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1.クラスメイトから友達へ

 瞼に唇が掠めたのを感じて、目を開けた。

 急に目に入った蛍光灯の灯りが痛かった。真っ暗な視界からいきなり入ってきた光が頭に響く。涙が出そうになった。

 目が覚めると同時に脳はフルスピードで状況を把握しようとする。ここは教室で。掃除した後の床に寝た。

 蛍光灯は寝る前には点いていなかった。テスト期間が終わり、今日は午後から授業がなかったため、クラスメイトは足早に教室を出ていった。その後、教室に誰もいないことを確かめてから床に寝転んだ。窓から入る光で十分明るかったから、灯りを消したのを覚えている。

 僕が寝ている間に誰かが点けた。それに気付かなかったなんて。思ったより深く眠っていたみたいだ。

 瞼をひと撫でして、仰向けの体勢から両手を付いて勢いよく起き上がった。

 脳が揺れた気がした。

 揺れを抑えるために強く目を瞑って視界を閉ざすと、視覚以外の感覚が鋭くなった。遠くで野球部の掛声が。吹奏楽部の演奏が。窓から心地良い風が。近くで花の匂いが。

 花の匂い?

 手を動かすと、何か触っているのに気付いた。軽い感触で、何かはわからない。

 目を開けると。

 まだ夢を見てるのかと疑った。

 視界に入るのは赤一色で。

 まるで血の中にいるような錯覚を起こした。一面の赤、紅、朱。赤に取り囲まれていて。

 眩暈がしそうだった。

「花弁……」

 手に取って見れば、赤いモノの正体は花弁だった。どこにでもあるような花に見えて、種類はわからない。何の花なのか、検討もつかなかった。

 何故花弁が辺りを覆っているのか。眠るまでは、ただの教室の床だった。

 今わかることは、瞼を掠めたのは花弁だということだけで。

「起きた? 眠り姫」

 発声の練習を受けたような明瞭な声は女性のもので、背後から聞こえた。

 知っている声。

 すぐにその声の人物が分かり、無意識に溜息が出ていた。彼女を知らない者はこのクラスにいない。学年中で知らない人はいないかも知れない。それほどの有名人だ。

 彼女がこの場にいるということは、この状況を作り出したのは。

「僕は姫じゃないよ。イタズラお姫様?」

 後ろに立つ人物はくすくすと楽しそうに笑った。嫌味が通じてない。仕方なく後ろを振り返って向き合った。

 教室にはもう一人いた。

『姫みたい』に整った容姿を持つ諏訪すわ小百合さゆりは一面に広がる赤の中、机に座って縁に手を付き、少し前屈みになっていた。その近くで、周防すおう智哉ともやが箒を持って床を掃いている。

 一般的に美形と言われる二人の組み合わせは、最近になって見かけるようになったものだった。一年のときはそれぞれ違うクラスで、クラス替えがあったのは一ヶ月前。諏訪と周防はいつの間にか一緒にいるようになっていた。それまではどちらも一人でいるのが苦痛ではないように見えて。

 自分と同じなのかもしれない、と思った。

 まあ、ただ協調性がないだけかもしれないけど。

 ちらりと視線を下に向けると、周防が掃いた部分には床が見えていた。思ったより花弁の量は少ない。

 状況が判らないまま様子を見ていると、周防は顔を上げた。可愛い部類に入る容姿は無表情で、床を掃く手を休めることはなかった。

「説明がいる? 須賀すが由宇ゆう

「……フルネーム? まあ、いいけど。で、これは何?」

「秘密」

 ふっと嫌味に口元を上げた周防は、興味が無くなったように視線を下へと遣った。

 じゃあ言うなよ。その言葉を飲み込んだ。

 今やることは全然手伝う気のない諏訪に構わず、周防に手を貸すことだった。この赤は嫌な気分になる。血を連想したこともあるけど、不吉な感じがして本能がこの状況を拒んだ。

 勢いをつけて立ち上がり、教室の隅に備え付けられている掃除用具入れから箒を取り出した。床で寝ていたため、身体は固まっていて動き難い。体を解すために両肩を回した。関節が微かに鳴る。

 諏訪は満足そうに脚を揺らしながら見ていた。鼻歌でも歌いそうな雰囲気だ。

 本当に手伝わないつもりかな。この状況に耐えられるなら、手伝う必要はないけど。明日にでもなれば、不快に思う誰かが片付けるだろう。でも、その場合疑われるのは僕だ。最後に残っていたのをクラスメイトに見られていた。その理由がなくても、僕自身が不快に思う誰かの一人なのだから、片付けないわけにはいかない。

 机は掃除が終わった後のまま、ほぼ等間隔に並べてあり、掃き辛かった。何度も机と椅子の脚に箒が当たる。箒も古いため、回転する部分が動き難かった。箒が当たる度にガンガン音が鳴るのが煩わしい。

 それを気にすることもなく、周防は黙々と掃いていた。元々器用なのか、机や椅子に軽く当たるだけで綺麗に掃いていっている。

 暫くその様子を見ていると、ふとこの状況に疑問を持った。

 何故、ここに二人がいるのか。

「もしかして、僕が起きるのを待ってた? 友達になりたいの?」

 諏訪と周防とは友達と言えるほど付き合いはなく、ただのクラスメイトだった。クラス替えから一ヶ月経っているけど、まだこのクラスで友達といえるほどの人はいない。

 僕たちは、名字が『す』で始まるという共通点があり、協調性がないという意味でも似ていた。

 ただ、それだけだ。特に特徴のない顔の自分に比べ、二人の容姿は明らかに人目を惹く。だからこそ、二人とは特に関わりを持とうとは思わなかった。劣等感はないと思うけど、絶対にないとは言い切れない。比べられるのも嫉妬されるのも面倒だし。

 そんな葛藤を知ってか知らずか、諏訪は綺麗に笑みを作った。その意識しての笑みに惹かれるものはなかった。

 作りものは、嘘くさい。それに、綺麗な顔は見慣れている。昨年は部活で毎回見ていたし。

「友達になって良いの? それでいいなら、由宇って呼ばせてもらうけど。私は小百合って呼んでね。あと、起きるのを待っていたのは正解よ」

「……どうぞ」

 友達になるのに断る理由はなかった。でも、少し警戒した。起きていきなり友達宣言されても。

 諏訪もとい小百合は嬉しそうに表情を緩めた。綺麗を意識した笑みではない自然の表情は、素直に綺麗だと思った。前の作り物の笑顔とは違う。

 小百合はいつも『諏訪小百合』を演じているような気がしていた。語尾に『だわ』や『よ』を付けるのは、皆から女性らしいものを求められていて、それを具現化しているように感じた。

 今、僕の目の前で、理想の『諏訪小百合』が崩れてきている。

「僕も入れてくれる?」

「君が希望するなら。で、起きるのを待っていた理由は?」

 智哉も同意を得たのが嬉しかったのか、嫌味を全く含んでいない笑みを微かに浮かべた。智哉の無表情以外の顔を見たことがなかった。さっきみたいな嫌味な感じの笑顔は何度か見たことがあるけど、この表情は初めて見た。少し幼く感じる。

 クラスで人気一位二位を争う二人にこんな表情をされたら、こっちまで伝染する。自分では確認できないけど、きっと「仕方ない」とでも言うような困った笑顔をしているに違いない。

 小百合は笑顔を苦笑に変え、智哉は顔を少し顰めて手を前に出した。握手ではない。照れ隠しのようなものかな。智哉が差し出した手に箒を渡し、大体掃き終わった床に残った花弁を手で摘んでいった。机と椅子の隙間に挟まったものは箒で取れなかった。

 屈んで取っていると、上から小百合の声が聞こえた。

「これから起こることに関わって欲しいの」

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