大地に立つ
上の歯が生え始めたので1歳になった頃だろうか。
歩く練習は予想以上に大変だ。
関節が緩くて、ほんの少しの気の緩みでコテンと腰が落ちてしまう。
重い頭を支えるバランスに慣れたと思うと筋力が足りず、トレーニングで肉がついたかと思うと、体重が増えて頭も重くなりバランスが変わる。
いつまでも行ったり来たりで思うようにいかず、振り出しに戻される辛さがあった。
そんな歩行練習の甲斐もあって10歩は支え無しで歩けるようになっている。
成長しているのは間違いない。
しかし、歩けるようになってくると、寝室に閉じ込められっぱなしの現状にストレスを感じてきた。
陽の光を浴びて、外の空気を満喫したい。
「まま いく いい?」
「うーん、置いてある道具には触らないでね?竈も汚れるから触っちゃだめよ?いいわね?」
「うん できう おあ あけて?」
寝室のドアを開けてもらって壁を伝い歩きする。
台所は土足になっていて寝室の板の間より一段低い。
難所ではあるが、段差は少しだけなので床におしりをつけてから段差を降り、なんとか台所出ることができた。
台所では足やお尻は汚れるけどパパンがおむつを洗ってくれるから汚しても大丈夫だろう。
ママンはベンチに戻って針仕事をしながら開け放ったドア越しに俺を見ている。
しばらく壁伝いに歩いたりおすわりしていると、ママンは安心したのか針仕事に集中しだした。
道具には触らないし、竈も触らない。
言いつけは守るけど、玄関は触っちゃうからな!
ドア越しには見えない玄関側へハイハイで移動する。
引き戸の玄関を音を立てないように引っ張る。
重すぎてちょっとずつしか動かないが、音が抑えられて好都合だ。
自分が通れるだけの隙間を開けてハイハイで外に出た。
外壁に手を付いて立ち上がり、周囲の地面を観察する。
裸足を怪我をしないように小石や凸凹のないルートを確かめたあと、歩いて休んでを数回繰り返しながら進む。
時間を掛けて漸く集落の中央にある井戸までたどり着いた。
ものすごく冒険してる気分になって鼻息が荒くなる。
見える所に人は居ない。
井戸を囲っている石材に手を付いて井戸の回りを伝い歩きしながら周囲を観察する。
家は井戸の周囲以外にも幾つかあるようだ。
丸太の柵の先の畑には人影も発見した。
やはりここはなだらかな山間の村なのだろう。どこを見ても山しかない。
遠くを見ると空気が澄んでいるのがよくわかる。日本のように白く靄がかかっていない。よく晴れた日差しに照らされる山々は濃い緑一色だ。
「あんれま!!なんでこんなところに赤子がいるんかね!?あんたフィーゴだろう?」
急に掛けられた声に驚いて少しよろめいてしまった。
井戸の石材にしっかりと掴まって体勢を直し、声が聞こえた方へ顔を向ける。
すると、うちの隣の家の前に木桶を持った白髪交じりの婆さんが佇んでいた。
「うん ふぃーご だえ?」
「あたしはここの家のワサだよ。カイルかマザイアは一緒じゃないのかい?」
「ぱぱ しごと まま いえ」
「まったく!」
ワサ婆さんが急ぎ足でうちの家に入っていくと、怒鳴るような声が聞こえて、ママンを連れ出してきた。
まずい。ママンが怒られてしまった。
俺も怒られそうだなぁ。
「フィーゴったらそんなとこに居たの?歩いたのかしら?すごいのね」
「まだ小さいんだからちゃんと目の届く所に置いときな!ほんっとに、あんたはお嬢様なんだから!」
「ふふふふ、ワサさん、フィーゴはかわいいでしょう?」
「かわいいけど!そんな事言ってるんじゃないよ!」
ワサ婆さんが呆れ顔のまま井戸で水を組むと、俺に笑顔を向けながら家の中に消えていった。
ママンとワサ婆さんの話が噛み合ってないように思えたが、どうやら怒られそうな雰囲気ではない。よかった。
安心しているとママンが歩み寄ってきて俺を抱き上げた。
「そと いい いる」
「そう?じゃママも外で縫おうかしら、ちょっとまっててね」
俺を玄関の前で降ろし、家の中から椅子と縫い物を持ち出して、日陰になっている軒下に置いた。
「遠くはダメよ?」
ママンはどこか抜けているようでちょっと心配になる。
あまり過保護にされても俺の行動が縛られるだけだし丁度いいか。
ポジティブに考えよう。
ママンの近くで地面にお座りして、手の届く範囲にあるものを触る。
背の低い草、薄茶色の土、どれも地球にありそうなものばかりだ。
空を見ても、たまに小鳥が目に付くだけ。
ママンの様子を見て、魔獣はそんなに居ないのかも、とも思うが柵の中で集落を形成するくらいだし外敵は居るには居るんだろう。
しばらく土や石で遊び、喉が渇いてきておっぱいねだろうかと考えているとパパンの呼ぶ声が聞こえた。
「フィーゴー!おーい!」
先が3つに分かれた股鍬を肩に担いだパパンが大きく手を振り、歯がキラリと光った。
鍬を担いだ姿も絵になるぜパパン、と俺も手を振り返す。
「ぱぱ しごと ただいまの!」
「あらそんな時間だったのね。お昼にしましょう」
駆け寄ってきたパパンに抱き上げられて3人で家に入る。
パパンは俺の汚れた手足を嬉しそうに洗ってくれて、地面に座って汚したおむつも新しいものに変えてくれた。
「面白かったかい?」
「ふぃーご ひとり そとの あそぶ わしゃ いた」
「一人で外に出たのか……。ワサさんと会ったんだね」
「うん わしゃ まま め! した」
「そっか、勝手に出ちゃだめだぞ?でも教えてくれて偉いな!」
パパンにジェスチャーを交えながら説明するとちゃんと伝わった。
これも親子の絆だろうか。
パパンは俺の頭を撫でてから食事の準備にかかる。
俺はおっぱいをねだりに行こう。喉がカラカラだ。
出不精のママンには悪いけど今後は外で遊ばせてもらうか。




