お父さん
本編のネタバレを含みます。
魔王様の烏滸鳥①~⑯、過去をお読みの上、こちらをご覧頂けましたら幸いです。
お父さん→ディアン→テオ→カゲヤン→魔王様の五編成になります。
宜しければお楽しみ下さい。
「ーーう、おい止せ!羽陽!」
ーーその声に、ふと我に返る。
目の前には顔色を失い、がたがたと震える職場の上司。ぐいっと肩を引かれたその先にはーー比較的親しい同僚の、苦い顔があった。
あー……。
「ーーご免、滸。お父さんやっちゃったよ……」
今は学舎に居るだろう愛娘を想って、窓の外ーー青い空を仰いだ。
「ーーったく、何してんだよお前は。また長期の出張を食らう羽目になっても良いのか?」
昼休憩。いつもの席に座り、弁当を取り出した所で先程の同僚が声をかけてきた。
「それは勘弁。実を言うと、僕はーー娘と離れるのがすんごく辛いんだ」
「知ってるっての。……お前は、本っ当に親馬鹿な」
「それは、娘を愛でる親への賛辞だよね?有り難く拝命するよ」
「誉めてねぇよ」
そう言いつつ彼はーー入口近くのカウンターから貰ってきた定食を僕の前の席に置き、そこにがたんと座り込んだ。
毎度この食堂の端、窓際奥のこの席までやってくるこの男は、意外にマメと言うか律儀だと思う。
……いつも一人で昼食を摂る僕に、目を掛けてくれているんだろうな。
それは僕だけじゃなく、気分の悪そうな者だったり、元気のない者とかにも及んでいた。
その人徳が周囲の人望を集めるのは当然の事と言える。だからこいつは、班長とか幹事とかいう仕事を任せられる事が多い。
そんな気苦労性な奴なのだが、本人に自覚はなさそうだなぁ。
ーーそこが少しだけ、始祖に似てるような気がするんだよねぇ。
「でもな、その娘の事だからって相手を脅すのは止めろ。ーー早退してったけど上司、下手すると辞めちまいそうだな。絶対ぇトラウマになってたぞ」
「そんな、脅すなんてしてないよ。あの人はーー女子高生に興味があったみたいだったから、少し苦言を申し立てただけだって」
若い娘と二人暮らしーーその情報を得たらしいあの男は、僕と滸の生活をやけに聞いてきた。その内、その下卑た妄想をちらつかせ始めて……。
ーーあぁ、思い出すだけで胸糞が悪い。早々にその記憶は遮断した。
例え妄想であろうとも、僕の滸を汚すだなんてーー万死に値する。八つ裂きにしてやりたかったなぁ。
「苦言ってレベルじゃなかったろ……。あの時のお前、悪魔でも憑依したんじゃねえかって豹変ぶりだったぞ」
「悪魔って、酷いなぁ」
僕ーーこれでも、元は別の世界で神の一柱やってたんだけど?
まぁ今は人になっちゃったし、ここでは上手く力を使えないんだけどね。さっきのはちょっとした暴走ーー無意識の発現だよ?他意はないからさ。
「酷いのは、お前のその無自覚さだっての。全く」
無自覚さに関しては、君に言われたくないなぁ。
今回も、誰に言われるでもなく抜けた上司の穴を埋め、業務に支障が出ないよう仕事を買って出ていた。ーー若干疲れが滲んで見える。
こうやって、いつも回りのフォローとかするの大変じゃないのかなぁ。
「君も結婚して、子供が出来れば分かるよ」
愛し子の可愛さとか大切さとか、抑えきれない庇護欲とかーー得れば、嫌が応にでも理解するさ。
人の事を心配するより先に、自分の事に目を掛けてれば良いのに。どうなんだと、言外に言ってやる。
「うぐっ!それ、独り身には禁句だっての……!」
がくっと項垂れる彼は、意外にまだ未婚。今の所、浮いた話も聞かない。
「あれ?この前のルミちゃんはどうなったのさ」
確か先週辺りに、他部署に居る可愛い子に呼び出されて、うきうき嬉しそうにしてたと思ったのだけど……。
「何で知ってるっ!?くそっ……彼女はな、今度結婚するらしくてーー和式の結婚ってどんな感じなのか聞きたいって話だった……」
「あぁ、それは……御愁傷様」
彼の妹さん、少し前に和式の結婚式を挙げたんだよね。その様子を訊ねられただけだったようだ。
ーー居るよねぇ、こういう不憫な人。
妹さんに先に嫁がれ、漸く自分にも婚期が!と思えば他人の結婚相談か……とことん運がない奴だなぁ。
あまりにも可哀想になってきたので、ぽんっと肩を叩いてあげた。
「ご飯でも食べて元気出しなよ。ほら……君の目の前には、愛情たっぷりのカツ丼定食があるじゃないか」
「食堂のおばちゃんの愛情だけどなっ!?」
彼は目の端に光るものを浮かべながら、自棄気味にがつがつと定食を食べ始めた。
それを見て、僕もそうっと自分の弁当箱を開ける。
途端、無機質な風景に光がぱあぁっと広がったような幸福感に満たされた。ーー胸が高まる。
あぁ、滸……ありがとう。今日もとっても美味しそうだ。
「……お前さ、いつも本当に幸せそうに弁当食ってるよな。ーー娘さんの手作りだっけ?そんなに料理上手なのか?」
何故か食事の手を止めてこちらを伺う彼に、僕は弁当から目を離した。
むっ、僕の幸せの一時を邪魔しないで欲しいんだけどな。
「娘のご飯は、世界一……なんて言葉じゃとても足りない位に美味しいよ」
「重症だなお前っ!」
そんな重篤患者みたく言われても、本当なんだからしょうがない。
実際に滸は年々その腕を上達させてるし、最近は目覚ましく力も付けてきてるんだ。
ーー類稀なる、神力の方を。
こっちも無自覚なようだけど……滸は、料理を神力込めて作っているんだ。
僕のような力を持つ者にとって、それは最高の糧であり、絶品の隠し味だ。しかも上質ーー一度口にすれば虜にならざるを得ない、魅惑のご馳走を生み出すようになった。
ーー僕の娘ながら、恐ろしい才能を開花してしまったものだよ、全く。
向こうに行ったら、滸は世紀の大料理人になれるだろう。特に王宮と聖堂辺りで、引っ張り凧になるに違いない。
ーー凄ーく、心配だ。あぁ、嫌だなぁ。
その時がーー日々近付いて来てるのが分かるから、尚更に。
「なぁなぁ、そんなに言うなら見せてくれよ。出来たら一つ、おかずも恵んでくれ!」
「えぇー……」
見せたら減りそうだし、あげるのも嫌なんだけどなぁ。いつものように、自分だけで堪能したい。
「人の愛は、君には目の毒だと思うけど?」
「煩ぇよ!ーー俺も将来、娘に作って貰う時の参考にするんだから見せろ!いや、見せて下さいっ!」
その夢の実現は、一体いつになる事やら。
頭をがんっとテーブルに打ち付けて拝み倒してくる彼に、周りに居た連中から吃驚したような顔が向けられる。
「ちょっと、変な目で見られるから止めてよ」
僕は周囲の視線なんてどうでも良いけど、こいつは駄目だろう。ーーまた婚期を逃すんじゃないのかな。
「はぁ……分かったよ。見せるし恵んであげるから、顔上げてよ」
ーー彼にはいつも世話になっているし……何より、本気で可哀想になってきた。少しだけなら妥協して、幸せを分けてあげても良いかなぁ。
……他人に何かを分け与えるなんてーーあの時以来か。
感慨深くなりながら渋々と、持ち上げていた弁当箱を下ろしてやる。
ーー大きめのそれには、隙間なく料理が詰められている。
彩り鮮やかな蒸し野菜に、白身魚のマリネが美しい。
綺麗に巻かれた玉子焼きは、いつもふわふわなんだ。
ご飯には白胡麻が混ぜ込まれ、香りと食感のアクセントに。これがまた、おかずが進むんだよねぇ。
僕が特に好きな鶏の唐揚げは、今日は磯辺巻きにされていた。海苔の香りが堪らないね。
改めて見ても感動する。ーー凄いなぁ、日々色々な趣向を凝らしてくれているんだ。
ーー素敵なお弁当ありがとう、滸。
「凄ぇな……女子高生のレベルか、これ?」
「正直、死んだ奥さんのご飯より美味しいよ」
そんな事を言ったら怒られてしまうかな?
いや、彼女なら流石私の娘よね!と誇らし気に胸をはるかも知れない。とても明るくて、前向きな人だったから。
ーー僕と滸の神力にあてられて、早逝させてしまったけれど。
人としての生の中で、唯一愛したと言える人。彼女には感謝してもし切れない。
ーーお陰で無事に、滸が人になれたのだから。
「なぁ、娘さん彼氏居るの?」
ーーは?
人との愛について考えていたらーー目の前の玉子焼き泥棒から、大変耳障りの悪い問い掛けが聞こえてきた。
あげるとは言ったけど、勝手に取って良いとは言ってないのにーーいや、それよりも。
滸に……何だって?
「居る訳無いよ。と言うか、要らないよ」
「要らないってな……。いずれはお前みたく恋したり、結婚したりするんだ。親がそんな狭量じゃいけねぇだろ」
滸が……結婚?
それはつまりーーあいつと、か?
頭に浮かんだのは僕の力を継がせた一人。人の部分を貰い受けた、ダークブラウンの髪と瞳の青年。
ーー畜生、あのぽっと出め。僕の小鳥をかっ拐った忌々しい奴なのに。腹立たしい程に生意気な坊っちゃんのくせに。
鳥を、人のように愛した変人ーーいや、変態男。
ーーだからこそ、滸は射止められてしまった。
あぁくそぅっ、やっぱあげたくない!嫌だ、憂鬱だ……。
「おい、大丈夫か羽陽。顔青くして……何ぶつぶつ言ってるんだ?」
はっと我に返る。
あ……また、いつの間にか口に出してしまっていたのかな。滸にも時々指摘される、僕の悪癖らしい。
「あぁ御免。ちょっと気分が悪くなっただけだからーーで、そっちは何て言ったの?」
「娘の結婚考えて具合悪くなるなよ。だから、さーー俺とか娘さんにどうよ?って言ったんだよ」
ーーーーは?
「君……何言ってるの?変な物でも食べたとか?ーーそれが滸の玉子焼きのせいだとか言ったら、その口を八つ裂きにしてやるけど?」
「恐ぇぞお前っ!?ーーいやマジでさ、十八歳差ってギリギリありだと思うんだ。滸ちゃんって言うのか……こんなに美味いご飯が作れるなんて、良い幼妻になってくれそうだよな」
夢見るように滸の料理を見詰めるそいつの視界から、ばっと弁当箱を遠ざけた。
こいつーーまさか、多少なりとも神力を持ってたのかっ!?
今まで気付かなかったけど、滸のご飯を食べてのこの陶酔っぷりーー間違いない!
この世界にも、潜在的に持つ者はいる。僕の奥さんもそうだった。妙に求心力があって、衆目を集める素質を持つ。
あぁーーだから、少し始祖に似てると感じたのかも知れない。
ーーだけど、それとこれと話は全くの別。
持って生まれてしまったものは仕様がない。君の不憫さは、そこまで深刻だったという事さ。
仕方ないんだ……己が不運を呪ってくれ。
「残念だよ。君は数少ない、僕の良き友人だった……」
「おい、目がマジ……っ!?ちょっ待て!また悪魔降臨してんぞ!?戻って来い羽陽!」
「ははは、嫌だなぁ悪魔だなんて。ーー僕は至って、冷静だよ?」
「冷静に俺を排除しようとするんじゃねぇーーっ!」
ーー同僚が詫びて訂正を入れるのは、このすぐ後の事だった。
定時。仕事の書類を片付けていると、後ろからぽんっと肩を叩かれた。
「おう、お疲れ。この後さ、皆で居酒屋行こうぜって話になったんだけど、羽陽もどうだ?」
昼の脅しに懲りもせず、また同僚が僕に話し掛けてきた。ーー本当にこいつは前向きというか、神経が図太いというか……。
「僕は遠慮するよ」
「またか……お前はいつも断るよな。やっぱあれか?滸ちゃんが家で待ってるからか?」
「当然でしょ。あと……君にさ、僕の娘を呼んで良いなんて許した覚え、無いんだけど?」
「わ、分かった悪かったって!だからその魔王面止めろ、なっ!?」
どんな顔だ。しかも、悪魔から魔王に昇格してるし。
「はぁ……ところで、名前と言えばさ。ーー羽陽って、俺の名前知ってるか?」
ーー?何だ突然。
「何その質問?知ってるし、知らなくてもネーム見れば分かるよ」
社内の人間は、ビジネススーツの左胸に部署と名字が明記されたプレートを付けている。これが社の規定だ。直接名前を聞いてなくても、それを見れば一目瞭然じゃないさ。
「いや、さ。ふと考えてみたら、お前に名前呼ばれた事一度も無いんじゃないかって思ってよ。どうだっけ?」
「呼んだ事位あるよ?取引先に紹介した時とか、電話の取り次ぎ頼んだ時とか……」
「あぁやっぱな!お前公的の時しか人の事呼んでねぇじゃねぇか!何でだよ」
何でだよって言われても。
「僕の口は娘の名前を呼ぶ為のものだから」
「末期だなお前っ!?」
「それは、娘を愛する僕への最高評価かい?ありがとう」
「いやだから、誉めてねぇからな!?」
そうなの?誉めてくれて構わないのに。
ーーまぁ、それは冗談としても。名を呼ぶ事はなるべく避けているんだから仕方ない。
だって名前……真名なんだよ?
誰もが真名を名乗り合っていると分かった時には、かなり戦慄したものだけど……。
こちらはそもそも、あちらにあった力という概念が無い。だから真名という認識そのものが無いんだろうね。
危機感のなさはこの国の特徴でもあるんだろうけれど、それでもこれは驚いたものだ。
ーー曲がりなりにもまだ力のある僕が、真名を軽々しく口にしてどんな影響があるかの……分かったもんじゃない。
だから、呼ばない。ーーこれは、僕なりに君らの事を思っての行為でもあるんだよ。
「別に君を嫌ってて呼ばない訳じゃないから。ーーじゃ、お疲れ」
「あ、おい……!」
荷物を纏め終えて帰宅する。その背に声が掛けられたのは分かったけど、僕は応えずに手だけひらひらっと振ってみせた。
「羽陽!今度の連休に出張するだけでお咎め無しか、上手くいって良かったな!」
「全く良くない……!ーー君が、こんな形で仕返ししてくるだなんて……こんなに酷い奴だなんて思わなかったよ。あんまりだ……どうしてくれるんだ」
数日後ーー食堂の卓に突っ伏したのは、今度は僕の方だった。
こいつめ。僕の不在時に家に電話してーー滸に、要らない事を吹き込みやがった。
あろう事かーー今にも僕が解雇されそうだとか脚色した情報を滸に与えて、僕が上司に詫びるよう説得出来ないかと目論んだらしい。全く、なんて余計な事をしてくれたんだ!
お陰で今朝から上司に平謝りし、お互い先日の件は水に流しましょうと脅迫……もとい、説得する羽目になった。まぁ、それは別にどうでも良いんだけど。
ーーそれよりも!
「滸が……娘が黙ってた罰にって、ご飯を作ってくれなくなったんだよ!?ーー僕のご飯が、昨夜からコンビニ弁当に……うあぁ、悪夢だっ!」
今日も今日とて、渡されたのは冷凍食品をチンしただけの即席弁当だ。温まっている筈なのに心が冷える、愛無し弁当なんだよ!?
「自業自得だろ。ほら……愛の籠った唐揚げ定食、一緒に食うか?」
にやにやと笑いながら、同僚はカウンターで貰ってきた定食を僕の方へと押しやってきた。ーー畜生、この悪魔めっ!
「娘以外の愛なんて要らないよ。あぁ、滸の作った唐揚げが食べたい。滸のご飯じゃなきゃ嫌だ……」
「娘欠乏症か。親馬鹿も度が過ぎると、こうなるんだな……」
憐れみの込もった視線を感じるけど、今の僕には頭を上げる気力もない。あぁ、一体どうしたら良いんだ……。
「あー……なんだ。娘さんにも謝って、許して貰うしかないと思うぞ?」
「謝るって言っても……僕は教えたくなかったし、心配させたくなかったんだ」
滸には幸せであって欲しいんだ。ーー余計な事なんて知らなくて良い。
「お前な。そういう、独り善がりな所を怒られてるんだって気付けよ。滸ちゃんはしっかりしてる。ーーそういう子は、隠すより教えてあげた方が喜んでくれるもんなんだよ。特に、自分にとって大切なものなら尚更な」
「滸の、大切なもの……?」
まさか、こんな時にまであいつが……?
そう考えた所で、ぺしんと後頭部を叩かれた。ーー痛くはないけど、何をするんだ。
「分からないとか言うなよ?ーー過保護な父親の事に決まってるだろうが」
今度はぽんっと肩を叩かれてーー僕は漸く、顔を上げる事が出来た。
大切な、僕の事だから……。だから滸は怒ってくれているって?
ーーそんなの……狡いよ。
黙ってた事に後悔はないけどーー誠心誠意、謝らないといけないじゃないか。
心配してくれてありがとうって。ーー心配させて、御免ねって。
「そうかーー謝ったら、許してくれるかな……」
「珍しく気弱だな。なら、そうだな……お詫びを兼ねて滸ちゃんに何かプレゼントとかしたら良いんじゃないか?好きな物とか、欲しがってる物とか……。ーーって、どうしたよお前」
プレゼント……か。
それは妙案のように思えたが、続く言葉に僕は頭を抱えた。
だって、滸の欲しいものって言ったらさ……。
「あれーーだもんなぁ」
「な、何だよ?死んだ魚みたいな目して……」
虚ろにもなろうってもんなんだよ。はあぁぁ……。
ーー突然だけど、この国の長所は、治安の良さと発達した文化にあると思う。
滸を育てるにあたって、それはかなりの好条件だった。身の安全は勿論の事、政争とかの血生臭いものからも滸を遠ざけたかったし。豊かな文化は、知性と好奇心を育んでくれる。
ーーそれは、より滸の覚醒を遅延させてくれるんじゃないかって目論見もあったんだ。
だけどーーそこに、思わぬ伏兵が潜んでいた。
「確かに、興味を向けてはくれたけどさ……!」
ーーまさか、その文化……二次元なんて物にはまるなんて思わなかったよっ!?
どれもこれも……あちらの世界を彷彿とさせるような、不可思議な力を駆使する空想世界の数々。ーーそんな物が存在しているなんて、当時まだ僕は知らなかったんだ。
本やアニメ、ゲームといった媒体でこの国に溢れかえっているそれらに、まずい!と気付いた頃にはーー時既に遅し、だった。
お陰で……今や滸はファンタジーというジャンルに深く傾倒してしまっている。この前の誕生日プレゼントも、話題のRPGを要求されたんだったなぁ……。
ーーくっ!与えたくなかったけど、滸のおねだりに逆らえる訳が無いじゃないさ!
現状は本末転倒としか言いようが無い。……どうしてこうなった?
ーーどうしたって、滸の本能は彼を追い求めてしまう……という事なんだろうか。
一見、楽しそうにそれらで遊んでいるけれど。
ーーその姿は、まるで心の虚無を埋めるようとするかのようで。健気に、無我夢中にーー彼の面影を探しているかのようだった。
「はぁぁ……」
ーー滸は彼の元に行ってしまう。そして……その時はそう遠くない。
滸の力が急激に高まってきたのが、その前兆だろう。もういつ喚び出されても応じられるーーその力が、滸の身に既に備わってしまった。
最近は「授業中、よく睡魔に負けてしまって困るのだ!」と言っていたな。
体がそれに馴染もうと、より休息を求めている為だろう。ーーまぁ一部、僕の仕業に因る所もあるんだけど。
「夢だ幻だと誤魔化し続けるのも、そろそろ限界かなぁ」
「は?誤魔化すって、他にもまだ滸ちゃんに黙ってる事あるのか?」
「……いや、何でもないよ」
ーー沢山あるけれど、滸にはまだ教えられない。
時が来たなら、ちゃんと話そうと思う。けれど、それまではーー。
「……今は、とにかく謝らないとね。有益なアドバイスをありがとう」
「……?おう、早く滸ちゃんと仲直りしろよ。そんでまた、美味しいお弁当作って貰ってこい」
ぽんぽんと肩を叩いて励ましてくれる同僚に、僕は感謝を込めて、にこりと笑みを返した。
「うん、そうするよ。ーー当然、君には分けてなんてあげないけど」
「当然っ!?何でだよっ!助言してやったんだから、少し位分けてくれたって良いだろ!?」
ーーやはり、滸の弁当目的もあったのか。こいつも案外ちゃっかりしてるなぁ。
「駄目、離れ離れになっちゃうんだから。限られた愛を分ける余地なんて、ある訳無いでしょ」
「三日間出張行くだけなのにその言い様かよ!大袈裟だぞ」
大袈裟じゃないんだよ。僕にとっては。
それを考えれば、出張は嫌だけど好都合でもあるーー僕が滸の側に居たら、力の順応を助長してしまうかも知れないから。
こんなの、ただの悪足掻きだって承知しているけれど。
もう少し、もう少しだけ……滸と一緒に居たいんだ。
「子離れしろよお父さん。いつか嫁に出すんだから、今の内から慣れとけって」
「やだよ」
滸が彼を認めていても、僕は認めたくない。
けれどーー滸が幸せが、僕の何よりの願い。
何て事だろうーー。あちらから抜けて、こっちの世界に来てまでも、こうして矛盾を孕まなきゃいけないなんて。
これはもう、翼神の性なんだろうか。ーー僕も存外、不憫だなぁ。
「はあぁ……」
僕が盛大に溜め息を吐くとーー窓の外、側の木から鳥がばさばさと飛び立っていった。
青い空へと、白い翼が高く舞い上がって行く。
その羽が一枚ーー窓から入り込んで、投げ出していた僕の手にふわりと乗った。
手にした白はーー今度は、塵にならなかった。
愛してる。それなのに、思うようにいかない。
ーー貴方も、そうだったのかな。
親って……もの凄ーく、もどかしいね。
ーーねぇ、始祖。