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ディアン

ディアンとテオの昔話です。

「……創世神のご威光が、世を(ことごと)く照らしますよう。我らに、未来永劫の恩恵をーー」

 一人祈りを終え、ふっと息を吐く。瞳を開き首を(めぐ)らせれば、腰まで伸びた黄金の髪が視界の端でふわりと揺れた。

 ひと気のない空間ーー私の回りにはいつも、誰も居ない。

 九日に一度の九祭礼。一般の民に解放される祈りの刻ーーそれを既に終えたこの大聖堂に誰かが居る筈もないのだが。

 信者も皆帰路に着いたか、表の祭騒ぎへと向かったのだろう。笛の音や太鼓、高らかに響く歌姫の歌声ーー祭囃子が絶えず鳴り響いて場を盛り上げているようだ。

 流石に祈りの間は防音の術を使い遮断するがーーそれを解いてしまえば、こうして聖なる空間にも俗世の音は陽気に入り込んでくる。

 ーー毎度の事ながら、よく飽きもせずに騒げるものだ。

 しかも今日は一大式典があったからか、聖都全体が殊更に浮かれているようだ。普段よりも騒がしい喧騒と、賑やかなはしゃぎ声が聞こえてくる。

 ーーまぁ、それだけ平和だという事だ。喜びこそすれ、呆れる事ではないと思っておこう。

 とりとめのない事を考えながら参列席に座り、ぼうっと創世神の像を眺める。

 ステンドグラスからの夕日が、雄々しく神々しく(そび)え立つ御神体ーー創世神の像へと色鮮やかに降り注いでいる。純白の筈の像は夕日も相まって、いつになくその身を多くの色に染めあげていた。

 陽を帯びる八翼の像はどこか危うく、今にも羽ばたきこの場から飛び立ってしまいそうでーー。

「お疲れになりましたか、クリスティアーチェ様」

 ふと背後から声が掛かった。振り向くと、初老に差し掛かった頃の美しいご婦人がこちらへと歩みを進めていた。

「お隣宜しいかしら」

「ええ、勿論ですーークリスティアンヌ様」

 座る長椅子に余裕はあったが、私は半身をずらして相手を招いた。

 そこへ優雅に腰掛けたその女性は、クリスティアンヌ様。淡い金髪を纏めゆったりとした法衣に身を包み、穏やかな笑みを湛えている。その姿はまるで聖母そのもののようだった。

 そう思うのも無理もない。今日まで正しく聖母ーー聖女であらせられたお方だ。

「アンヌで宜しいですわ。もうわたくしは聖女のお役目を貴方に託しましたからね。ーーもしくは、大叔母様とお呼びなさいな」

 どこか茶目っ気のある眼差しで小首を傾げられる。私より一回り……どころか五回り以上も年嵩である筈なのに、違和感なくそれが出来る愛嬌がおありな方だ。

 ーー紛れもなく血縁者である筈なのだが。アンヌ様と私では何一つ、似ても似つかないな。

「恐れ多い事です。私などが貴女様に気安く振る舞うなど、王都から非難が殺到してしまいますよ」

 自嘲気味に溢すのは真実だ。クリスティアーチェという聖女として輝かしい身分を戴いた身であれど、その実態を知る者は決して私を認めないだろう。


 失せ者ディアン。それが私の本来の姿なのだからーー。


 王女(あね)よりも優れた神力を持って生まれ、()の少女を失意により落命させた。私はその罪により王子の身分のみならず、男としての生すら剥奪された。

 神力によって多くのものを喪って廃されておきながらーー今の私は翼神に愛されたその高い神力を買われて今なお生き永らえ、人々に必要とされる存在にまでなっていった。

 ーーなんという皮肉。なんという矛盾だろうか。

 散々な己が身の上に思わず俯き自嘲するーーと、思いがけない力でぐいっと頬を挟まれて顔を上げさせられた。

 驚き目を瞬くと、目の前のアンヌ様は強い眼差しでこちらを見ていた。

「腐ってはなりませんよ、クリスティアーチェ様。綺麗なお顔が台無しですわ」

「……これは加護に因る仮の容貌なのですが」

 外見が麗しいと言われるのはその為だろうと暗に伝えると、アンヌ様は首を横に振った。

「そんな事はありませんよ。貴方はディアンの時だってとても美しいーーわたくしの血族なのですから当然ですわ」

 素敵な笑顔で断定された。何とも複雑な評価だが、これを否定などすればその血統であるアンヌ様を貶める発言になりかねない。……私は大人しく口をつぐんだ。

「言いたい事があるなら仰りなさい」

 言えと言うのか。無茶を仰る。

 いえ……と口を濁すと、憂いに満ちた溜め息を吐かれた。

「はぁ……気の置けない者が傍に居ないなんて、なんと不憫な子なのでしょうね」

「本人を目の前に憐れまないで下さい」

 私にそんな交遊関係など作れるものか。回りの聖職者は私に尊崇を抱きこそすれ、親しくなるなどないのだ。王家に嫌われたクリスディアンなど尚更、忌避される以外にないだろう。

「友人の一人でも欲しいでしょうね」

「いえ別に」

「そうですか。ではそんな貴方には、今度の視察でとある集落に立ち寄って貰いましょう」

「……は?」

 話の脈絡が掴めず呆けた声を上げたら、更に突拍子もない発言を落とされた。

「今度、新聖女お披露目も兼ねた巡礼がありますでしょう?立ち寄る港町の外れに集落があります。そこへお行きなさいな」

「お待ち下さいアンヌ様。……行程は既に決まっております。恐れながら、立ち寄るなどといった道楽を差し挟む余地は無いかと」

 そもそも、その集落とやらに立ち寄ってどうしろと仰るのか。

 まさかそこでお友達でも作れと言うのか。ーーそんな、馬鹿な。

 これは、この年代の方々特有の余計なお世話ーーお節介というやつだろうか。私などにそのような気を回さなくても……いや、真意は別の所にあるのだろうか?

 そんな混乱を極めた頭で何とか正論を説いたつもりだったのだがーー若輩者が、長年聖女を務めた女傑に敵う筈もなかった。

「予定は未定なものですのよ。わたくしにかかれば観光巡りだとて行程に組み込めますわ」

「……左様でございますか」

「えぇ、可愛い子には旅をさせてあげなくてはね」

 アンヌ様の勝ち誇ったような笑みを見て、私はもう反論する気力も失せた。

 ーーもう好きにしてくれたら良い。この方はやると言ったらやる人だ。

 私の降参を見てとったアンヌ様はふふふっと笑うと、内緒話をするように声を潜めた。

「素直な良い子には素敵な事を教えてあげましょう。ーーこれから貴方には二度、運命的な出会いが訪れますわ。今回の旅と、数年先で……。それは貴方にとって、得難いものを得る結果になる事でしょう。楽しみにして行ってらっしゃい」

 これはまさかーー予言、だろうか。

 アンヌ様が加護を得た二翼神は予知と過去視も司る。その恩恵により、アンヌ様が退けた国の危機は数知れない。

 実績を伴う信憑性の高いこの予言こそが、この方を永く聖女たらしめた所以(ゆえん)でもあるのだ。

 しかしーーその内容はどうなのか。運命的とはまた、妙な単語が出てきたものだが……私の運命とは如何に?

 どこか女性が好みそうなそのフレーズに、相手は男なのか女なのかも地味に気になった。

 まさかーーそれに因って、私の今後の性別が決定付くのだろうか。

 男としての存在は記録から既に抹消された。だが、クリスティアーチェという名で、女としての生涯を貫く事に抵抗が無いと言えば……正直、嘘になる。

 諦め切れないこの葛藤は、常に私に付きまとう。そんな弱い現状の私では、この先代聖女の言葉に惑わされずにはいられなかった。

 思わず、すがるような目を向けてしまう。

 その先の元聖女はというとーー目の前の次代が無様に狼狽える様を、むふふとほくそ笑みながら見ておられた。

 すっ……と冷める己を自覚する。

「……からかうのはお止め頂きたいのですが」

「まぁ、からかってなどおりませんわ。わたくしは誠心誠意、貴方を想っているだけですのよ?」

 誠心誠意面白がっている、の間違いではないのか?

 まんまとこの年長者に弄ばれた己を恥じつつ、面に出さぬようぐっと堪える。

「そうですか……ならば私はお心に応えられますよう、誠心誠意!初の巡礼に務めさせて頂きます」

 誠心誠意に力を込めてから、失礼しますと言って私は席を立った。

 こうなってしまったら、何が起ころうとも当代聖女としての気概を見せつける他あるまい。でなければ、いつまでも私はこの方の格好のからかいの的である。

 ーー貴女が育て上げた次代(わたし)が、如何に有能かご覧になれば宜しい。

 そう決意し没頭する私は、背中に向けられた元聖女の慈しみに満ちた視線に気付かなかった。






 結果として、私は初巡礼を華々しく飾ったと言えるだろう。

 各所での祈祷も恙無(つつがな)くこなし、偶然(を装って)立ち寄った集落は、実は邪教徒の本拠地でーー邪悪な儀式を行うそいつらを現場で取り押さえ、一網打尽にする事が出来た。

 港町付近で活動していたそいつらは、商船を襲う海賊達との繋がりもありーー近年苦しめられていた町の人々から大いに感謝され、新聖女として大層有り難がれた。

 この一件が広まり、聖女への人々からの畏敬と崇拝とがいや増したとか。

 ーー全く、アンヌ様様であるのだが。次代への餞別と思ってこの功績は有り難く頂戴しておこう。

 たとえ与えられた切欠であろうと、結果を成さねば意味は無い。私は正しくそれを勝ち取った故に、この成果は不相応ではない。ーーそれを見越して、あのお方は私に役目を振られたのだから。

 そして私は、この旅路にて思わぬ収穫ーーもとい、要らぬ拾い物をする事となった。

 これがアンヌ様の仰られた、運命の相手……なのだろうか。

 目下それはーー私の頭を悩ませる頭痛の種となっている。






 皆が寝静まる刻ーーその静寂を破る来襲者が訪れた。……私限定で。

「おいアーチェ。いい加減休んだらどうなんだ」

 あぁ……また来た。

 溜め息を吐く私を目にしたそいつは、開口一番にそう言ってきた。

 というか、ここは大聖堂の裏の秘された場所ーー隠し部屋ーーなのだが。

 どうして分かったのか、それは明白だ。熱探知ーー翼神の加護を使ったのだろう。

 今までもそうして、こいつは私がどこに居ようとも姿を現してきた。付きまとうそいつをやり過ごすつもりでここへ籠ったのだが……意味を成さなかったようだ。

 嫌がらせなのか?毎度毎度ーー静かに仕事をさせてくれ。

 内心うんざりしつつ、私は微笑を繕って声の主へと顔を向ける。

「貴方こそ、環境が変わって日も浅いのではさぞお疲れでしょう。もう夜も遅いですし、私の事は構わず下がってお休みなさい」

 そう言って扉へと促してから、私は手元に目を戻し、書類に羽ペンを向ける。だが、それはすぐに私の手からばっと奪われてしまった。

 うろんな目を向けると、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた橙色の瞳とかち合った。

「遠回しに言うな。はっきり言わねーと俺には分かんねぇよ」

 威張れる要素がないぞ、それ。

 奪った羽ペンでびしりと顔を指される。以前私が人を指差すなと言ったのを忠実に守っているようだがーー羽ペンでなら良いと言った覚えはない。

 なんて融通の利かない奴だ。それがここ数日で嫌という程根付いたこいつへの印象だ。

 正直、もう堪忍袋の緒が限界に近い。

「ーーでは、お望み通りはっきり申しましょうか。ここの生活を知らぬ、勝手の分からない者からの口出しは無用です。幼子ではないのですから、ふらふら出歩くんじゃありません。指導は担当の者が昼間行っているでしょう?夜は自室で大人しくいていろと言われなかったのですか」

 羽ペンを取り返し、お返しにびしりと顔を指してきつめに言葉を掛けてやる。日頃の憤懣(ふんまん)も込もって、吐き捨てるような口調になってしまった。

 少々言い過ぎたか。……だがこれでこいつも少しは懲りて、私から距離を取るだろうな。

 ーーと思ったのに、何故かそいつはにやりと笑みを浮かべて見せた。

「なんだ、皮肉も言えるんじゃねぇか」

 おい、今の言葉のどこに喜ぶ要素があった?

「いつも上っ面の綺麗事しか吐かねぇから新鮮だな。もっとそうやって言えば良いじゃねぇか」

 何故そうなる。……マゾか?これが巷で噂のマゾという奴なのか。きつく当たると快いタイプなのか?

 ーーくっ、いけない。聖女にあるまじき(アンヌ様から入知恵された)要らぬ知識が活用されてしまったな。落ち着け私ーー平常心、平常心。

「ーー言える訳がないでしょう。皮肉屋の聖女なんて需要ありませんから」

 誰も必要となどしないだろう。私だってそんな指導者は嫌だ。

「少なくともここにはあるぞ?」

 酔狂な。それはお前だけだ。

「俺はお前の本心の方が聞きてぇからな。それが皮肉になるってんなら好きなだけ吐き出せよ」

「それは何とも寛容な事ですね。貴方は本音であれば誹謗中傷も、罵倒ですらも受け入れると言うのですか?」

「まぁな。その後そいつがどうなるかは保証出来ねぇが」

 報復するんじゃないか。どこが受け入れているんだ。

「ーー少なくとも、おためごかしなんかよりゃそっちのがマシだな。お前だって、そんなのは聞き飽きてるだろ?」

 今までの軽口とは違う、実感の籠った声だ。こいつの経歴を思えば、頷く他無いとは思う。

 翼神の巨大な加護を身に宿す孤児など、大人達の格好の餌食とならない方がおかしい。ーーこいつはその力を使いこなせてしまったから尚更だ。

 時には武力として、時には神童としてーーそうして転々と売り買いされた挙げ句の果てに、こいつはあの集落に居たのだそうだ。

 邪神への供物ーー生け贄として。

 あの時、祭壇に戒められたこいつの姿を見た瞬間ーー私の全身は総毛立ち、足先まで激情が駆け巡った。

 それは怒りや怖れ、嘆きーー言い表し切れない様々な強い感情だった。

 何故かーーその瞬間、こいつと私の身が重なって見えたのだ。

 生まれながらにして(しがらみ)を背負い、理不尽を呑み、諦感を宿すーーその魂に共鳴させられた。

 私とこいつは同じだ。境遇は違えど同質の立場にあるーーそう分かってしまった。

 涙が出た。私の他にも耐える者がいるのだという現実に安堵しーー失望した為だろう。

 世に蔓延る無慈悲。こいつも私も同じ……その犠牲者だ。

 こいつも同じくしてそれを感じ取ったのだろう。それ以来、命の恩人だからというだけでなく私を慕い、事ある毎に周囲にまとわりついて来る。

 もしかしたら、仲間意識を持たれたのかも知れないな。

「手伝ってやるよ。そうすりゃその内、俺にも勝手が分かるようになるだろ?」

 それ故にか、こうして色々お節介を焼いてくる。ーーアンヌ様二号かお前は。

「ーーってそれ、また王都からか?前にも処理してたじゃねぇか」

「勝手に見ないで下さい。……はぁ、王都から再度要請が上がっただけですよ」

 こいつは無下にすると逆効果になる。多少協力させれば満足するだろうと、その書類を渡してやった。

 それは要約すると次のような内容だ。


 王都では此度の新生聖女の威光を讃えて、新たな聖堂を建設する。それの賛同を得たい。そして完成次第、聖女は祈りを捧げに王都へ参られよーー。


 この忙しい時に迷惑な事だ。そもそも王都ーー特に階級持ちの面々に信心深い者がどれ程いると言うのだろうか……。

 要は、国への求心と完成する聖堂の箔付けの為に私を利用したいのだ。

 私の名声が鰻登りな今、聖堂を造るというーーつまり、それにかこつけた寄付という名の徴収と、あわよくば邪教制圧という先の成功の尻馬に乗ろうという(こす)い魂胆だろう。それしか感じない。

 ーー王都の上層部は民の信心を何だと思っているのか。

 曲がりなりにも王都からの正式な申請だ。こちらも無下には出来まいと高をくくっているのだろう。お陰で、前回婉曲に綴った断りの文句はどうやら伝わらなかったらしい。

 これに関しては、何度来ようとも聖都の総意は変わらない。無駄なものにかける時間も余裕も、私にはまだないのだから。

 同じ手間を取らてくれるーー全く、迷惑な。

 その私の苛々(いらいら)が伝わったのか、目前の橙の瞳が鋭く(すがめ)られた。

 私と同様に呆れ果てたのかーーと思ったのだが、続く言葉に私は認識の違いを改めさせられた。

「しつけぇな。どんだけアーチェが好きなんだよこいつら」

「……は?」

 突拍子もないその言葉に、思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。

 ……好き、だと?王都にとって、没した王女ーークリミア様の影武者的な立場でしかない聖女(わたし)がーー?

「有り得ません。恨まれこそすれ、彼らに私を慕う心などありませんよ」

「は?どう見たってありまくりだろ。何で自覚してねぇんだよ」

 きっぱりと断言してやるが、不可解と言いたげな怪訝そうな表情を向けられた。こちらとてその思考は理解出来ん。

「そりゃ箔付けとかの意味もあるんだろうがな……お前を呼ぶ為の口実もあんじゃねぇの?麗しの聖女、クリスティアーチェ様のお姿を拝みてぇっつう下心に満ち溢れてるだろう、これ」

 まるで確信してるかのように(のたま)いながら、それをぴらぴらと紙切れのようにぞんざいに扱う。ーー王都からの正式な書類を、だ。

「こんなのに行く必要ねぇよアーチェ。王都なんざ放っておけ。何かありゃ俺がどうにかしてやるよ」

 ーー唖然とした。その解釈もそうだが、何よりもその言動に私は驚愕したのだ。

 こいつの出生が特殊な事もあるのだろうが、それでもその相手はあの王都だぞ?曲がりなりにもこの国で最も権力の集まる都市の、その最たるお歴々からの申請だ。

 普通、申請に従うべきだとその権力に(なび)こうとするか、私を立てつつも王都との荒波を立てぬよう落とし所を模索しようとするだろう。

「こんなのでホイホイ出来る程アーチェは馬鹿でも暇でもねぇっての。ーーよし任せろ、これには俺がその旨をきっちり記して返事しといてやる」

 なのにこいつは……迷わず王都を貶めた。誰かに聞かれればその不敬を咎められ、最悪処罰される可能性があるのにも関わらずだ。

 分かっていない訳ではない。こいつはまだ無知な部分が多いだけで、考えられない馬鹿ではないと私は知っている。

 そんな奴が、王都より私を立てると言うーー私を選ぶと明言してみせた。

 仲間意識を持たれた所の話ではなかった。こいつはーー正真正銘、私の味方だったのか。

 どのような状況だろうと私を裏切る事はないのか?ーーまるで忠誠を誓った騎士のように、背を預けられる戦友のように。

 まさか、こんな想いを抱いて私の傍に居てくれる者が現れようとは……。

 私などにそんな価値は無いだろうと可能性すら廃して来たのに、あっさりとこいつはそこに収まってみせた。何でもない事のように、けれど他をはね除ける鋼の意志を持って。

 ーーアンヌ様。これが貴女の言った運命ーー得難い者、なのですね。確かにこいつでは、気の置きようがありません。

 笑いそうにーー泣きそうになる顔を、込み上げる悦びを押し込めてーー私はそいつから書類を奪い返した。

「止めなさい。向こうに不敬と取られますし、それは貴方を保護しているこちらにも咎が飛ぶのですよ。教育不足だと抗議されるーー私の仕事を増やしたいのですか?」

「む……すまん」

 素直に引き下がったのは不敬を恐れたからではなく、私の負担を増やすまいとした為ーーその意志が露骨に表情からも伺えて、私は今度こそ笑ってしまった。

「お前な……絶対他所、特に王都とかでは笑うなよ?」

 ーーん?何やら真剣な目をしてるが、どうかしたのか?

「勿論公務で笑うなど致しませんが……何故です?」

 疑問をそのまま口にすれば、大層呆れたように溜め息を疲れた。む、何なんだ一体。

「自覚しろアーチェ。お前はな、とんでもねぇ美人なんだよ。そんな奴が笑顔なんざ振り撒いてみろーー違う信者が(こぞ)って群がって来るぞ」

「ーーは?」

 私はまたも唖然と……いや、今度はぽかんとした。

 私が……何だって?

「いいか?お前はとびっきり上玉なんだよ!少なくとも俺はお前より美人な奴は見た事ねぇ。だから、その自覚を持って節度ある聖女になれ!回りは全て狼だと思え!」

 お前は私の父親か?

 思わず半眼になるも仕方ない事だと思う。何だその、年頃の放蕩娘に対して心配する父のような言葉は。

 ーー本物の父親(こうおう)にだって、そのように言われた事などないのだが。

 ……いや、当然か。当時私は今とは違う姿だったしな。

 そこに思い至り、私はある事に気が付いた。

 そういえばーー暗黙の了解というか、回りでは公然の秘密だったので伝えるのを失念していたな。

「私にその心配は無用です」

「は?何言ってやがる。必要に決まってーー」

 続く反論は私が伸ばした指で遮った。机を乗り上げた形だからより身長差を感じるな、これ。少しむかつくが今は仕方ない。

 下から見上げるようにすれば、口を封じられたからかそいつの喉がごくりと鳴った。息も止めているのか、じわじわ頬も赤くなってきているような?ーー鼻呼吸すれば良いだろうに。

 その様子を見ながら、私は一呼吸。そして覚悟を決める。

「貴方にだけ、伝えておきたい事があります。実は私はーー」

 大分的外れでも、私を心配してくれたのは間違いないのだ。その誠意は有り難く受け取り、こちらは誠実に誤解を解いてやらねば。

 誰も居なかった私の傍に、貴方がこうして居てくれると言うのならーー。

 私も貴方を仲間と認めて、この真実をお教えしましょう。

 貴方がどういった存在を擁護したのか……きちんと理解して貰わねばなりませんからね。

 それが私からの誠意と信頼、そして感謝の証。

 ーー柔らかく笑みが溢れるまま。私は、それを告げた。


「私はーー男なのですよ。テオ」

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