第三十四回
「……あたた」
背中を打った。激痛とまではいかないものの、咄嗟には起き上がれない。
「でもちょっと休んだらへいき、かな」
手足の感覚は普通にあるし、大きな怪我はしてなさそうだ。ただし、すこぶる大きな問題が一つ。
“チュウゥー”
生臭い匂いが吹きつける。恵の首筋のうぶ毛が残らず逆立つ。
「あ……あ……」
未だ剣を警戒しているのか、大ネズミはいきなり齧りついてはこなかった。しかしただでさえ短い間合いは、寸刻みに縮まっていく。
剣は一応まだ恵の手にあったが、柄もちゃんと握れていないていたらくだ。今の体勢からまともに振るえようはずもない。
そして恵が進退きわまっていることを、大ネズミはついに見て取ったらしかった。
“チュ”
ごちそうを前にした喜びに髭が震える。そこに宿るのは魔性の意思か、はたまた獣の本能なのか。どちらだろうと恵は救われない。
「どうりゃーっ、りゃっ、りゃっ、りゃっ、ちぇーいっ!」
その時豪太が死に物狂いで大ネズミに打ち掛かった。全力を振り絞った一撃はあえなく弾かれ、しかしならばと二、三、四、五と重ね撃つ。
大ネズミが身動ぎをした。豪太に対して初めて見せた、怯んだような反応だった。
豪太は身に残った生気をかき集める。相手が何物だろうと関係ない。恵に仇なす存在は全力で打ち砕くのみだ。
「ちぇやぁーっ」
渾身の打ち下ろしを放った。ついに大ネズミが顔を背けた。
もう一発だ。それできっとこの化物を恵の傍からどかせられるはず。
豪太は山刀をいったん引き付け、次の瞬間、撓めた力を一気に解放、体ごと突いて出る。
大ネズミが背中を向ける。豪太はその後肢の付け根に山刀を叩き込み、弾かれそうになるのをそれ以上の力で押し返した。
「っぐはっ」
胸郭が軋みを上げる。腰がよじれる。
横から叩きつけられた大ネズミの尻尾に、豪太はひとたまりもなく吹き飛ばされていた。




