9.札
「智哉!」
智哉は頷き、先に走って行った。僕は小百合が来るのを待ってから後を追いかけた。小百合なら教室にいてもどこから声が聞こえたかわかるだろうけど、一緒に行ったほうが確実だ。図書室を過ぎたところで足を止めた。
階段を下りたところに、根岸と真弓、智哉がいた。根岸は身体を震わせて廊下に屈んでいて、真弓は昨日と同じように根岸の肩に手を置いていた。昨日と同じ光景。
その中で違っていたのは、根岸の周りに長方形の白い紙が散らばっていることだった。
智哉は落ちている紙を一枚取った。紙には何か書かれている。
「やっぱりね」
小百合は状況を理解したようで、階段を下りて行った。ここにいても仕方ない。小百合に続いて階段を下りた。
「札だね」
「魔法陣の次は札。素人が手を出していい領域じゃないのに」
小百合は智哉から紙を受け取り、ちらりと見てから僕に差し出した。手に取ってみると、紙に書かれていたのは不思議な文字だった。神社で貰うお札に似ている。
「真弓くん、また第一発見者になったの?」
「真弓ならここにいても不自然じゃない。図書室の常連だから」
そうね、と小百合は深く追求することはなく、周りに落ちている紙を拾っていった。智哉も同じように拾っていく。今回収しておけば、佐藤のように噂は広まらないだろう。
真弓は僕を見て弱く笑い、すぐに視線を根岸に移した。横目で小百合と智哉を見ると、二人は根岸に関心はないようだった。
片膝を着いて、根岸の顔を覗きこんで見た。
「根岸、大丈夫?」
「……私は悪くない」
一応声を掛けてみたけど、応えはなかった。その代わりに、何度も「悪くない」と繰り返す声は狂気じみていた。ぶつぶつと、洗脳するように、暗示をかけるように声は途切れることがなかった。
昨日の魔法陣は根岸がやったことだということはわかっていた。それは教室での会話で確信していた。
じゃあ、今度は誰がやった?
小百合と智哉は紙について何かを話し合っていて、その内容は聞き取れなかった。聞いたところでわかるとは思えない。札に対する知識なんてなかった。
感じるのは『呪い』という悪意だけで。
視線に気付いたのか、智哉は右手に持った紙を左手の人差し指で指した。
「また間違ってる」
「何かの本を写したみたいだけど、これは『呪い』の意味でさえない。間違っているけど、祈祷の一種よ」
たとえそれが間違って祈祷の意味を持つものでも、相手の趣旨は『呪い』だろう。それがわかっているのか、根岸は小百合の言葉に反応しなかった。今日自分が言った「呪いには違いない」というのが、自分の身にも起こった。佐藤に言った言葉が跳ね返ってきて、一体どんな気持ちなのか察することはできない。
そんなもの、知りたくもない。
「嫌な感じだ」
「そう、嫌な流れよ。連鎖するわ。模倣は便乗できて、楽だから」
小百合の意見に頷いた。
そう、真似をするのは楽だ。前例があれば、悪い事をしているという自覚が薄れる。「誰かがやったから」。その魔法の言葉は錯覚を起こす。
なぜ、今になってこんなことになったのか。藤田先生のした『余計なこと』とはどんなものだったのか。
「小百合、藤田先生の『余計なこと』っていうのは何?」
「『劣等感と障害は似ていて、誰もが持っている』。『今できることをやれ。今だからできることをやれ』。無責任な言葉よね。なんでも理由にできる」
小百合が吐き捨てるように言ったのに対し、根岸はびくっと大きく肩を震わせ、口を閉じた。思い当たる節があるのか。
劣等感と障害が似ているはずがない。劣等感は勝手に自分が感じるものだ。勝手にキズを作って、痛いと言っているだけだ。障害は、悪いものと言い切れないけど、負担になるものではある。そこに確かなキズがある。
全然違う。
それに加えて「今できることをやれ」。
今できること。高校二年の今できること。高校も二年目になって高校生活に慣れてきた頃で、受験もまだ先だから一番余裕がある時期だ。そして一番不安定でもある。思春期で、人間関係にも悩む年頃だ。そんなときに『今だからできることをやれ』と言われれば、常日頃思っていることが当てはまるのは自然なことで。
根岸の場合、それは『友達だが気に食わないところがある佐藤に悪戯をする』だったということなのか。
僕はその言葉をそのままの意味で受け取っていた。後悔しないように、夢に向かって今できることをやれ。それが、違う結論に辿り着くとは。
「良い意味は、同時に悪い意味も含むことがあるのよ。長所と短所なんて、紙一重、解釈の違いだしね」
「小さな親切大きなお世話、ということですか」
真弓は根岸の肩から手を離し、膝を伸ばして立った。もう根岸を支える必要はなくなっていた。根岸はさっきまでの動揺が嘘のように、体の震えは止まり、下を向いて何かを考えているようだった。
根岸のことは放っておいても大丈夫だ。自業自得だといってしまえばそれまでだけど、もう助けが必要には見えなかった。
「そろそろかもね」
「そうだね」
二人の予測は何を示しているのかわからなかった。真弓もわからなかったようで、首を少し傾げていた。その様子に肩を竦めて同意を表した。
やっぱり勘違いだったのかな。二人にとって僕は特別なんて、なんで思ったんだろう。主語も述語もない、端的に何かを示す言葉が理解できない。でも、友達であることは変わりない。
これが何かの始まりなら、僕もその手助けをしよう。過去の部活と同じように。