第四十二回
「恵!?」
血相を変えた深雪に、恵は力なく笑いかける。
「へいき……じゃないかも。疲れちゃったみたい。うー、でもあんまり休んでたら帰るの遅くなっちゃうよね……」
どうやら深刻な事態ではないらしい。深雪は胸を撫で下ろしたが、ゆっくしていられないのも事実だ。最低でも日が暮れる前に里に着いていなければ、大騒ぎになってしまうかもしれない。
「安心しろ、恵。お前は俺がしっかりとおぶって、ぐっ」
深雪はしゃしゃり出てきた豪太の脇腹を突っついた。豪太は苦悶の呻きを押し殺す。
「豪太だって怪我してるんじゃないの。人の面倒見るよりまずは自分の身を大事にしてよね。ほら文音、あんたの出番っ」
「あ、いたたたた、やばい、さっき挫いたかも」
文音はいきなりわざとらしく足を押さえた。だが恵が見るからにしゅんとしてしまうと、深雪が叱りつけるまでもなく立ち上がる。
「しょうがないよな。引っ張り回したのがばれちって、あとで恵の爺ちゃんに怒られても面倒だしさ」
恵の前まで歩いて来ると、背中を向けて腰を屈める。
「ほら、恵」
「ふみねちゃん、いいの?」
恵はどこか脅えたような調子で尋ねた。文音は振り向いて頷いた。
「がんばったからな。特別」
「えへへ……ありがと」
文音の肩に指を掛けて、ゆっくりと身を預ける。よいせっ、と文音は立ち上がり、恵は文音の体の前に腕を回して落ちないようにしがみつく。
文音は残念そうに息をついた。
「やっぱりな。全然おっぱいあたんないし」
しかし恵は怒らない。そのまぶたは早くも落ちてきている。心がゆるりとほぐれ、体からさまよい出すかのようだった。時の流れさえも超えて。
――そうだ、前にもこんなことがあったんだ。
今よりもずっとずっと小さな背中が、やはり今よりもずっとずっと小さい恵を乗せて、山の中を降りていく。世で最も尊い宝物を運ぶように、一歩ずつ足を前に出す。何度もよろめきながら、けれどついに最後まで離すことはない。
それはきっと魔物を倒すことよりもはるかに凄いことだった。
――ふみねちゃんがいてくれれば、ぼくはどんなことだってできる……。
恵の安らいだ顔がことりと文音の肩に落ちた。
背中の革鞘に納められた剣が、刹那蒼くきらめく。
(巻の二に続く)




