第十回
「お会いしたかったですわ! こうして兄様の無事なお姿を拝見できて、晴花は心より嬉しく思います!」
女は麻太智の頬に自分の頬をこすりつけた。朝議の場での厳しく毅然とした振る舞いが嘘のような、気安くも甘え切った態度である。
麻太智は女の体をしっかりと受け止めつつ素早く左右に視線を走らせた。余人がいないことを確かめ、抱きかかえた晴花を御座の間へと連れ込む。清乃が滑らかに後に続き、ぴたりと戸を閉ざす。
「まあ兄様ったら、まだ日も沈まぬうちから大胆な。ですがよろしいですわ。妾はいつだって兄様を受け入れる準備はできております。さ、晴花をどうなりとお好きなようになさってくださいまし」
「たわけ」
うっとりと目を閉じ唇を寄せてきた晴花を、麻太智は冷たく突き放した、というよりほとんど投げ飛ばした。晴花はへなへなと畳の上に崩れ落ちる。
「もう、兄様のいけず……はっ、もしや今日はそういった趣向なのですか? 乱暴になさりたいのですね。できれば顔に痕が残るような仕打ちは避けていただきたいのですけど、兄様がお望みなら」
晴花は気弱げに面を伏せながらしかも怪しげに上目を遣う。なかなかに器用な小芝居だったが、麻太智は取り合わない。
晴花の前にきっちりと膝を付くと、叩頭した。
「荒城麻太智、お召しにより参上仕りました。御身の恙なき様を拝見致し、恐悦至極に存じます、蒼の君」
一転、晴花からおどけた調子が消え失せた。天空高くにある蒼い星が煌めいたかのような、非情な光が瞳に宿る。
だが神気はすぐに消え去り、麻太智もまたざっくばらんな調子に戻る。
「一体どうしてあのような真似をしたのだ? いかに君の顔を知る者がないとはいえ、公卿達の前に姿を晒すなど軽率が過ぎるだろう」
「だって、少しでも早くお目に掛かりたかったんですもの」
「御簾の内にいたのは清乃か」
清乃は君と最も親しく意を通じる采女であり、常の仲立ち役をも務めている。身代わりにはうってつけである。
戸口に近い場所に控えた忠実な女官は、麻太智の指摘を受けて深々と頭を下げた。
「まことにもって畏れ多きことながら」
声音に表れた自責の情は、明らかに上辺だけのものではない。
「……気にするな。どうせ君にごり押しされたんだろう。お前は何も悪くない」
「もう、お兄様は清乃ばっかりひいきなさって。そんなにお気に入りなら、床を共にするなりなんなりなさるといいわ。でも妻には取らせませんからね。清乃はずっと妾の傍にいるんです」