第三十五回
「豪太!!」
深雪が身を切り裂かれるような悲鳴を上げた。いつものしっかり者の姿はどこにもない。頑是ない幼児のように目に涙を溜めている。
恵は倒れ伏した豪太を呆然と見つめた。間近で大鐘を打ち鳴らされたみたいに頭の芯が痺れていた。剣を使うことはおろか逃げることさえ忘れて、豪太が作った隙を空しく費やすばかりだった。
自分のせいだ。真っ黒な後悔が胸を突き刺す。
これではまるで封印されていた記憶の繰り返しだ。
恵の犯した過ちはかつて両親の命を奪い去り、今また大切な仲間を贄にしようとしている。
恵はきつく唇を噛みしめた。
──ううん、まだ間に合う。助ける方法ならある。
豪太は生きているのだ。怪我はしているとしても、魂はしっかりと体に結びついている。傷はそんなに深くない。暫くすれば立ち上がることだってできる。
そして恵の魂もここにある。
だから大丈夫。
あの魔物は恵を喰らうために現れた。
ならば元の欲望さえ満たされれば、いずれどこかに行ってしまう。
恵は瞳を閉じた。
せめて最後にもう一回近くで顔が見たかった。
自分がいなくなったら、少しは淋しがってくれるだろうか。
「ねえ、ふみねちゃん……」
「ん? ああ、恵、危ないからちょっと頭引っ込めてて」
「へ?」
びっくりして目を開ける。すぐ傍に大ネズミがいるせいで姿は隠されているものの、その向こうから近づいてくるのんびりした気配は紛れもない。
「んじゃ行くぞー」
大ネズミの後方で、文音は鉈を振り上げた。距離はまだたっぷり五歩以上も離れており、たとえ腕の長さが倍になったところで掠るはずもない。といって豪太のように突撃をかけるわけでもなく。
「ほいっ」
投げつけた。狙いは適当に大ネズミの真ん中辺りだ。
ゆるりとした弧を描いて鉈は魔物の方に飛んで行き、豪太の斬撃を跳ね除け続けた毛皮に達して。
あっさりと突き抜けた。
“チュ、チューッ!”
まさに絶叫だった。尻尾に火がついたかのごとき激しさで、大ネズミが身を捩る。ほとんど体がぶれて見えるほどの悶えようだ。
文音は悪戯が図に当たったみたいに指を鳴らした。
「ほらな、ばっちりだ。恵、いいぞ、やっちゃえ!」




