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テオ

「私は男ですよ、テオ」

 ーーあまりの衝撃に、頭の中は真っ白になった。

 ぐるぐる渦巻く思考の中で、現実逃避気味に別の点へと意識が向く。


 ーーテオってのは、俺の事か?






 物心付いた頃の俺に、名は無かった。

 一番古い記憶はどこぞの船の中。俺はそこでこき使われる、ただの雑用係だった。

 年端もいかねぇガキに武器研きを押し付けるような船だーーそれは、海賊船の類だったんだろう。

 そこの海賊の子供だったのか、何処からか拐われてきたのかーー俺は自分の事が何一つも分からなかったし、周りも俺なんざ意に介しちゃいなかった。

 用があっても大抵「おい」、たまに「珍しい色のガキ」呼ばわりされるのが精々だったしな。

 ーーある日、俺は荷を捌く為に寄港した港町で人買いに売られた。

 何でも珍しい色だからと、そいつは通常の倍以上の値を付けてくれたんだと。

 海賊の頭は嬉々としてそいつの持つ何かの書類にサインをした。ーーそれは、俺の売買契約書だろう。

 するとーー今度はその更に三倍の値段で、俺は別の人買いに買われた。

 驚いたが、それだけ珍しい色だったという事らしい。

 確かにこのーー壊血病予防にと食べさせられた(だいだい)と同じーー色の奴は、多民族の奴隷を乗せてるこの船にも港にも、俺の他に居なかった。

 それを知った頭は激怒したが、契約書にはもう承諾のサインをした後だ。

 連中は、取引には異様に律儀というか固執するようでーーその穴を付いた人買いに軍配が上がった。真っ赤な面で(ほぞ)を噛む頭の姿は、多少愉快だった。

 俺は胸がすいた思いを抱えて、その人買いに連れられていった。




 その後も、他の人買いの手を点々と渡りながら様々なものを見た。

 醜悪なものは多かったが、悪い事ばかりでもなかった。

 それらのお陰で俺は正式な契約ーー約束事は守られる事や、その抜け道を利用する手口も学べたしな。

 人の嘘を見破るのは、俺にとって簡単な事だった。

 そこに付け入る隙を見出だせば、いくらでも相手を出し抜けると理解した。

 けれど……実行するにはまだ早い。独りで生きるには俺はまだガキだったし、力も弱かった。

 俺はいつかこの売買(ループ)から抜け出す為にと、出来る限り周囲から隠れて情報を集め、知恵と力を身につけていった。




 数年そのまま巡り巡って、俺は寂れた集落へと連れて行かれた。

 村全体に目眩ましの術が施された隠されし村だった。ーー何故かそうだと、俺には分かった。

 そこで俺を待ち受けていたのは、フードを被ったいかにも怪しげな集団だ。

 その異様な雰囲気は今まで感じた中で一番、俺の危機感を煽った。

 警戒心を強めてそいつらを見据える。

 すると淀んだ目をしたそいつらは、そんな俺を見るなり「素晴らしい!」と絶賛しーー今までで一番の高値をつけて俺を買った。

 俺と人買いは余りの大金に目を剥いた。

 思わずといった風に「どうしてそこまでの買値を付くのか」と人買いが問い掛けた。俺も気になったので、口を挟む事なくそれを聞いた。

 曰くーー俺は神の恩恵を受けていて、並々ならぬ神力を宿しているんだとそいつは語った。


「これぞ、我等が長年求めていた『テオブロマ』である」


 そう言って男は人買いのその手に金を握らせた。

 言い値より更に重量のある袋ーー口封じの分が含まれているんだと、俺にも分かった。

 人買いはそれ以上深入りする事なく、さっさと村から出ていった。




 神力ーーそれは肉体の力じゃない、不可思議な現象を引き起こす神の力。ここへ来て漸く、俺はその存在を知る事になった。

 誰しも多少は生まれつき力を有していて、修行で力を増す事が出来るらしい。……各々の素養やらセンスで、その結果はかなり変わるらしいが。

 つまり、俺はそれをすっ飛ばして強力な神力を得ているって訳だ。

 何とも、知らずにズルしたみてぇで腑に落ちねぇが……そうなっちまってんならしょうがねぇわな。

 全ては翼神様の思し召しだ。俺のせいじゃねぇ。

 そんな事を思いながら俺は手元の資料を読み耽った。

 怪しげな村人達の目を盗んで、隠された資料などから力の使い方を学んでいった。

 海賊船出身のならず者には、それらを見付け出すなんて容易だったからな。少ない資料から何となく概要を呑み込む。

 嵐の夜。試しに隙を見て裏山に隠れ、その神力とやらを使ってみた。

 ーーあの時は山火事になりかけてかなり焦ったな。思った以上の火力が出ちまった。

 運良く、近くで落雷があったからそのせいだろうと処理された。

 天災と同じレベルかよ……と己が所業ながら少し戦慄もしたが。

 ーーもっと慎重に、神力を使いこなす訓練をしねぇとならねぇな。




 都合の良い事に、資料室以外にも簡単に忍び込めた。

 奴等は外から来る輩の警戒は厳重だが、そのせいか中の警備はかなり甘く、時折誰かが見回る程度だった。

 お陰で、慎重に行動すればガキ一人抜け出そうが動き回ろうが奴等は気付きもしなかった。

 いずれ逃げ出す練習も兼ねて、俺はひっきりなしに村中を探索した。

 ちっぽけなその村には一つだけ大きな屋敷がありーー俺もそこに収容されてたんだがーーその奥に、鍵付きの扉を持つ部屋が幾つもあった。

 檻をイメージさせるその部屋の中には、誰かが閉じ込められてるようだった。

 そう、この村にはーー神力を持つ人間が集められていたんだ。

 何の意図か知らねぇが、人種問わずあちこちから拐ったり買ったりしているらしい。ーー俺と同じように。

 じゃあそいつらも俺と一緒で神力が強ぇのかと思ったら……そうでもねぇみてぇだ。

 俺には神力が色として見える。ーーけどそいつらは俺が部屋に近付いても、俺の神力にまるで気付かなかった。

 見えてない……分からねぇんだと気付いた。

 集められたそいつらは精々明かりを灯すような……そんな些細な神力しか扱えねぇようだ。

 それでも常人よりは凄ぇんだろうが、俺との力の差は歴然だった。

 俺は残念なような、仄暗い愉悦を覚えるようなーー複雑な思いを抱いた。




 季節が過ぎたある日。ーー突如村にその声は響き渡った。


「おのれっ!貴様らなぞ塵一つ残らず燃え尽きてしまえ!冥府の業火にて、魂ごと燃え尽きろーー!」


 丁度部屋から抜け出していた俺はその声の方へ向かい、物陰からその様子を伺った。

 ーー今は昼前。なのに、ありえない闇色が目についた。

 驚いた。引っ立てられる様に跪かされたその子供ーー俺と同じ年の頃かーーは、俺が今まで一度も目にした事がない色を有していたんだ。

 髪も目も暗い。漆黒……とまではいかないが、夜の闇を彷彿とさせる紺色。

 ーーそれはその身に纏う神力も同じだった。

「馬鹿め!東族を掴まされるとは」

「なんと不吉な……見よ、この全ての神々に見放されし闇色。おぞましい祟りの前触れぞ」

「すぐに結界の外へ出せ!我等が神のお怒りを買う前に、即刻始末せよ!」

 引き摺られていくその子供がその後どうなったのかーー俺には知る由もなかった。




「稀な力であったのに……惜しい事をしたな」

「馬鹿言え!あの闇色を見たであろう?いかに高い力であろうと、穢れし東族では役立つどころか(わざわい)となろうぞ」

 その夜、大人共は屋敷の広間に集まり会議を行っていた。

 あいつはーー処分されたみてぇだな。

 屋根裏からその様子を覗きつつ、俺は脳裏にあの闇色を思い浮かべた。

 ーー悪く思うなよ?俺に助ける義理はねぇし、あそこで出れば、いくら俺だって命はなかったろうしな。

 こいつら俺を重宝してるみてぇだから、もしかしたら助かったかも知れないが。リスクが高過ぎる。

 何より、こうして部屋を抜け出すのは難しくなるだろう。それは勘弁だった。

 俺は生きる。ーーいずれここから脱して、自分が思うように生きていくんだ!

 そう決意を新たにしているとーー事態は、思わぬ方へと進んでいった。

「闇の民をこの地に入れてしまったのは我等の不徳の致すところーー神にお許しを乞わねばなるまいて」

「如何用にして?いまだ贄は育ち切っておらず、儀式に使えそうな者などーー」

 儀式?いかにも怪し気な単語を聞き、俺は意識を広間へ戻した。

「おるであろう?ーー我等が求めたあの『テオブロマ』が」

 テオブロマ。ーーその場を仕切る村長(むらおさ)の言葉に、聞き覚えがあった。

 背筋に言い様のない悪寒が走る。

 まさかーー。

「月満ちし明日の夜ーーあの橙色の子供を贄に、儀式を執り行う」

 間違いねぇ。

 ……それ、俺の事じゃねぇか。

「直ちに準備に取り掛かれ」

 どくどくと耳元で心臓の音が煩く響く。

 普段意識もしないのに、広間(した)の奴等に気付かれるんじゃないかと思う程音がでかい。

 ーー皮肉にも、今俺は生きているんだという実感が持てた。

「だが……あれはまだ器が小さく、儀式には適さないのではないか?」

 ざわざわとし出したそいつらの中から、誰かが疑問を投げ掛けた。

「そのような事を言っておる場合ではなかろう。穢れを村へと持ち込んだ、その申し開きを神へ致す事が何より先決」

「あの類稀なる神力があれば、多少幼くとも問題になるまいて。補って余りあるからこその『テオブロマ』なり」

「そうだそうだ。神も供物が質高きものであれば、多少幼くともお喜び下さるであろうよ」

「そうと決まれば場を整え次第、あの子供を祭壇へ繋げ。満月夜の訪れを、神力満ちし血で迎えようぞ」

「然りーー杯の準備も怠るな」

 まさかーー今、俺の中で暴れ狂ってるこの血を……こいつら、飲むつもりなのか?

 ぶるりと体が芯から震えた。悪寒と嫌悪感とで、精神が焼き切れそうだった。

 茫然とする頭の傍らで、ここから離れねぇとって意識は働いたのかーー気付いたら俺は、自分の(へや)へと戻っていた。そのまま、薄い布団に潜り込む。

 ーー今すぐ逃げ出すべきなんだろうが、脱け殻になったみてぇに頭が空っぽで……何も、考えたくなかった。馬鹿みてぇに、ショックを受けていたんだ。

 ーー俺は慢心していた。珍しいって理由だろうと、どんどん俺の買値が上がっていったから。

 俺には価値がある、必要とされているとーーそう、勘違いをしていたみてぇだ。

 その結果が、これか。

「……ははっ」

 ざまぁねぇ。何も、特別な事なんかなかったんじゃねぇか。

 俺も他の(やつら)と一緒だった。

 俺が『テオブロマ』と呼ばれていたのも、単に神力からくるランク付けのようなものだったんだろう。

 特別なんて、欠片もありゃしねぇ。

 高品質だろうが廉価品だろうが用途は同じ。ーー使い捨ての贄。神への貢物でしかない存在。


 俺自身に価値なんてものはーー端っから無かったんだ。


 理解すると更に力が抜けたような、何もかもがどうでも良いような気になってきた。

 もういい、やめだーー俺はもう逃げらんねぇ。

 覚悟を、決めよう。

 それはーー生贄として、このどうしようもねぇ身を差し出し、こいつらが真の神と崇める存在に贄として喰われる運命を受け入れる事ーーなどではなく。


 ーーこの村、邪教徒共、その神すらも諸共すべからく。

 全てを燃やし尽くして塵にしてやろうーーと。


 あいつとは縁もゆかりもないし、こんなの余計なお世話かも知んねぇだろうが……。

 ーー俺が、お前の怨嗟(えんさ)に応えてやろうじゃねぇか。




 次の昼日中、俺は祭壇へと連れていかれた。

 村全体が悪趣味に飾り立てられ、いかにも怪しい村がより一層不気味な様相を呈していた。

 だからだろうか……村人達が(にわか)に慌ただしい。

 ーー神様に会えるからって、気忙になってんのか?

 不審に思いながら、大人しくされるがままになっていると、手足や口、首も機具で固定された。

 目隠しをされる前にちらりと上を見たら刃が見えたーーこれは斬首台なんだろう。

「……まだ日は高いが致し方ない。(きゃつ)等がこの村に気付く前に儀式を行い、急ぎ術の強化を施すのだ」

 鋭敏になった耳がそんな話し声を拾った。

 ーーこんな辺鄙な村に、誰か近付いて来てんのか?

「このような時に何と間の悪い……!」

「これも試練であろうか。乗り越えしその時、我等の信仰がより確たるものとなろうぞ」

「なれば尚更成功させねば。ーーさぁ、急げ!」

 ばたばたとその場を行き交うそいつらの話から現状を察するーー予期せぬ事態に陥ってるようだ。

 儀式を間近に控えたこの時に、タイミング悪く複数の人間がこちらに向かっているんだろう。ーーここを邪教の村と知っての事か、偶然かは定かじゃないが。

 誰だか知らねぇがーー残念な時に来たな。

「長、整いました」

「うむーーこれより、強壮の儀を行う。集え同志達!」

 ざざっと気配が動く。村長が俺のーー斬首台の前に来たようだ。

「我等が神のテオブロマよ。今日この時、我等の信仰の(いしずえ)となる事を誇りに思うが良い。その神力は神に遣える我等を高め、より強固な信仰と成り得るのだから」

 誰が誇るかそんなもん。

 さも厳かそうに(のたま)われたそれに、俺は苛立ちも含めてーー体の奥で神力を高める。全てを、燃やし尽くす為に。

 こいつらが成功を確信した瞬間ーー絶望と恐怖のどん底に突き落としてやる。

 ーー誰かさん達は態々ご足労くれたんだろうが……この村を残すつもりは更々ねぇよ。

 悪ぃが、塵芥(ちりあくた)となった更地で途方に暮れてくれ。

「ーー我等を加護せし邪神よ 。此度はこのテオブロマをもってその怒りを収め、我等に更なる恩恵をもたらしたまえ!」

 村長の合図と共に、斬首台がぎりっと軋んだ。

 ーー今だ!

 村の全域に、爆発するように一気に神力が広がるーー!


 ーー俺のではない、神力が。


「ーー全員、動くな!」


 鮮烈なその声に場に響き渡った。瞬間、がががががっ!と何かが大量に地面に突き刺さるような音が轟いた。

 ーー何事だ!?

「邪教の徒を捕らえよ!」

「ぐっ!」とか「うがぁ!」とか奴等の悲鳴が上がる。ーーが、俺の身には何の変化もない。

 周囲を探ろうと探知してみれば……どうやら、この場に噂の連中が到着してしまったらしい。

 神力を持ったそのご一行様によって、次々に村人共が拘束されているようだった。

 ーーおいおい……俺の中で、神力(ねつ)(くすぶ)ったままなんだが?

 肩透かしを食らった心地で、身の内のそれを持て余しているとーーそいつは、俺の前にやって来た。

 ーー瞬間、敗北を悟ってしまった。

 やべぇな。俺は、とことん(おご)ってたみてぇだ。

 探るまでもなく分かる。目の前のーー目隠しで見えねぇがーーこいつは、俺と同等かそれ以上に強ぇ。上には上が居るもんなんだなと、こんな時に世界の広さを思い知った。

 この場を一瞬で押さえ込んださっきの術もこいつの仕業だろう。

 多分、俺がこの村を全力火柱で塵にしようとした所で、即座にこいつに消し飛ばされるのがオチだ。くそっ。

 そんな場違いな腹立たしさと、不完全燃焼の八つ当たりにーー俺はそいつへとガンを飛ばした。

 見えてねぇんだろうが……視線には気付いたらしいそいつは、俺の目隠しを外そうと手を伸ばしてきた。

 面白ぇーーその面ぁ、しっかりと拝ませて貰おうか。

 憎きライバルを目に焼き付けようと、俺は開けた視界全てでそいつを見遣った。


 ーー確かに、目に焼き付いた。

 同時に、燻っていた熱も一気に燃え上がった。ーー別方向に。


「ーーご無事ですか?」

 目線を合わせるようにか、そいつが俺の前に跪ずいた。ウェーブのかかった長い金髪が、ふわりと視界で揺れる。

 涙に潤んだ金の瞳、(うっす)らと染まる目許、きゅっと結ばれた桃色の唇ーー何故かそいつは、俺以上に悔しそうな表情をしていた。


 凄ぇ悔しそうなのにーー凄ぇ、綺麗だった。


「……このような扱いを受けている時点で、無事とは言い難いですね。ーーモンス!この方の枷を外して下さい」

 何やら指示を出す同年代の少女に、俺の視線は釘付けだった。次々と拘束は外されていったがーーそれにも気付かず囚われたように彼女を見続けた。

 ピクリとも動かない俺にその子も訝しく思ったのか、窺うように覗き込んできた。

 ーー陽の光を受けて輝く金の瞳が、どんな宝石よりも美しいと思った。

「……?あまりのショックに放心されてるのでしょうか」

「ーークリスティアーチェ様。これは放心ではないと思いますのぅ……ある意味では、そうとも言えますでしょうがなぁ」

 耳ではその子と爺さんの会話を聞いていたが、内容の把握にまで頭が回らない。

 澄んだ、耳に心地好い声だと感動していたーーその時。

「聖女様!謂れのないこの拘束を解いて頂きたい!ーー我等は邪教徒ではありませぬぞ!」

 無粋な村長の怒鳴り声が、余韻をぶち壊して響き渡った。

 ーーだあぁっ!(うっせ)ぇ!今、その耳障りなダミ声を聞かせんなぁぁぁっ!

 怒気を込めてそちらを睨み付けると、地に突き刺さった幾多もの煌めく光の矢ーーその数本によって地に縫い止められた村長がいた。

 さっきの音の正体はこれか。

 鮮烈な神力を感じる(それ)から抜け出せず、標本の虫みてぇな姿は無様としか言いようがない。

 そんな格好でも何とか憐れみを誘う表情だけは取り繕って、少女に訴えかけてくる。

「聖女様は誤解をされておりまする。これは、我等の村の催しでありますぞ。ーー窮地に陥りし子を村人が助ける事で、村の団結と子供の成長や無事を祈るというーー我が村に伝わる風習なのです。邪教の儀などではございませぬ!」

 ーーこいつ、おおぼら吹いて誤魔化すつもりか!

 嫌悪感も顕に俺は村長と、少女の仲間に捕縛されつつある村人達を見遣った。誰もが「村長の言う通りです!」、「邪神など知らぬ!」と口を揃えて喚き散らしている。

 今まで散々、我等が神が唯一絶対だ云々(うんぬん)と……さも信仰篤い使徒の如く自分達を語ってやがった癖に。

 変わり身の早い事だ。信仰より保身を取るつもりらしい。

 ーーそうやって、その場凌ぎの虚言だろうと神への儀を簡単に偽るから、お前らいつまで経っても加護の一つも貰えねぇまま弱ぇんじゃねぇの?

 んな自業自得に、儀式だ何だと人を巻き込んでんじゃねぇよ。

 特に、この子を巻き込むんじゃねぇ……!

「風習……?これが、ですか」

 その子が訝しげに辺りを見回す。その動きに合わせてふわりと揺れる金髪が目の保養ーーいやいや、見る所違ぇだろ俺!

 視界に広がるのは、動物の骨や蝋で作られた不気味な形代(かたしろ)や、やけに甘ったるい匂いの香が焚かれた篝火。極め付けに、俺が捕らわれてた斬首台ーー騒ぎの際に散乱したのか、より混沌としていた。

 これを見て、誰が村の風習なんて言葉を信じるってのか、逆に訊いてみてぇよ。

 ーーあぁ分かる。どれ一つ取っても、怪し過ぎる(よこしま)な儀式の場にしか見えねぇよな。

 半眼になった少女の内心に多いに同意する。ーー風習なんて言い分は、無理あり過ぎだ。

「外の者である貴女様がお疑いなさるのも無理はないであろう、だが真実でありますぞ!ーーそれに、我等が邪神を崇めているという確たる証拠もありますまい!」

 必死の態で訴えるその傍ら、村長の口元が刹那にやりと弧を描いたのを、俺は見逃さなかった。

 この場を切り抜けられる自信があるんだろう。ーー現状だけで異端審問にかけるには弱いと。

 過去に、聖職者が善良な民を無実の罪でもって裁いたという史実がある。その末路はーー民の暴動による、教会の破滅が大半だ。

 理不尽な教えに抗う民衆は結束が強く、鎮圧するにも厄介なのだ。

 民にそうそう決起されては敵わないーーと考えたお偉方は、審問に関するありとあらゆる厳しい法を設けた。それにより、確固たる証拠が無ければ国の財産である民を貶めてはならないとされている。

 法関係は(にわか)知識しか詰め込んでねぇ俺でも、それ位は知っていた。聖女ーーこの国の最高聖職者である存在が、それを知らぬ筈がない。

「無論の事、お好きなだけこの村を調べて下さって構いませぬ。じゃが……証拠が見付けられなき場合、我等のこの不名誉に対し如何に責任を取って貰えるのかーーとくお考えを」

 この野郎!ふざけた身の潔白を訴えるだけに飽き足らず、ふっかけてきやがった。

 ーーおいこら、調子に乗ってんじゃねぇぞ!

 ふぐふぐと猿轡(さるぐつわ)越しに罵詈雑言を並べ立てていたら、気付いた爺さんがそれを外しにかかってくれたので大人しくした。ありがてぇ。

「我が村はこう見えて、目にかけて下さる帝都の貴族様方がおりましてな。ーー聖女様も、やんごとなきお歴々と事を構えるのは避けたいのでは?」

 黙り込んだ聖女様に何を思ったのか、隠し切れない優越を滲ませて村長が言ってきたーーが。

 ーー嘘だな。関わりはあっても、後ろ楯なんて期待出来る関係じゃねぇんだろう。

 俺にとって、嘘を見極めんのは至極簡単な事だった。ーー目に見えて、分かるんだ。

 例えるならそう……水の中に一滴インクを垂らした時みてぇに、そいつの纏う色がじわっと滲むんだ。

 それは取り繕う内に分からなくもなるが、濁りが綺麗に消える訳でもねぇ。布についた汚れみてぇにそいつの最奥に染み入る。

 人はそのままズブズブと嘘に浸かっていると、終いには自分を嘘で塗り固めてねぇと安心出来なくなっちまう。

 濁り切った視界で、淀んだ思考に囚われるーーそんな輩は少なからず見てきた俺だ。見極める目は確かだと自負している。

 村長がどんどんその色を濁せるのに対してーーこいつは、どうだ。

「いえ、寧ろ好都合。ではその貴族様方も交えた審問を開きましょうか。幸いにして、聖都の懺悔室は広く造られておりますので、皆様纏めて招待させて頂きますよ」

 どこまでも毅然と、清廉と。欠片も動揺を見せない凛とした佇まいに、逆に村長の勢いが削がれていった。

 ーー淀みなんて一点もねぇどころか、内側から輝くように澄み渡ってやがる。

 持てる莫大な神力の賜物か、この子の生来の魂の色なのか……。

 こんな人間を見るのは初めてだった。もしや人じゃねぇのかと思えてくる程だ。

「そこで全ての罪は暴かれましょう。ーー贖罪せよ、邪教徒共」

 厳かに響く断罪の託宣。

 ーー少女のその神々しさすら帯びた姿は、正しく神と崇めたくなるものであった。

「……っ!ならばやってみよ!神の恩恵に(あやか)っただけの生意気な女子供になど、我等を暴きようがないだろうがなぁ!」

 小娘如きに圧倒されたのが余程屈辱だったのか、頭に血が上ったらしき村長は少女をーー俺の女神を、罵った。

 ーーぷちん、と。俺を戒めていた猿轡と同時に何かが切れた。

「ふっざけんな!このくっそ野郎がぁぁぁぁぁっ!」

 全ての拘束から自由になった俺は即座に特攻、咆哮を上げながら目を見開く村長に右拳を見舞った。

 子供が大の大人をーーといっても神力を纏った拳であったがーー数メートルも殴り飛ばした。村長の体は怪しい香の漂う篝火を二、三本薙ぎ倒してから漸く、地に落ちる。

「ーー往生際が悪ぃにも程があんぞ!その上、聖女様を手前ごときが侮辱するたぁ良い度胸じゃねぇか……!手前らが崇める邪神共々、業火で焼かれる覚悟は出来てんだろうなぁっ!?」

 その時、俺の怒りに神力が呼応し、足元から天高く火柱が(ほとばし)った。

 闘神たる五翼神の片鱗を目にして、村人どころか聖女の仲間もが顔を青ざめさせる。

「じ、邪神などと、何を証拠に……」

 ふらふらと起き上がりながら血塗れの顔を向けてくる村長に、俺はビシリと人差し指を向けた。

「証拠だぁ!?んなもんこの村のそこかしこに腐る程あんじゃねぇかよっ!ーー手前の部屋の本棚裏の隠し金庫に入ってる邪神召喚陣とか、集会所地下通路の石壁の中に仕舞われた儀式用備品の闇取引の目録だとか、色々よぉ!」

「な……っ!?」

 村人達が顔面蒼白で驚きの声を上げる。それは村の重鎮達でさえも全てを知らされていない隠所ーー村の特秘事項(トップシークレット)だからだ。当然俺が知ってるなんて思いもよるまい。

「く、下らん!そのような戯言を誰が信じるものか……」

「召喚陣の下ーーいくら隠し場所にうってつけだからって、いかがわしい本まで一緒に隠してんじゃねぇよ!何かと思ってつい見ちまったじゃねぇか……!どれもマニアック過ぎんだよこのエロ爺!返せよ、俺の純心っ!」

「わ、儂の秘蔵コレクションーー!?しっかり見ておいて被害者面をするな、このマセ餓鬼めっ!」

 殴る前よりも溢れんばかりに目を見開いた村長が、元から鼻血まみれの鼻を押さえながら俺を非難してきた。

 ……まさか、本の内容思い出して興奮したとかじゃねぇだろうな?

 村人までもが「うわぁ……」とドン引きする中ーーこほんと一つ咳払いをして意識を切り替えたらしき聖女様は、俺に問いを投げ掛けてきた。

「どうやら……かなり信憑性があるようですね。ーーけれど、囚われていた筈の貴方がどうしてそれを知っているのです?」

「俺は海賊船で育った荒くれ者でな。宝の隠し場所には鼻が利くし、強固な鍵だろうと大抵は開けられんだよ」


 それは海賊船に居た頃ーー船員の一人に鍵開けの名手がいた事が起因だ。

 そいつは自慢話が大好きで、自分の手練手管を得意気に皆にひけらかすものだから……見事に船の全員がその技術を習得してしまった。

 己の存在価値(アイデンティティー)喪失の危機に焦ったその男は、より複雑な鍵を、より困難な鍵を開けられるようにと自分を高め……。

 ーーそれを成し遂げるや否や、堪え切れずまた技術(じまん)を披露するという悪循環を幾度となく繰り返していたんだ。

 その結果、末端の末端だった俺にまで鍵開けの真髄みてぇのが伝わってきて、習得に到った訳だ。

 ……そいつが阿呆で良かったと、今しみじみ思う。


「そいつらは俺を部屋にずっと軟禁してたつもりなんだろうがな?俺はその間にしょっちゅう抜け出して、片っ端から情報を漁ってた。お陰で、俺は誰よりもこの村の内情を知ってるぞ」

 お前らのへそくりの保管場所もな、と続けると村人達の顔色は益々悪くなりーー何故か、俺の拘束を解いてくれた爺さんがほっほっほと笑い出した。

「よもや、囚われし羊が己が首を絞める大蛇(おろち)に転じるとは誰も思うまいのぅ。ーーいやこの場合、羊の皮を被った狩人であったのか?これはこれは。こ奴ら、思いもよらぬ伏兵を身の内に抱え込んでおったようですのぅ」

 爺さんは「節操なく集めるからこのような事になるのじゃ」と笑い続けた。

「ーーまぁお陰で、しらみ潰しに探す手間が省けますが」

 腹黒なのに好々(こうこうや)然と笑う爺さんに応えるようにか、少女もまたうっすらと笑みを浮かべて見せる。ーー可憐だ。

 けどな、喜んでくれてるとこ悪ぃんだが。

「俺はまだ、あんたらに全部教えてやるなんて言ってねぇよ?」

 ーー二人の笑みは瞬時に消え去った。猛禽を思わせるような鋭い目を向けられる。

「それは……どういう事でしょうか」

「……勘違いすんなよ?俺がしてぇのは敵対じゃなく、取引だ」

 その威圧に気圧されかけーーすんでの所で堪えた俺は、少女と真っ向から向き直る。

 交渉は足の引っ張り合い。呑まれた時点でそいつの敗けだ。

 俺は内心の冷や汗をひた隠し、不敵に笑って見せる。

「こいつらが邪神信仰者だって証拠品を全部、あんたらに提供してやる。その代わりにーー俺の身を聖女様に預かって貰いてぇんだよ」

 俺に説得なんて上手く出来るのかーーいや、やってみせる。

 これまでの経験(じぶん)が無駄じゃなかったって事を……ここで、証明してやる。

「私に、ですか?」

 当然だろう疑問を浮かべる少女に向かって、俺は説得を重ねる。

「俺は全てを独学でこなしてきたんだが、神力に関しちゃ情報も少ないせいで、ほぼ手探りな状態なんだよ。加護とやらを身に宿す者としてこれは、あまりに危なっかしいと思わねぇか?ーーだから、他ならぬあんたに俺を導いて欲しい。俺より強くて詳しいだろう、聖女様にな」

 さも(もっと)もらしく言葉を紡げばーー一理あると思ってくれたのか、彼女は思案するように瞳を伏せた。。

 長い睫毛が影を落とす目元はそこはかとなく色っぽいーーぐっ、場を慎め俺……!

 実際の所、今の俺にはこの後の行き場がない。暫くはこいつらの元に留め置かれるだろうが……この件が終われば最悪、路頭に迷う羽目になる。

 ここで拾って貰えなけりゃ、俺のお先は真っ暗だ。折角生き永らえたのにそれは、あんまりだろ。

 それに何よりーー俺は、この子の側に居てぇ。

 色んな意味で唾を呑み込んでいるとーーその目元を押さえ「これがアンヌ様のお導きか……」とぽつり、不思議な事を呟いてから聖女様は顔を上げた。

「ーー宜しいでしょう。同じ神力を持つ者として、貴方の導き手は私が請け負います」

 凛とした表情に一切濁りは無いーー嘘じゃねぇな。

 よっしゃ、言質取ったーっ!と内心ガッツポーズを決めたーー所で、横槍が入ってきた。

「クリスティアーチェ様、それは些か短絡的ではないですかのぅ?そうでなくとも聖女とはこの国を担う重責ある身。態々自らの懸念材料を増やす事もありますまい。ーーこの者は儂にお任せ下されよ」

 爺さんが名乗りを上げてきた。俺の身元引き受け人になりてぇとは、酔狂だな。

 ーーなんて、この聖女様の為なんだろうけどよ。

「いいえ、モンス。ーー彼を導くとなれば、先程の神力を抑え込める者でなければならないでしょう。ならば私が適任です」

 聖女様が「心遣い、感謝します」と労えば、その言葉で爺さんは折れたようだった。

 どうやらさっきの火柱が功を奏したらしい。恩恵をくれた翼神に、初めて心から感謝した。

 よくやった俺。やりゃあ出来るじゃねぇか!

 グッと内心でなく拳を握ると、その手に暖かく柔らかい物が重ねられた。

 ーー彼女の手だった。


「これからどうぞ宜しく。ーーその勇気と行動力は、何物にも代えがたい貴方の美点。今回の件において、その貴方の力は必要不可欠です。私には、貴方が必要です。是非ともご協力をお願い致します」


 ーーこの時のアーチェからして言えば「これ以上、抜け目無い(こいつ)から条件を出されたら堪らない。ちょっと誉めそやしておいて、さっさと同意を引き出そう」という魂胆だったようだが。

 単純且つ、未だ純心が残っていたらしい俺はーーその言葉を鵜呑みにした。

 誰かに必要とされたい。神力だけじゃない俺の価値を認めて欲しい。常に羨望していたそれをーー他ならぬ、この少女から与えられたんだ。

 その時の俺の感無量っぷりときたら……とても言葉じゃ言い表せられねぇな。

 とにかく、俺はこの時心から誓ったんだ。


 ーーこいつに一生ついていこう。何があろうとも、俺がこいつの味方であろうってな。






「……おい。何ぼーっとしてんだよ、テオ!」

 その言葉に我に返った俺は、視線をそいつーーディアンへと向けた。

 あれから時は流れて、俺もこいつもでかくなった。

 今も尚、あの時の誓いは健在でーーこいつに実は男だと告げられてからも、もうアーチェになれなくなった今もーー俺はこいつの側に居る。

 アーチェの事は実に惜しい気もしたが、漸く未練が断ち切れたと開き直るしかない。

「あー……少し意識飛んでたか。ーーもう俺、辞めて良いか?」

「駄目に決まってんだろが!まだまだ書類は山積みだぞ、とっとと片付けろよな」

「お前本当、こんなのよくやってたよな……。あぁアーチェ、帰って来てくれ……」

 本当、実に惜しいーー未練断ち切れてなかった。たらたらだった。

「馬鹿な事言ってる暇に手を動かせよ!聖女代理(おまえ)が決済しなきゃならねぇのが殆どなんだよ。他のは俺がやってやってるんだから、いつまでも不満垂らしてんなよな!」

 机に突っ伏していると、丸めた書類でぱしーんっと後頭部を叩かれた。

 こいつーー俺に男だと打ち明けて以来、俺に遠慮がなくたったし口も悪くなったよな……。

 何でだと考えてーーそういや「男だったら一人称は『俺』だ!敬語も止めろ紛らわしいだろがっ!」と涙目で訴えたのは他でもない、俺自身だった。

 そうか、自業自得だったか……。

「ほら起きろ!これ終わったらまた小鳥ん所行くんだからな。早くこの仕事地獄から抜け出したいんなら手伝え、とっとと次代捕まえるぞ!」

 恨めしい思いでディアンを見る。やけにやる気に満ちてんなと思ったらーーそういう事かよ。

 本人に何度突き返されても懲りた様子はなく、寧ろ嬉々として会いに行っている。

 まぁ俺も、小鳥の作る上手い飯目当てに喜んで便乗してるがーーこいつはそれだけじゃねぇなと、長年つるんできたからよく分かる。

 かなり強ぇ恋敵が飼い主としてついてるが……まぁ、ディアンも色々吹っ切れちまった今、諦める要素にはならねぇわな。

 厭世感漂わせてた過去とは違い、色々と燃えてるディアンにせっつかれて、俺は溜め息を吐きつつ渋々ペンを持ち直す。

 インクに浸けた所で、ふと……これに似た沼を出現させるあの従者が思い浮かんだ。

 ーーそういや、あいつも闇色だったな。

 思い出すのはあの村で見た少年ーーもしかしたら、あいつと同郷だったのかも知れない。服装も、どこか似た雰囲気があったような気がする。

 国が違えば文化が違う。となれば、その名にも違いがあって然るべきだとは思うがーー。

 ……それにしても、小鳥に変な呼ばれ方してなかったか?あいつ。

 あれが他国の現名(うつつな)なんだろうか。ーー違う気がしなくもない。


 確か……そう、こう呼ばれていたな。

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