10.呪いと悪意
「今回の事件は『眼帯』の派生なのよ」
帰り道、小百合は唐突に話し出した。今まで話していた話題とは全く関係ない。でも、何に関係しているかわかった。
気になっていた。あの場で、『劣等感と障害は似ていて、誰もが持っている』についての解説はなかった。
「小さい頃、眼鏡に憧れなかった? ギプスをしている子が羨ましかったり。不便なはずなのに、特別だと思ったりしなかった?」
「確かに思った。包帯とかも特別に思えて」
魅力的な負のアイテム。付けていると、特別だった。皆の注目を浴びて、心配してもらえる。
あの頃はただのトローチも、特別なものに見えていた。
「二年前にもこの学校で流行ったことがあるらしいの。あるドラマが流行って、人気俳優がアクセサリーのように付けていたから。これを付けるだけで特別な人になれた気がするのよね」
たとえ本当はそうでないにしても。
はい、と渡された眼帯をポケットに入れた。
朝、教室に入ると、昨日のことはもう知れ渡っていた。僕が教室に着くのは一時限目が始まる十分前だから、生徒は大体来ている。佐藤はまだ一昨日のことを引き摺っているのか、姿が見えなかった。根岸も佐藤の轍を踏むのが嫌だったのか、空席になっていた。佐藤の様子を見ていれば、自分がどうなるのか容易に想像できる。
当事者がいない中、話は盛り上がっていた。小百合は話に参加する気はないようで、本を読んでいた。その顔は俯いていたが、不機嫌そうな表情が見て取れた。智哉は小百合の横に立って様子を見ていた。
昨日は散らばった札を回収し、何があったかわからないようにしたはずなのに。誰が噂を広めたんだ。
誰かが何処かで見ていたか、犯人が自分で言い出したか。
「真弓、お前また一番に着いたんだってな。お前がやったんじゃないのか?」
また黒井が無責任なことを言った。黒井も小百合同様影響力を持つ存在で、その発言に周りの生徒は反応した。昨日は小百合の方が影響力が強かったため負けたけど、今は違う。真弓に嫌な視線が集まっていた。
第一発見者が犯人なんて、笑えない。学校でそれをするのはメリットよりデメリットの方が大きすぎる。今回事件が起こった場所は、どちらも特定するのに時間が掛からない場所だったんだから、その可能性はもっと低くなる。発見するのは他人の方が適当だった。
その中で真弓は平然として、いつもと変わらない笑みを浮かべていた。打たれ強い。また真弓は被害者で、何かを我慢している。
「真弓がするはずない」
思わず口から出た。言った本人が驚いているのだから、周りも驚くのは当然だった。真弓に向かっていた視線は一気に僕に集まった。黒井はまた邪魔をされたのが気に障ったのか、こっちに向かって歩いてきた。
うわ、威嚇してるよ。でも本当のことだから仕方ないじゃないか。
「何でそんなことが言えるんだ? 真弓は八方美人でいつも他人と線を引いているだろ。もしかしたら、偽善なのかもしれない。佐藤や根岸を嫌っていたかもしれないだろ!」
「『かもしれない』なんて憶測は無意味だ。それに、偽善でもそれは優しさだよ。真弓はそんな卑怯なことはしない。怖いわけ? 犯人がわからないことが」
だから誰かを犯人にしたいのか、と言えば胸倉を掴まれた。
いいね、その短絡的なところが。そんなことをすれば、不利になるのは黒井の方だ。殴られるのは覚悟の内だった。こんなときに凄まれても、恐怖なんて感じなかった。周りにいるクラスメイトは理不尽な黒井の行動に戸惑っているようだった。
そのとき、凛とした少し高い声が通り抜けた。
「初めに言い出した人が犯人、っていうのもあるよね」
黒井は声のした方へ顔を向けた。言った本人、智哉は小百合の横に立ったまま無表情で黒井を見た。智哉が教室で普通に話すのは珍しかった。小百合とはよく話しているけど、その声は控えめで、はっきりと聞いた者は少ないだろう。
黒井は一瞬怯んだ。それが掴まれたところから伝わった。
「その手を早く離しなよね。そんなことしてると、本当に犯人だと思われるよ」
黒井は乱暴に手を払った。掴まれたところの皺を伸ばすために服を軽く払い、智哉を見た。黒井を責める瞳に出逢い一瞬迷ったが、お礼の意味を込めて薄く笑った。智哉は安心したのか、瞳の強さを少し緩めた。それでも鋭い視線を黒井に向けた。
真弓は自分を庇ったことで矛先が僕に向かったことを心配していたようで、黒井が離れてから急いで駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「平気。小百合、今回も解説を頼める?」
僕が攻撃対象になってからずっとこっちに視線を向けていた小百合は、やれやれと言った様子で立ち上がった。手には昨日拾った札を一枚持っていた。他の札はどれも同じで、処分してある。
「これは『祈祷』を意味するもので、『呪い』の効果はないわ。書いてあるのも間違ってるし。でも、相手の意思は『呪い』だと思う。昨日と同じね」
小百合の解説に教室にいる全員が耳を傾けていた。
そう、また『呪い』だ。昨日は魔法陣で、今度は札。種類は違っていても、どちらも第一印象は『呪い』を思わせるものだった。
黒井は何も言わなかった。小百合には弱いのだろうか。それにしても、大人し過ぎるような気がする。これは、なんとなくわかった。
黒井は小百合のことが好きなんだ。智哉に対しても素直に従ったところを見ると、小百合と一緒に行動している智哉も一目置かれているということだろう。突然その中に加わった僕を良く思わないのは仕方のないことだ。僕だって未だに何故一緒にいるのかがわからない。
友達という理由だけで。友達になるのに理由はなくても。
「一つ言っておくと、『呪い』はそれ自体じゃなくて、その『言葉』が問題なんだ。『呪われている』と思うことが、心理負担になる。そのストレスが、『呪い』の効果として体に変調をきたすんだよ」
智哉の説明は、納得させるものがあった。現代では、ストレスがもたらす体への影響はよく知られている。ストレスは頭痛や胃痛などの不調を引き起こす。自分が『呪われている』と思えば、体に異変が出ても不思議ではない。でも、ただの悪戯でやるには、相手の負担が大きすぎる。
『それ』に手を出したのは、佐藤とあとは誰なんだ。
「黒井、僕は怖い。悪意が感染しているようで、嫌なんだ。どこに向かっているのがわからなくて、怖い」
「弱虫だな。でも、確かにこの流れは嫌な感じだ。卑怯なのが気にくわない」
僕に向かって嘲るように笑ったが、そのあと苦虫を潰したように舌打ちした。
黒井は悪い人間ではない。皆の代表として態度に出しているような感じがした。皆が思っていることを曝け出しているような、そんな明け透けな印象がある。だからこそ、支持される部分があるのだろう。
自分が誰にも影響を与えない、小さな人間に思えた。
「『怖い』と認めるのも勇気よ。由宇はそれができるから好きよ」
突然、小百合がにこっと笑って言った「由宇」と「好き」に、クラスメイトは騒いだ。横目で黒井を見ると、悔しそうにしていた。
何で今言うかな。何か意図があるのはわかるけど。その好きは「友達」に対してなのに、この状況だと特別なものだと思われる可能性が高い。
「僕も由宇のことは好きだよ。だから、一緒にいるんだ」
智哉も加わった。これは二人の計画だと確信した。何かを煽っている。
それに顕著に反応した教室にいた生徒は沈黙して、僕に不躾な視線を向けた。
嫌だけど、気にしない。二人と友達になるのに、それくらいの覚悟はしていた。
「何をしているんですか。もうチャイムは鳴りましたよ」
担任の声が静けさを割った。女性特有の高い声ではなく、硬い声だった。真弓と同じ丁寧語なのに、使う人によってそれは全く違って聞こえた。
真弓の方が自然だった。
「また呪いのような悪戯があったようです。くれぐれも真似しないでください。では、授業を始めます」
担任が教科書を教卓の上に広げたのを合図に、クラスメイト達は自分の席に戻っていった。
教師には従順なクラスだった。反抗する者はこの場にいない。そういうグループは屋上でさぼっている。その方が賢い。教師相手に反抗しても体力の無駄遣いで、そんなことをするくらいなら大元から離れればいいだけのことだ。
それは教師を馬鹿にしている態度に見えるけど。
「では、今日は源氏物語に入ります」
硬い声に変化はなく、無機質な感じがして嫌だった。担任クラスの生徒が被害に遭っているのに、それを何事もなかったように振舞っている。悪戯で済ませないほどの悪質なものなのに、他の教師も何も言わないのか。
さっきから一つ引っ掛かっていることがあった。何故、『呪いのような』と言うのか。ただの『悪戯』で充分なのに、特定する意味はどこにあるのか。
授業は自習していたらわかる内容だから、意識を外に飛ばした。ふと視線を感じて顔を上げると、同じように授業に集中していない小百合と目が合った。苦笑を返すと、小百合は困ったように笑った。
やっぱりこの反応は変だ。智哉の方を見ると、こっちを見ていたようで視線が交わった。小百合同様苦笑をすると、智哉はあからさまに目を逸らした。
これは疑いようもなく、僕の笑顔は二人にとって嫌なものなんだ。これから気をつけよう。変な顔になっているのかもしれない。
隣の席の真弓を見ると、僕の視線に気がついたのか、真弓がこっちを見た。試しに笑顔を作ると、真弓も笑みを返した。これが友達の普通の反応だろう。
小百合と智哉と本当に友達になったと思っているのは、僕だけなのかな。『友達になりたい』と言ったのは向こうだけど、それは『万屋の部員』の僕としてなのかもしれない。名前で呼び合うのも、違う意味があってのことなのかな。やっぱり恋人のカムフラージュとか。
自問自答に最終的な答えはなかった。