第十四回
恵のなけなしの反抗心はあっさりとくじけた。厳しい祖父に対する以上に、いつも優しい祖母を相手に意地を張る方がかえって難しかったのだ。
「おばあちゃん……ただいま。お夕飯の支度、手伝わなくてごめんなさい」
「あらいいのよ、そんなこと気にしなくたって」
祖母は目を糸のように細めて屈託なく笑った。
「子供は羽目を外して周りを冷や冷やさせるぐらいでちょうどいいの。変に若いうちから真面目振ってるとね、年取ってからどんどん気難しくなっちゃうんだから。ねえ、おじいさん?」
「ふん」
祖父は頬を歪めてそっぽを向いた。
「まあまあ、いい年して拗ねちゃって。みっちゃんは子供の頃からちっとも変わらないんだから。偉そうにしてるくせにちっとも甲斐性がないの。聞いてよ恵ちゃん、この人ったらね、初めての時にも全っ然物の役に立たなくて、しょうがないからあたしが励ましたりなだめたりさすってあげたり……」
「えっとね、おばあちゃん、採ってきた山菜なんだけど」
恵は強引に割り込んだ。正直祖母が何の話をしているのかは余りよく分っていなかったのだが、崖を転げ落ちるような勢いで悪化していく祖父の機嫌を見るにつけ、触れるべきではないと直感したのだ。
「ああそうそう、ご苦労様だったわね。そこに置いとけばいいわ。恵ちゃんはお風呂入ってらっしゃいな。もう沸いてるから」
「え、でも……」
恵は祖父を窺った。いつも一番風呂は祖父が使っている。それに山の中での出来事についても、うやむやのままだ。
祖母が重ねて促す。
「ほら、ぬるくならないうちに」
「うん。おじいちゃん、いい?」
「好きにしろ」
祖父は言い捨て、家の奥に引っ込んだ。
お湯は恵には熱かった。
白く湯気の立つ浴槽から桶で汲み、「えいやっ」と体に浴びせる。ぴりぴりと肌を叩く刺激に身を竦め、しかし怯まず湯船に突貫する。目をぎゅっと瞑って三呼吸、それが四回、五回と重なるうちに、だんだんと辛さが薄れ、やがて「ふわぁあ」と弛みきった嘆声を洩らす。
「はぁー、たまには熱いのも気持ちぃーなー」
ぐいと伸びをしてから脇の窓に手を掛ける。小さく開いた隙間から流れ込む秋の夜風が火照った頬を冷たく撫でる。
空は澄んでいた。降り落ちる星々の光の中でもとりわけ目を惹きつけるのは、北天高くの蒼い煌めきだ。
その名も〈めぐむぼし〉──今はもういない両親が恵を授かった夜、眩しいほどに美しく輝いていたのだそうだ。
(だからね、めぐむちゃんはおかあさんとおとうさんのところに、天のお星さまがおくってくれた大切な宝ものなの)
姿は朧にかすんでいる。けれど言葉は不思議と清かに甦った。
心がきゅっと締めつけられる。
でも涙はこぼれない。
淋しいよりも慕わしい。
それはきっと皆がいるから。
温かく見守ってくれる祖父と祖母、強くて頼もしい豪太、頭が良くて色々と教えてくれる深雪、そしていつまでもずっと大好きな──。
「ふみねちゃんが、ぼくの傍に」
「おれがなんだって?」
「ふ……ふみねちゃんっ!?」
ふいに窓が大きく開き、文音が顔を出した。唐突な出現に頭が真っ白になり、恵は半ば飛び上がった。