1話:真夜中の訪問者
ねえ、本田くん。
ちいと老けた?
私のこと覚えよるかな?
私は靄がかかって誰が誰やらよう思い出せよらん。
なして本田くんのところに来てもうたか、それさえも分からん。
大切な人の名前が出てこやんの。
本田くんも大切な一人やけどな?
わりと一番どうでもよかった存在だった気がするんよ。
・・・ふふっ、アホ面で寝よるんや。
「…麗奈?」
夢を見たような気がする。物凄くバカにされたような、懐かしい奴の夢。
「麗奈?夢、よな…?」
「ん、しんちゃん?」
「あ、すまん。起こしてもうた?明日早いんやけ寝て」
「んー…」
幼なじみであり彼女でもある梨久と同棲を始めたのは今年の春のこと。紆余曲折はあったものの遠距離恋愛を乗り越えトントン拍子に就職も内定した。大手企業本社の内定は親に文句を言わせない東京行きの最強の切符だった。
夢を語り合うようにしていた同棲の話は就職活動を始めてから段々と色濃くなっていき、この春ついに約束通り先に上京していた梨久と同棲を始めた。仕事は辛くないと言ったら全くの嘘になるが、辛くても梨久と一緒に過ごしていることを思えば疲れも苛立ちも一気に吹き飛んだ。
「この子誰?」
「何の冗談ぞ」
「本田くんの下の名前なんやっけ?」
「本田くんはやめて言うたやろ?しんちゃんでええ…」
え?
薄明かりに映える梨久の寝顔を見つめながら癒されていた慎一は、聞き覚えのある懐かしい声の持ち主を瞬時に思い出し、時間が停止したような気がした。
「しんちゃん?」
「!?」
慎一には何が起こっているのか理解できなかった。
それは目の前にいる少女も同じようで、不思議そうに小首を傾げながら、自分を凝視し目を丸くするだけの慎一を見つめ返していた。
「麗奈?よな…?」
「せやよ」
「あれ、なして家知って……いやいやいや、その格好は?」
「なんぞおかしい?」
突っ込みどころが多すぎるわ。
その言葉は飲み込んだ。
「………」
「本田くん、老けたね」
「麗奈こそ、高校のときのまんまやな」
「高校のとき?」
女の子らしい落ち着いたショートヘアに、意思の強い大きな瞳。
最後に麗奈に会ったのは上京する二日前、仲間内で飲み会をした時だ。
高1が終わる直前の春にそれまではロングだった髪の毛をばっさりと切ったのは記憶に強く残っている。
最後に会った時にみんなで撮った写真には、セミロングの艶やかな黒髪を揺らしながら幸せそうに笑みを浮かべる麗奈が写っている。
「んん?」
ベッドサイドに立てかけていた写真立てを手に取り、梨久の寝顔を凝視している麗奈と見比べてみるが、目の前にいる麗奈はやはりどこからどう見ても、高校時代の麗奈だった。
「本田くん、電話鳴りよる」
「あ、ほんまやな。梨久のやわ」
「りく」
「梨久、電話」
「…うー、誰」
「空」
「…そら」
梨久は麗奈に気付いていないのだろうか。寝ぼけているからか、自分が幻覚を見ているのか。
寝ぼけ眼を指の腹で擦りながら体を起こすと、梨久はケータイを手に取り耳に当てた。
「…なんぞ?私、明日早いんよ。うん?麗奈?麗奈がなんぞ?なにを興奮しよるんな」
目の前の麗奈は、空と梨久の名前を繰り返し呟きながら考え込むようにして顎に手を当てている。
「………」
「梨久?どないした?」
体に絡み付くような湿気が特に強い真夜中のこと。
夏の暑さのせいだろうか。
不思議ではあったが嫌な予感はしなかったし、若かりし麗奈の姿を見ても冷静にいられた。
携帯を耳に当てたままの梨久の指先が段々と震えていく様子を見ていた麗奈の瞳は、震えに比例するように怯えた色を帯びてきたように見える。
「…れ、麗奈が、」
「麗奈がなんぞ?落ち着け梨久」
「落ち着きよる…うん、落ち着きよる」
「麗奈がどないした?」
時間差だった。
ほら、やっぱり夏の暑さで脳みそが鈍っていたらしい。
嫌な予感と梨久の言葉の続きに恐怖を覚える。
「麗奈が、事故で……車に、今病院て」
あの頃も今も慎一にとって梨久と空は大切な存在だ。梨久と空は二卵性の双子で、顔も似ていなければ性別も性格も違う。同じなのは価値観だけだ。
しかしその価値観が全てだった。
幼い頃から一緒に過ごしてきた3人は互いに大切な存在だったが、時間は一人、また一人と大切な人を増やしていった。
梨久、空。
大地、佑樹。
涼子、道明、圭介、綾。
冬馬。
そして麗奈。
個性が強くて黙っていても目立つ自分たちの中で、麗奈は一際特別だった。
自分たちだけではない。
誰にとってもきっと麗奈は特別な存在だった。




