第二十二回
「ふみねちゃんが、ぼくを……?」
恵は幼な子のようにたどたどしく呟いた。それきり言葉が続かない。代わりに深雪と豪太が矢継ぎ早に問い質す。
「どういうことなの。ちゃんと説明してよ。もしいい加減な出任せだったら本気でぶちのめすわよ」
「聞き流しにはできないな。文音、本当なのか」
「なんで嘘つく必要があるんだよ。恵がいなくなったって聞いたから迎えに行ったんだ。どっかおかしいか?」
「おかしいに決まってるじゃない。だって山の中よ? どうやったらよちよち歩きの子供が大人達より先に探し出せるっていうの。しかもよりによってあんたみたいな子が」
「呼ばれたから」
文音はいつになく真剣だった。深雪は気圧されそうになり、だがもちろん引き下がったりはしなかった。
「意味分んないわ。山奥からあんたにだけ声が届いたってわけ? いったい誰から」
「さあな、山の神とか? それか恵の母ちゃんかも。なんか不思議な力があったみたいだし。どんな理屈だろうと、おれが恵を連れて戻ったのは本当だよ。信じられないっていうなら別に……あれ、どうした」
「恵?」
文音の視線を追って深雪はぎょっとした。恵がほろほろと涙を零していた。泉の底が割れたかのごとく、透明な滴が後から後から落ちてくる。
「傷が痛むのか? 見せてみろ」
豪太が珍しく狼狽したふうに傍近くへ寄ろうとした。だが恵は首を左右に振って触れられるのを拒んだ。
「違うの……胸の奥の方がすごく痛くて苦しくて……怖かった……真っ暗なところでずっと独りぼっちだった……もしあのままだったら、ぼくは溶けて消えてた……」
記憶を取り戻したにしては恵の目は虚ろに過ぎた。まるで起きながら夢を見ているかのようだ。
単に泣いた子を慰めるのとは違う。今の恵を落ち着かせるのは、深雪にはいたく困難に思えた。
「長様か刀自様に知らせる?」
恵の祖父母であればきっとこういうことにも慣れているはずだ。丸投げにするようで気が引けたが、豪太も自分達の手には余ると判断したらしい。
「俺が抱いて行こう。長にこっちに来てもらうより早いだろう」
「抱い……!? くっ、仕方ないわね。こんな際だし。あたしも一緒に行くわ」
深雪は肩を力ませながら同意した。だが豪太が行動を起こすより早く、文音が安気に割って入った。
「おまえら大袈裟なんだよ。ほら、泣くなって恵。またお漏らししたのか? おれが内緒で洗ってやるから大丈夫だよ。な?」
赤子のおむつの湿り具合を確かめるように、文音は恵の着物の股ぐらをぺろんと撫でた。
宙空に向いていた恵の瞳が、一拍、二拍の後に目の前に焦点を結ぶ。
「な……きゃーっ!!」
猛烈な張り手だった。まともに喰らった文音の足が、確かに一瞬地面から浮いた。
「ふみねちゃんのばかーっ、すけべーっ、あっち行けぇーっ」
「文音……さすがにここまでひどいなんて、あたしの想像の埒外だったわ。最低」
「悪ふざけにも限度があるな。少し懲らしめてやるべきか」
豪太がずいと近付いた。土の上に引っ繰り返っていた文音は急いで起き上がった。
「待て豪太、おまえに殴られたら洒落になんないから! 恵だってちゃんと元に戻ったんだからいいだろ!」
その恵は涙目で文音を睨みつける。
「むー、ごうくん、剣持って来て。昨日のやつ」
「文音を斬るのか?」
文音はぶるりと身を震わせて土下座する。
「めぐむさん、おれが悪かったっす。なんでも言うこと聞くから許してください!」
「じゃあ連れてって。ふみねちゃんがぼくを見付けたって所まで。これからすぐ!」
恵はびしっと指を突きつけた。ははーっと文音は畏まり承った。




