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キミのタマはボクのモノ 巻の一  作者: しかも・かくの
第三章 闇の奥の過去と新たなる冒険の始まりについて
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第十九回

 深雪の足は弾んでいた。昨晩は冷え込んだせいか微妙に風邪気味だったが、鼻を啜る調子さえ歌でもうたっているみたいに軽やかだ。

 その手には庖丁がある。靄で視界が悪いのにもかかわらず、半ば振り回すようにして歩いているのでわりかし危ない。

 だが深雪は気楽なものだ。会生(あいおい)の里に余所者が通りすがりに入り込むことなどまずないし、里人なら朝餉の支度なりで忙しく立ち働いているか、まだ寝ているだろう。

 前もろくに見えないようなこんな朝から、用もなしにぶらつくような物好きはいないはずだった。

「それっ」

 目の前に大根でも浮かんでいるような態で切りつける。その刃先がわずかに欠けている。

 これが深雪の外出の大義名分だった。

 豪太のところへ庖丁の研ぎを頼みに行くのだ。

「たったそれっぱかし欠けたぐらいで、天堂さんに厄介を掛けることはないだろうに」

 母親は呆れたようにたしなめたが、深雪だって今すぐやってくれと要求するつもりはない。とりあえず預けておいて、手が空いた時にやってもらえればいい。

 豪太はいつも通り裏庭で薪を割っているだろうから、会って渡すだけなら文字通り朝飯前だ。

 豪太だって深雪が来れば嫌な顔はしない──というか別に誰が来ても嫌な顔はしないだろうが、とにかく二人は親しい間柄なのだ。快く引き受けてくれることは疑いない。

「お礼にお握りでも持ってくるんだった」

 もっとも家を出た時点ではまだ米が炊き上がっていなかったので土台無理な話である。

「また後で来ればいいだけのことよね。うん、そうしよっと」

 豪太に都合を聞いてみて、お昼や午後のお茶の時間に合わせればいい。

 どうせだから深雪の分も持って来て、一緒に食べた後は、二人でその辺りを散歩する。

(うまかったぞ。ごちそうさま)

(お粗末さま。豪太さえよければ、またいつでも作ってあげるわよ。なんならこの先ずっとだってね)

(ありがたいが、庖丁を研ぐ礼にしては大袈裟じゃないか)

(もう、朴念仁なんだから。そういう意味じゃないわよ。本当に分らないの?)

(分るさ。俺でいいのか、深雪?)

(うん、あたしはあんたがいいの、豪)

「太……って、あら?」

 近くまで来て深雪は違和感を覚えた。薪を割る音がしていない。

「豪太、いないの?」

 裏庭はやはりがらんとしていた。だが作業をしていた形跡はある。台を挟んだ両側に、割られる前と割った後の薪がそれぞれ積まれている。近くには斧も放り置かれていた。

「鍛冶場の方かしら」

 離れの小屋にまで足を伸ばしてみたが、空振りに終わる。

「じゃあ家の中か。おばさんはともかく、天堂のおじさんちょっと怖いのよね」

 出直して来ようかなと思いつつ引き返すと、折良く裏庭側の戸口が開いた。豪太が出て来るのを見つける。

「あ、よかった。ごう……」

 深雪は振ろうとした手で己の口を押え、大きなあすなろの木の陰に咄嗟に身を隠した。

 ──え、なんで恵が? こんな朝っぱらから豪太のところに? どういうこと?

 研いでもらうはずの庖丁を思わずぐぐっと握り締める。

 人違いなどではない。豪太の大きな体の内に抱かれるようにしていた小柄な少女は、確かに恵だった。

 恵の家と豪太の家は里の端と端である。ふと気まぐれに訪ねるにしてはいかにも遠い。今ここにいるということは、向こうを出たのはおそらく日の出と同時ぐらいだろう。

 あるいは逆に、ひと夜を共にして今帰るところだったり……。

「いやいや、そんなわけないないっ」

 良からぬ想像が兆してくるのを庖丁で切り払う。

 どうせ里長(さとおさ)の使いだろう。豪太ではなく父親の鋭悟に急ぎの伝言でもあったのだ。そう考える方がはるかに自然で理に適っている。

「馬鹿みたい。焦って損しちゃった」

 頬に力を入れて笑い顔を作る。おかしな勘違いは忘れて、豪太にも恵にもいつも通りに振る舞うのだ。

 そして恵がここにいる理由を腕ずくでも聞き出し、もとい、そんな大袈裟なことじゃなく、ちょっと気になったから尋ねてみる。恵は友達なのだし、そのくらい何の遠慮がいるものか。

 深雪は鋭く息を吸うと、木の幹の後ろから歩み出た。

「おはよー、豪太、それに恵も。こんな時間にどうしたの……って、何してんのよあんた達ぃーっ!?」

 深雪は全速力で駆け出した。

 豪太が恵にかがみ込み、くちづけを交わそうとしていた。

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