第二十九回
「文音、どう? 何か分った?」
期待薄ながらも一応深雪は尋ねたが、文音は案の定首を振った。
「別に変わったものはなかったぞ。崖にできた単なる窪みって感じだ。場所は絶対にここで合ってるはずなんだけど……こんなんだったかなあ」
納得いかなそうな面持ちである。しかし幼い頃の印象が実際と異なっていてもさほど不思議はない。
呼吸を整えた後、恵は改めて洞窟へと近付いた。今度はすかさず豪太が付き従い、深雪と文音も共に続く。
「……ここに、ぼくが」
中に踏み入り、覚束なげに呟く。文音が言った通りどうということのない岩穴だ。動物の骨なども落ちてはいない。
「ねえ、ふみねちゃん、父さまと母さまは」
「おれは見てない。恵だけで手一杯だったし」
「そっか」
恵は切なくうつむいた。だがすぐに背筋を伸ばす。
両親は文字通り命を懸けて助けてくれた。幼い文音はかつて一人で、そして今また大切な仲間達と共にこの地へと来てくれた。
今度は自分が頑張る番だ。きちんとありがとうを言うためにも、記憶の底の扉を開く。
瞳を閉じる。世界が自分だけの闇に閉ざされる。暁に見た夢に意識を向ける。
真っ黒い獣が迫り来る。母が恵を抱き締める。温もりが肌を伝わり身裡を満たす。
眠れ、と母は言った。“しあわせなゆめ”を見ろと。
押し潰さんばかりだった恐怖が水に散るように薄れ、固く厚い意識の殻が向こう側との通路を繋ぐ。今や露となった恵であるものの核へと何かが──。
「──たまうつし」
ふっと言葉が口をついて出た。
過去に聞いた憶えはない。もちろん意味も分らない。
なのに自然と心に適う。まるでずっと昔から馴染んでいたかのように。
「ぼくの中に、入った?」
己が身は魔物への贄として。
ただ魂だけを愛しき子へと移し入れ。
古の浄き所へと導いた。
──蒼い光を帯びた玉が、高く澄んだ音を奏でる。




