第六回
「恵、大丈夫!? 文音、馬鹿、だからちゃんと送ってきなって……あら?」
振り返った先に既に文音の姿はなかった。一瞬の驚きが去ったのち、深雪は奮然と息を吐き出す。
「あいつはもう、ちょっと目を離すとすぐこれなんだから。今度こそ本気でお仕置きしてやらないと。もう絶対にあたしの言い付けを破ろうなんて気にならないように。ね、豪太も協力してよ」
しかし豪太は首を横に振る。
「必要ないだろう。少なくとも今回はな」
「駄目よ。あいつあたしの言うことなんかちっとも聞きやしないし。でも豪太がびしっと叱ればさ」
豪太は黙って前方を指差した。
「そうだ、恵!」
深雪は急いで視線を戻し、そして酸っぱいものでも飲んだように喉を鳴らした。恵を助け起こしに行くことも忘れ、いやもはやそんなことはしなくてもよいのだと悟って、体の力が抜ける。
うつぶせに倒れ込んだ恵の傍らに、文音が膝を付いている。
「大丈夫か?」
文音に問われた恵はおずおずと顔を上げた。文音は宝箱を探るように恵の体に触れた。
「怪我してないか? 痛くて歩けないようならおぶってってやるけど」
「……へいき。自分で歩ける」
「そっか、恵はドジだけど強い子だもんな。偉い偉い」
「ドジじゃないもん!」
「あははは」
文音は半ば強引に恵の手を掴み、助け起こした。
ぎこちなくこわばった背中と、ふわふわと気楽そうに揺れる背中が、夜の帳が落ちかかる会生の里を行く。
小さな手ともう少しだけ大きな手が、まるで正反対に見える二つの影を結んでいる。
少しずつ遠ざかっていく姿を眺めながら深雪は満足げに頷いた。
「文音もやる時はやるのよね。あれでもっと恵の相方としての自覚を持ってくれれば、安心して任せられるんだけど。豪太もそう思うよね?」
「さてな。俺にはよく分らん」
いかにも頑丈そうな顎の動きは鈍かった。太く響く声音も今はくぐもって聞き取りづらい。
深雪は不満そうに豪太を見上げた。だがすぐに表情を繕って一歩だけ先に進む。
「あたしも帰ろっと。いくら里の中って言ったって暗いのは危ないし。この前なんか狼が出たって噂も……」
深雪は心細げな風情で背後をちらりとかえりみた。豪太はまだ恵達の去った方を見送っている。
「……豪太がいれば、狼の一匹や二匹平気だろうけど。ちょうど武器になりそうな物も持ってるし」
「これか?」
豪太は恵の見付けてきた剣を掲げた。
「本当に狼に襲われて太刀打ちできるかは怪しいけどな。ともあれ家まで送ろう」
「え、別にそんな無理してくれなくても、でもそう、せっかくの好意を断るのもなんだし、じゃあお願いしようかな」
「任された」
深雪は豪太が隣に並ぶのを待って歩き出した。外側の手がぐっと強く握り締められ、内側の手は豪太に近付いては離れるのを繰り返し、だがいつまでたっても届かない。
豪太の提げる錆びた剣が夕闇に微かに蒼い光を放ち、すぐに消えた。