表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

魔王様

「やぁ、アッシュ君。久し振りだね」

 ーー朦朧とした意識が、その声を聞きゆっくりと覚醒されていく。

 同時に寝起きに似たような気だるさ、頭に響くような鈍痛を覚える。久方振りの倦怠感に嫌気が差し、再度微睡みへと堕ちたくなる。

 それを堪えつつ重い瞼を抉じ開けてみれば、己が周りは薄暗く、夜闇の中にあるようであった。

 ーー己が姿すら視認出来ぬ。ここは何処か……。

 黒い霧の中を漂うような感覚に包まれながら、先程の声の方へと意識を向けてみる。

 目を凝らしていれば、何もなかったそちらから徐々に薄明るい光が生じた。

 倦怠感は薄れ、光と共に意識が覚醒していくーー。

 不可思議なその光の中央に黒い点が浮かび、その大きさを増して、終には人の形を成した。

 ーーその姿には、どこか見覚えがあった。

「おーい、聞こえてる?それとも、もうくたばっちゃたのかなー?」

 耳に手を当て、こちらの応答を待つように男は首を傾げた。見目の良いその男の、短い黒髪に何故か違和感を覚える。

 もっと長かったように思うのだがなぁ……それに、何か足りぬような。

 いつぞ、こいつを目にしたのだったかーー思い出そうとするも判らず、それどころか見れば見る程、腹立たしいような思いばかりが募るのだった。

 正体が様としないのも相まり、何とも存在が気にくわぬ男だ。

「……返事がない。まるで屍のようだ」

 訳の分からぬ事をほざいたその口が、にやりと弧を描いた。


「そっかそっか、それじゃあしょうがないよね。ーーさようなら、アッシュ君。(ほとり)の事は僕に任せて、安心して眠ると良いよ」


 どくん。

 ーーその言葉に、朽ちかけていた己の中の『俺』は激しく揺さぶられ、焚き付けられたように燃え爆ぜた。

(ーーふざけた事を抜かすな、あれは俺の鳥。貴様にだろうと、くれてやるつもりは毛頭ないわ!)

 噴き上がる激情をそのままに、思わず声を張り上げ激昂したーーが、その声は音にならず、思念のみが形なくその場を漂った。

 ーーどういう事だ。俺は……己は今、どうなっている?

 疑問が冷や水となったか、多少落ち着きを取り戻す己に対し、男は頭痛を堪えるように溜め息を吐き出した。

「はぁ……相変わらずむかつく態度だね。八つ裂きに出来ないのが本当に口惜しいよ。滸との約束もそうだけど、今の君は形を成してないから、どっちにしろ無理なんだけどさ」

 形を成していない?

 詰まる所……己は今、肉体を損なっているという事か。

 ーー沸々と、記憶が沸き上がってくる。

 段々と殻が剥がれるように崩れていった己の身体。真命により(アッシュ)を成す部分を壊され、散らされたのだったか……。

 だが、同時に思い起こされた事柄に比べれば、そのような事はどうでも良いと思えた。

 ーー今、己の心を占めるのは只一つ。

 何よりも散り際に想った。己が崩れる様を、自身が裂かれるが如く憂いて漆黒の瞳を濡らした、己の鳥。ーー俺の、愛しい小鳥。

 そう、俺は小鳥を喚んだのだ。別たれたあの日の誓いのままにーー。

 常に抱えていた心の(うろ)に、それは隙間なくぴたりと填まった。永らく思い出せずにいた……かけがえのない記憶(おもいで)と共に。

「ーーどうやら君も、思い出しちゃったみたいだね……はあぁ。君のせいで、僕はとことん損な役回りをやらされているよ」

 ーーあぁ、思い出した。片翼を失えど、その神々しい神気は間違えようもない。

 元七翼神であるーー烏滸鳥の親。

 そいつは、無形である筈の己をその瞳に定め、恨みがましく睨み付けてきた。

 己のせいと言われてもなぁ……。

(心情と情報をただ漏れさせているお前の自業自得であろうよ。ーー『俺』を思い出させ、助けとなったつもりか?損だと言う行いを、何故お前はしているのか)

 疑問をそのまま口に……否、思考すれば、そいつに伝わったのか、更に嫌そうに顔を歪められた。

「勘違いしないで欲しいね。別に君の為にこんな所まで出向いた訳じゃないよ。想起を促してあげたのも、こうして説明してあげてるのも何もかも、ぜーんぶ可愛い『僕の』娘の為だから」

 しかめ面を綻ばせ、溢れんばかりの慈しみを浮かべて見せるそいつに、得心した。

 あの鳥は、態々(わざわざ)元の場所に戻してやったというのに、烏滸がましくも自ら此方に舞い戻る事を選んだのだろう。

 その意志を示し、唯一その術を持つ……この厄介な神を動かしてみせた。

 ただーー己の傍に在る為に。

 なんとその名に恥じぬ烏滸がましさか……。愛い過ぎるだろう、烏滸鳥め。

(そうか。だが貴様のではない、『己の』だ)

 だから、それだけは譲れぬなぁ。

 己とそいつの間で、噛み合う筈のない視線が火花を散らす事暫しーー。

 ふんっと鼻息荒く腕組みをして、そいつはそっぽを向いた。己も肉体があれば、同様の事をしただろう。

 肉体があればーー。

(己はもう、戻れぬか)

 唐突に思い知り、絶望に似た諦感が襲い来る。

 ーー折角、満ち足りたというのに。手が届いたかと思えば、その手が崩れ落ちるとは……報われぬ。

 記憶が戻ろうと意識があろうと、器が無くては無意味だというのに。

 ーー小鳥と共に居れぬのであれば、俺の自我など何の意味も成さぬだろうよ。

「……全く。君達は似た者同士になっちゃって。父さん哀しいよ、滸」

 何故かそいつまで、己とは違う哀愁を漂わせ始めた。

 はあぁ、と盛大な溜め息を吐くと、真っ直ぐ己へと視線を向けてきた。

「一応は、あの子との約束を果たしてくれたみたいだからね。及第点として認めて……なんてやりたくないけど、良しとしてあげる」

 変化した態度と話を怪訝に思い見ていればーーそいつを中心に、空気が変わった。

 漂っていた靄がぴたりと止まり、大きな力の流れに乗るように渦巻き出すーー。

「あくまで滸の為だけど、こうして君の餞別も使わせて貰ってるしねーーそのお礼返しをしてあげる」

 そして、靄ばかりで地のないそこを、足でとんとんっと打ち鳴らした。

 ーー途端視界が晴れ、目が眩んだ。

 徐々に慣れる目で見遣れば、漂っていた薄暗い靄が消え失せーーそこは、果ての見えぬひたすら真っ白な空間へと変貌していた。

 そして視線を流し、気付く。見慣れたカゲ製の衣を纏うーー己の姿が確認出来た。

 ーー己の体が、元に戻った。

「どうなっている?黒い靄もどこへ失せた」

 己と対峙するそいつに問う。問題なく声を発した己の身を面白くなさそうに眺めながら、男は口を開いた。

「さっき漂ってた靄は漏れ出た君自身だよ。ーー元々、君の(アッシュ)の部分は僕が貰ってあったから、崩れる所なんてほんの薄皮程度だけしかない。……まぁそれでも膜が破ければ、ああやって中身(きみ)が溶け出しちゃう訳だけど。それを、新たに作った膜に取り込んで器を成してあげたんだよ」

 何でもない事のように平然と宣ってくれた。

 こんな気に食わぬ奴でも、流石は元翼神と言うべきか。恐るべき御業を扱うものだ。

 そう内心で感心してやったというのに、そいつは(おもむろ)にまた溜め息を吐いた。

 そして物憂げな様子でくるりと指を回し、上を差す。

 つられて上向いてみても何もない。只の白い空間だが……。

 ーーその時、声が降ってきた。


「魔王様、アッシュ様……」


 ーー心が、成されたばかりの肉体が、歓喜で震えた。

 己の小鳥が、己を……俺を喚んでいる。

「ほら、いつまでうちの子を待たせるつもりだい?……これ以上滸を悲しませるようなら、今すぐ僕が連れて帰るよ」

 己をけしかけるようにそいつは言う。

 ーーその姿は、きらきらと光を散らしながら溶けている所であった。力を、使い果たしたのだろう。

「その様でよく言う。まぁ、仕方ないなぁーー滸は己に任せ、安心して今のお前の場所へと戻るが良いさ」

 口が弧を描くように笑ってみせればーー元神が聞いて呆れるだろう、射殺すような眼差しを向けられた。

「うわっむかつく……!何、意趣返しな訳?とことん君が気に食わない。滸に相応しいとはとても思えないっ!」

 光になりつつも器用に頭を掻き毟る。その見覚えのある姿に笑いが漏れた。

「それは己とて同じだなぁ。ーーそも、小鳥には俺が名付けるつもりであったのに、『滸』とは……よくも、良い名付けをしてくれたものだなぁ。腹立たしい」

「ふふん、どういたしまして。あれだけ一緒に居て決められなかった君が悪いんだよ。そもそも、名付けは親の特権だから。ーー譲らないよ」

「まぁ良いさ、己は滸を得られるのだから。それに勝る役得などないなぁ」

 今度こそ、かち合った視線が苛烈に火花を散らせた。

 ーーだが、それもそいつが完全に光となった事により、終わりを告げた。

「はぁ、もう時間みたいだね。ーー良いかい?肝に命じておきなよ。君が滸を幸せに出来ないようなら、すぐに僕が連れ戻す。また(わか)たれたくなかったら、滸を守り切るように。あと、滸の嫌がる事をしないように。紳士的に、清く正しいお付き合いをしなさい。不本意だけど、任せてあげるよーー灰塵王、アッシュロード・バイシュ君」

 そう伝えてきた最後の光が、ふわりと己の胸へと入り込んだ。暖かいような、厳かなような感覚が、そこから全身へと染み渡る……。

 ーーそれは加護であり、誓約であった。

 約束を守り続ける限り、もう身を損なう事もないだろう。真命よりも強固な護りと誓いが、己の身を満たしたのだ。

 ーー最期まで説教とは、恐れ入る。

 ……親とは、ああも子を愛するものなのだなぁ。

 俺はどうだったかとふとした思いが過ったが、すぐに詮ない事だと振り払った。己は烏滸鳥ではないし、親も(あやつ)ではない。

 情はあった。でなくば俺は働く事などなかったろうし、見限る事も考えなかった。

 ーー感謝しているさ。こうして今、己が在れるのだからなぁ。

 かけがえのない存在と、出逢えたのだから。

 その逸る想いに後押しされるように、己の意識は浮上していく。

 狂おしい程待ち望んだ、己の鳥の元へとーー。

「永らく独りで飛び回らせてしまったなぁ。止まり木がなくて、さぞ疲れたろう?ーー己の下で、目一杯癒してやらねば。なぁ……烏滸鳥」







「……苦い」

 微かに舌の上に残る余韻をほろ苦く感じた。永らくの空白を噛み締めるように、それを味わう。

 その苦みを下せば、残る甘味で脳と舌が蕩けるように痺れた。

「……甘い」

 ーー何と表現すれば良いのか。ふわふわと浮わつき、じわじわと拡がるこの想いは。

「……足りぬ」

 もっと味わわなくては、判断が着かぬなぁ。

 折角、人として(かたち)を成してくれたのだから、思う存分に堪能しなくてはなぁ。

 この温かさも柔らかさも、全ては己のものなのだから。

 誰に咎められる事もなく、されたとて問題ない。跡形なく塵にしてくれよう。

 ーーだと言うのに、その当の鳥がじたばたと暴れ、己の行為を阻害してくれる。

 己の邪魔立てをするとは……烏滸がましさは健在か。喜ばしいが、今は不粋であろうに。

「……まだ、足りぬのだが?」

「ーーチョコレートはもう無いのですよ!」

 チョコレート?……あぁ、あの黒い甘味の事か。

 こいつがそれを至高の嗜好品としている事は知っているが、今それを口出す事もあるまいに。

 己の想いが汲み取れておらぬようだ……全くなぁ。

「半世紀振りにもなるのに、つれないものだなぁ。俺の小鳥は」

 不満顔でいたのだがーー昔の口調で言えば、つい懐かしさで、それは崩れてしまった。

「ーー思い出したのですか?」

 鳥が漸く、己が(アッシュ)だと思い到ったようだ。

 己は頷き、あの男からのお礼返しとやらについて語ってやった。

 目に余る親の過保護ぶりを目の当たりにするが良い……と思ったのだが。

 ーー己が目の前に在るというのに、そのように輝く瞳で父親(あいつ)を知りたがるとは。浮気とは、いただけぬ。

「己の純情を(もてあそ)ぶとはなぁ。昔はあれ程熱烈に、己を最愛だと囀ずってくれていたのに……なんと薄情な鳥か」

「ぴむむ!アッシュ様こそ、すぐ喚ぶって言ったくせに、僕を半世紀も待たせたのですよ!しかもそれをずっと忘れてた!どっちが薄情なのですかっ!」

 恨みがましく言ってやれば、烏滸がましくも反論が返ってきた。

「烏滸鳥とて、それは同じさ」

「同じくないのですよ!」

 じいぃっと間近で睨み合う。その瞳には己が在り、また己の瞳にもこの烏滸がましい鳥が在る事だろう。


 ーーそれを幸福だと思った事は、教えてやらぬ。

 いずれ、己を最愛だと思い知る迄ーー目移りなど出来ぬ程、無我夢中に己を想う迄ーー。

 まぁ、心しておけば良いさ。その時は遠くない。

 己が至高だと、その鳥頭に徹底して刷り込んでくれるわ。

 ーーこれから共にある永劫、忘れられぬようにしてくれる。

 己は既に狂った。ならば、お前とてそうならねばなるまいよ。己を想い狂う様を、見せてくれねばなぁ。

 なぁ、俺の鳥。

 ーー己の愛しい、滸。

これで、魔王様の烏滸鳥は完結です。

ここまで拙作に目を通して下さり、誠にありがとうございます。


初めて尽くしで、自分の表現力が乏しいばかりに、拙い物語になってしまったかとは思います。

ですが、ありったけ自分の好きなものを詰め込ませて頂いたので、書いていてとても楽しかったです。

書きながら自分も色々学ばせて貰い、大切な作品になりました。

もっと書き手として成長出来ましたら、今度は滸がチョコレートを求めて東闇の国へ旅立つ続編も書いてみたいです。いつになる事やらですが……。


次はまた別のお話を書きます。宜しければそちらもお楽しみ頂ければ幸いです。

近い内にお会い出来ますよう、より一層精進致します。


繰り返しになりますが、ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。

貴方様にお読み頂けて、これに勝る喜びはありません。この作品は幸せものです。

これからも、気が向いた時にでもまたお読み頂ければ、作り手冥利に尽きます。いつまでも愛でてやって下さい。

ありがとうございました!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ