞台だった。おばあさんもそれを知っていて、あまつさえ怖れてさえいたのだと聞いて、女の子はそのときのおばあさんのように思わず身をこわばらせるのでした。でもおばあさんは、そのまま静かに語り続けていました。むしろその声が帯びる仄めいたものが、かすかに増してきたようでさえありました。


「そうして微動だにせぬ沼の水面をどれほど見ておったことか、やがて闇が凍り付いたような沼の表になにかが映り込んだような気がした。ようよう顔を上げたわしの目が、定かな形なきそれを認めた。おぼろな光のように見えたが、光ともいえぬものじゃった。大きな月から注ぐ銀光よりもずっと淡いのに、それはかき消されたりせなんだのじゃから。それが光でないからこそ、月光に溶けることなく漂っておるのだと目覚めたばかりの霊感が告げておった。

 しかもそれは一つではなかった。黒い水面に映り込んだものの真上に、もう一つおったのじゃ。低い方が沼をかすめつつ漂っておるというのに、高い方はろくに動かず中空に浮いておった。水面は波立つどころか鏡のようじゃというのに、一つはすれすれのところを漂い一つは宙に浮いておる。風に吹かれておるのではないと知れた。

 浮いておるほうはそそぐ月光に染められ色合いなどはうかがえなんだが、漂うておるのは沼の黒に映えたせいか、ほんのわずか金色めいて見えた。そう思うたとたん水面に映じたかのように、その金色の光の真下にさらに淡い影が浮き出た。もはや色らしい色をしておらなんだ。わしには透き通った白としか見えなんだ。いや、そう見たかったのやも知れぬ。いずれにせよ、いつそれが水面から浮き上がったのかはわからなんだ。あふれた涙で視野が霞んでしもうたのじゃから。

 目をこすったそのときは、2つの光がゆるやかに輪を描きつつ空へ舞い上がるところじゃった。銀光に染まった二つの光は、どちらがどちらかもう判ぜられなんだ。わしはそれが嬉しかった。長いこと胸にわだかまっておったものが溶けてゆき、二つの光の舞に慰められるばかりじゃった。やがて宙に浮いておった一つが浮き上がり始めると、二つの光も導かれるようにどんどん高みへ昇っていった。三つの光が天空に消えてしもうても、わしはただそこに立ち尽くし、哀しいとも幸せともつかぬ涙にくれるばかりじゃった。

 そのときだしぬけに風が吹き、水面の鏡を千々に乱した。振り返ったわしの目が、風から歩み出る姿を認めた。黒一色の長衣の袖を翼のごとくはためかせ、身の丈ほどある雪白の髪なびかせた純白の乙女の姿の魔性を」


 夢心地だった女の子は血の気が引くのを覚えました。忘れかけていた戸口のほうに気が向いたときも、おばあさんの話は続いていました。

「それはそれは美しかった。けれど姫様とはまるで違うた。かの魔性の眷属は人が化生するものじゃといわれておるが、白き乙女は人であったもののようには見えなんだ。最初の一人というものがおるのなら、これがまさにそうじゃと思えた。そんなわしを、深き湖のごとき碧い瞳が捉えた。底の底まで見通された……」


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