きっかけ
ありがたく店主の物だという服を借り、店舗のほうへと戻ると既に床の掃除は終わっていた。
外は、相も変わらず嵐のような天候で、外へ出ることは無理そうだ。
店主の姿を目で探すと、カウンターの隅でコーヒーを入れていた。
店主のほうもこちらに気づき声をかけてくる。
「あぁ。着替え終わりましたか?じゃあ、これどうぞ」
「…ありがとうございます」
「いえいえ。そこ、座ってください」
さしだされたマグカップを受け取ると、カウンターの近くに置いてある椅子を指し示される。
とりあえず、言われるままに椅子に座り、テーブルに肘をつくと店主が俺の向い側に腰を落ち着けた。
―――――なんのつもりだろう?
まあ、店に人がいないのでヒマなだけ。という事もあるのかも知れないが。
・・・丁度いいから、いくつか気になっている事を聞いてみるか。
「あの、この店って何の店なんですか?」
「この店、ですか?…まあ、強いて言うならば何でも屋…ですかね」
「何でも屋?」
「えぇ。お客様が必要としているモノを手に入れて、引き渡す。たとえそれがどのようなモノでも…ね」
そう言った店主の顔は光の加減か、一瞬もの凄い無表情に見えて不気味だった。そして、何よりもさっきの言葉。
――――――もしかしてこの店、危ない感じの店だったのだろうか。
そんなことを考えてしまって、背筋が寒くなる。
命が惜しい訳ではないが・・・やはり、死に対する恐怖、というものはある。
そんな考えが顔に出ていたのか、店主があわてたように付け足してきた。
「だからって、別に法に触れるようなことはしていませんよ?」
「…そう、ですか…。もう一つ、質問いいですか?」
「どうぞ」
「この店、時計だらけですけど…。何でですか?」
「ああ。これですか」
そう呟いて、店主は苦笑した。そして、やはり気になりますか?と逆に聞かれてしまう。
「この時計たち、全部、時間がずれている様に見えますがこれで正しいんですよ」
「え?」
「時間の流れは、一つではありませんから」
「・・・・・はぁ」
言っている意味がいまいちよくわからない。・・・違う意味でのアブナイ店だったか?
「まあ、初めて店にくる方は大体がそんな反応です」
「そう、なんですか」
「はい、けれど知らなければそれはそれで構わない。必要なことっていうのは、知るべき時が来れば自然と分かるものです。」
そういった店主の声は、さっきまでとは違った、不思議な感じの声。言葉と共に浮かべた微笑も様々な感情が混ざっているように、見える。
不思議な店に、不思議な店主。
静寂が、満ちる。
けれど俺は、その中に不思議と居心地の良さを感じていた。その静寂は白けた、という感じではなく・・・温かい、穏やかなものだったから。
・・・・ここに居ても良いんだ、と言われている気がした。
コトリ、という小さな音に我に返ると、店主がこちらを見つめていた。
あってしまった目を、逸らしてもいいのか分からず困惑していると、店主が口を開いた。
とても、穏やかな口調で。
「この店に来る大体の方は、どうしても手に入れたいものがある方々です。もちろん、貴方の様に、偶然たどり着く方もいますが…そのような方は、ごく稀にしかいらっしゃいません」
「なぜ、ですか?」
「この店は、少し不安定な場所なんです。だから、同じ道を通ってもたどり着けないこともある。この店に偶然たどり着いた方の中で、お客として以外にもう一度この店に来られた方は一人もいません。この店は、行こうと思ってくることができる店ではないんです。」
「…え?」
店主の言葉の大半はよく意味がわからない。けれど、つまりは、もうこの店に来られないということだろうか?・・・俺は、何か手に入れたいものがあってきたわけではないから?
その思考を遮るように、店主の言葉が続く。
「けれど、もう一度自分の意思で、この店に来れるのならば、何か縁があるのでしょう。」
「縁…」
急な話の展開についていく事が出来ずに店主の言葉を反芻する。その、『縁』という言葉が、なぜか心の中に残っていた。
もう一度、説明してもらおうとしたところで、店主が店のドアのほうへ目線を向けた。
そして、苦笑ともつかない顔で小さくため息をつくと立ち上がる。
「そろそろ、雨も小ぶりになってきましたね。…傘をお貸しします。じきに暗くなりますし、帰ったほうがいいでしょう?」
問いかけの形をとられたその言葉は、しかしきっと俺に拒否権はないのだろう。
小さく頷き立ち上がると、店主がカウンターの奥の部屋から大きめの袋を持ってきた。中を見ると、俺の濡れた服が入っている。
その袋を受け取って入口のドアを開けると、確かに雨はかなり小ぶりになっていた。
店主は、傘立ての中から男物の傘を一本抜きとり、俺に差し出す。
「すみません。ありがとうございました」
「いえ。気になさらないでください」
きっと、店主の言葉の中には“返せなくても”という言葉が入るのだろう。
けれど・・・
「………これ、ちゃんと返しに来ますから」
「!…分かり、ました。お待ちしています。」
俺はこの店に、この人に、もう一度会いたいと思ってる。誰かに会いたいなんて思ったことは今までなかったのに。独りでいるほうが楽だったから。
「ありがとうございました」
「いいえ。…次回のご来店を、心よりお待ちしています。」
もう一度、店主に頭を下げて俺はその店 ――幻綺庵―― を後にした。
その三日後、俺は再び幻綺庵の前に立っていた。俺の姿を見つけた店主、涼さんは驚いた顔をした後、穏やかに笑って迎え入れてくれた。
その日から俺は毎日、幻綺庵へと通うことになる。幻綺庵の見習い店員として。
そして俺は、様々な出会いや体験をすることになる。
亀ペースな更新ですが頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました。