6.事件とクラスメイトと
次の日、佐藤は二時限目後の休憩時間に登校してきた。顔色は悪く、昨日のことを引きずっていることがわかる。クラスの大半は、すでに朝に担任から昨日の出来事を聞いたため、佐藤に不謹慎ながらも好奇心を含んだ視線を向けていた。
少しは遠慮しろよ。担任の説明は端的だったが、端折りすぎていて興味を誘うのに充分だった。「昨日、誰かが呪いの真似事をしたようです。皆さん、くれぐれも真似しないでください」なんて、噂になるに決まっている。実際、その場に駆けつけたクラスメイトが、事の詳細を得意そうに話していた。
脚色され、本当のことが埋もれている。面白おかしく、物語が作られていく。
耳を塞ぎたかった。机に伏す前、視界の端で、教室を出ていく担任の首のチョーカーが目に入った。赤い紐で、真ん中に十字架をモチーフにした銀細工が付いている。赤。十字架。何かが引っ掛かった。でも、思い出せない。
嫌な感じだ。それに佐藤が加わって空気が澱んだようだった。感染するような気がする。
こういうのは昔から嫌だった。こそこそと集まって悪口を言う。自分は仲間に入っているから対象になる心配はない。みんなが言っているから自分は悪くない。そんな悪循環が生まれていく。『友達』という関係の集合体で正当化している。
だから、関わり合いたくなかったから、協調性なんて持たなかった。そんなことに巻き込まれるなら、友達なんていらない。利用されるのも嫌だ。
佐藤に不躾な質問をしている声が聞こえた。
「お前、誰かに恨まれてんのかよ?」
ハハハ、と乾いた笑いが辺りを包む。
何故それを言うんだ。佐藤は肩を震わせていた。ここからは見えないけど、泣いているのかもしれない。それを庇うように、根岸が佐藤の肩を抱いた。
「そんなはずないじゃない! 真美は恨まれるような子じゃない!」
それは違う。人は知らない内に恨みを買っていることもある。それは庇うことにはならない。そんな陳腐な言葉、意味がない。慰めにもならなかった。
教室の中は、佐藤に同情するだけでなく、佐藤に非があったのではないかと疑う者もいるようだった。ヒソヒソと交わされる会話は、佐藤にも聞こえているはずだ。聞こえるように言っている可能性もある。
何故、誰もそれが『呪い』ではないのではないかと言えないんだ。前提が、固定している。
それを壊したかった。
「あれは『呪い』じゃないのかもしれない」
教室の中はしん、と静まった。それほど大きくない声は、思った以上に教室を通り抜けた。佐藤は振り返り、驚いたように表情を固めていた。
僕の言葉は意外だったらしく、少なからず衝撃を与えたようだった。視線が集中している。少し考えればわかることなのに、今気付いたかのように根岸は振舞った。友達なら、すぐに思い当たってもいいはずだ。恨まれるはずない、と言い切れるなら余計に。
反論されたのが癪に障ったのか、佐藤をからかっていた男子生徒、黒井は叫んだ。
「呪いに決まってるだろ! 魚の血で描かれているのが証拠だ!」
「あれは呪いじゃないわ」
黒井の台詞を小百合は打ち消した。立ち上がってきっぱりと言い切った小百合は控えめながらも確信させるのに充分な声音で言った。自信のある声は、それ以外の答えを否定する。
黒井は何も言わなかった。言えない雰囲気だった。
小百合は佐藤を見た。
「意図は呪いだったのかもしれない。だけど、あれじゃ意味がないわ。どちらかといえば、佐藤さんにとって良い結果になるものだったと思うの」
「何で……そう言えるの?」
「完璧じゃなかったから」
にっこりと笑った小百合に、佐藤は安堵の溜息を吐いた。張り詰めていた気が緩んだような、肩に載っていた重りが下りたような表情だった。小百合の笑顔が、言葉に力を与える。
僕が言わないのはその理由が大きい。人によって言葉が与える影響が違うのなら、適任者が言えばいい。今の状況では僕の言葉には力がなかった。小百合だったからこそ、あの不吉な図形の本当の意味がわかり、普段から注目されていることもあって、その言葉は素直に聞き入れられる。小百合がいじめられていたことを知る人も多いだろうし、小百合の発言力は大きい。
「でも、『呪い』には違いないってことよね?」
余計なことを。根岸は心配を装って佐藤に追い討ちをかけた。途端に佐藤の表情は固まり、顔色は青くなった。安堵から絶望へ。以前より顔色は悪かった。
小百合はやれやれ、と溜息を吐き、根岸に鋭い視線を遣った。
「そうなるわ。でも佐藤さん、呪いは完璧じゃないと、実行した人に返ってくるの。だから、『あなたにとって良い結果になるものだった』と言ったのよ。私と根岸さん、どちらを信じるかはあなたの自由よ」
話しは終わったとばかりに、小百合は椅子に座った。また教室が静まり返った。
三時限目の開始を知らせるチャイムが大きく響いた。




