エピローグ:数日後
紅に沈んだ言葉は、蒼く染まって歌になった。
「二人は『あの事件』を利用したんですか?」
夏目が加わって四人になった昼食会で、夏目は世間話をする調子で切り出した。
『あの事件』とは、先週起きた通称『呪い事件』のことだと察しがつく。
責めるわけではない確認するだけの質問だったので、小百合作のオムライスを食べながら二人の返事を待った。僕も気にはなっていたことだ。
「『事件』をきっかけにはしたよ」
「由宇と夏目くんを巻き込むつもりはなかったの。ただ関わってほしかっただけ」
二人は平然と振る舞っていたが、スプーンを握る手が白かった。手に力を入れすぎている。
悔やむことないのに。小百合と智哉は悪くない。あの事件に巻き込まれたからこそ、今こうしていられた。
「もう、由宇が傷付くのは嫌だったの」
「そうやって絆を作ろうなんて思ってなかったのに」
傷付いて強まる絆。それは、あの事件に似ていた。
去年の四月、入学式から始まり文化祭で終わった、あの事件。僕が『万屋』という部活に入ったことによって生じた不和がきっかけだった。自分のために人を傷つけることを躊躇わない。正当化した自己満足を理由にする。『みんなも思っていること』で正義を主張する。
今回の『呪い事件』はあの『万屋事件』に似すぎていた。
「『万屋事件』と同じにしたくなかったってこと?」
「そうだよ。君は悪くないのに、君が一番傷つく」
智哉のスプーンを握る手が、一層白くなった。傷ついているのは誰なのか。僕だけじゃなかったのは確かだ。
去年は万屋の先輩たちが、今回は智哉たちが。
「仲良くなりたかったっていう理由が始まりなら、それでいいんじゃない?」
『万屋事件』と違って、今回の事件は営利性がなかった。『万屋事件』で僕はスケープゴートで、ただ万屋の中で狙いやすかったという理由だけだった。
今回の引き金は『アイデンティティ』という理由にならない言い訳で。
「今回の事件がなくても、このメンバーでいるためには何かが起こったと思うし」
「それでも、由宇が傷つく理由にはなりませんよね」
夏目のため息に苦笑した。
あの事件を利用しようときっかけにしようと、今幸せならそれで良い。ただ、そう思う。
紅から始まった繋がりが、今では。ふと、歌詞が頭を過ぎった。
「『蒼い物語』って知ってる?」
話題転換を試みた。これで有耶無耶になるわけではない。智哉も小百合も夏目も、そんなに単純じゃない。
話題転換は、ちゃんと今の話に繋がるようになっている。
「佐倉七海の新曲の?」
「そう。『佐倉七海』、本名『名波咲良』は中学からの友達なんだ。中学で唯一の友達、親友だよ」
誰かに中学の話をするのは初めてだった。咲良の話は簡単にできるものじゃない。『芸能人』と『友達』というのは利用価値になる。そんなことで咲良との仲を壊したくないし、どちらも不快になるのは嫌だった。
でも、この三人なら。思ったとおり、特に『佐倉七海』に反応しなかった。
「咲良の話はまた今度するとして。僕の歌声が好きだっていう咲良のためにレコーディングの手伝いとかしてるんだけどね。今回の新曲は咲良が作詞したのは知ってる?」
それは話題になっているため、知っていて当然かもしれない。三人が頷いたのを見て、話を続けた。
「あの歌詞は、今回の事件を基にしてるんだ。僕が話した内容を、僕と咲良との出逢いを絡ませて表現したらしいよ」
三人の驚いた顔に、思わず笑みが漏れた。
気持ちはわかる。咲良からそのことを聞いたとき、僕も同じ顔をしていただろう。
あの歌詞が。まさか僕を示していたなんて。
「確か始まりは『瞼に触れた花弁は唇のようで、僕は紅の花弁に沈んでた』だったわよね?」
「うん。それは始まりだったよね。小百合と智哉と友達になった日から、始まった」
あの花弁の中で、僕たちは始まった。
「次は『意図と糸が絡み合い、僕は試されていた』だよね」
「そう。あの悪意の連鎖は、まるで僕を試しているかのようだった」
『呪い』という形の悪意は連鎖した。それは意図、自我を守るという理由で、人を傷つけていた。最後に僕も対象になり、あれは。
試されていたと表現しても間違っていない。
「『そのすべては今ある幸せのため、たどり着くための条件』、でしたよね」
「正解。みんなよく覚えてたね。その続きは『紅い言葉は告白、それは始まりの合図。今では蒼く染まり、澄んだ空に溶けた。出逢えたのは運命だと、そう思える君との奇跡の軌跡』」
静まり返った教室に声が響いた。いつの間に静かになっていたのか。歌い慣れた曲であったこともあり、歌詞を単純に読み上げることができず歌ってしまった。
「久しぶりに聴いたね、須賀くんの歌」
「去年の文化祭以来だよー」
近くにいた女子グループに拍手された。なんか照れる。家族や友人以外がいるところで歌うのは久しぶりだった。確かに去年の文化祭でステージの上で歌ったが、恥ずかしいのは変わらない。
パチパチと、クラスメイトの半数が拍手していた。
「…ありがとう」
一応礼を言うと、好意的なクラスメイトは笑顔で手を振り、雑談を再開した。
一部の好意的じゃないクラスメイトは睨んでいた。別に目立ちたくてやったわけじゃないんだけど。
「で、これが咲良が感じた『今回の事件』。僕も咲良と同意見だよ。誰も後悔しなくていい。全ては今の幸せのための軌跡だと思えるから」
あのときこうしていたら。その仮定は無意味だ。もし、なんてない。
今が絶対で、確定している。
「二番の歌詞は僕と咲良の出逢いだから、それはまた今度」
「紅から始まって蒼になったから、『蒼い物語』ですね。今では『あの事件』がきっかけで良かったと思います」
夏目の笑顔に、智哉と小百合は笑みを返した。
紅に沈んだ言葉は蒼い歌になり、僕たちは幸せになった。
『呪い事件』の本当の終結が二年後だとは、このときわかるはずもなかった。
『万屋事件』は一年前の『さよならの言葉』の事件のことです。