始まり
「なぁ黎斗!放課後ヒマか?」
声をかけられた黎斗という青年は申し訳なさそうな顔をして、笑う。
「ごめん。おれ、この後バイトなんだ」
切れ長の瞳に、サラサラの黒髪。それでいて、どこか不思議な雰囲気を纏ったこの青年。
その雰囲気はどこか人を惹きつけるようなところがあった。
「…お前、一年の頃に比べたらだいぶ変ったよな」
「…そう、かな?」
「なんつーか…丸くなったて言うのか?一年の頃は”寄らば斬る”っつーなんか近づき難い感じでさ。」
「そっか…」
黎斗は苦笑いしながら相槌を打つ。
たしかに、そうかもしれない。そして、きっと自分が変わることができたのは“あの店”と出会ったお陰だろう。
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始まりは、二年生に進級してまだ間もないころのことだったと思う。
その日は休日で、雨が降っていた。
連休などの訳ではないので雨が降っていれば人通りはほとんど無く。
俺は誰にも見咎められずに、どこへいくともなく歩いていた。
傘はさしていない。別に、濡れたって構わない。
目に付いた角を適当に曲がって、細い路地を何度かすり抜けて。
そんな風に歩いていて、気が付いたらどこかの路地の行き止まりだった。
そして、その突き当りには落ち着いた、どこかレトロな雰囲気の一軒の店。
入り口のドアのところには〖幻綺庵〗と、うすい金属のプレートにシックな文字で書かれている。
なぜか、この店に入ってみたくなった。
引き寄せられるようにして店の入り口に立ち、ドアを開ける。
それなりに広い店内。けれど、店の中を見回して驚いた。
店のいたる所に時計が置かれている。
振り子時計から普通の壁掛け時計まで、種類は様々だ。共通点と言ったらカウンターの上の一つを除いてそれらの全てがアナログ時計であることぐらい。
すべての時計がばらばらの時刻を指し、ぱっと見た感じで同じ時刻を示しているものはなさそうだ。
―――――きっと、この店の中で正しい時刻を示しているのはカウンターの上のデジタル時計だけなのだろう
店の入り口に突っ立ったまま俺はそんなことを考えていた。
髪の毛や服から滴る水滴が俺の足元の水たまりをじわじわと広げていく。
かちゃり、という音がしたのでカウンターのほうに目をやると奥の扉から一人の男性が出てくるところだった。
――――この店の店主だろうか。
スラックスに、糊の効いたワイシャツ。その上にベストを着て、ネクタイなどはしていない。
黒縁の眼鏡をかけていて、髪を後ろで一つにまとめていた。ほどいたら、肩にかかる位…だろうか。
そんな風に観察をしていると、店主らしき男と目があった。 とっさに目をそらす。
すると、意外なことに店主のほうから声を掛けてきた。
「すみません、少し店を開けていて…これ、お使いください」
そう言って差し出されたのは、一枚のタオル。それをみて、今の自分の状態を思い出した。
こんな状態で長居するのは迷惑以外の何物でもないだろう。…もう、十分迷惑をかけてしまっている気もするが、これ以上被害を広げてしまわないうちにこの店を出よう。
「いいです。…もう、出ますから。汚してしまって申し訳ありません」
「…いま、外へ出るのはやめた方が良いですよ」
一瞬店主の言葉を怪訝に思ったが、聞こえなかったフリをして扉を開けた。
その途端に、もの凄い風と痛いほどの雨粒に襲われる。
「ッ……なんだこれっ…」
嵐と呼べそうなぐらいもの凄い雨だ。激しすぎる雨のせいでほとんど先が見えない。
とっさに扉を閉めて、店の中に避難すると店主がバスタオルとモップを持ってカウンターの中から出てきた。・・・結局は、被害範囲を広めてしまったらしい。
「…すいません…」
「いえ、構いません。雨が小降りになるまで、雨宿りをしていってください」
「ありがとうございます」
感謝を述べつつ店主が手渡してくれたバスタオルでガシガシと体の水分をふき取る。
ある程度、水分が飛んできた所で店主がモップで床を拭きながら笑いかけてきた。
「私の物でよければ、着替えを用意したので使ってください」
「…いいんですか?」
「えぇ」
不信感を隠しもせずに問いかけると、店主は苦笑いしながら答える。
―――――なぜ、たまたま雨宿りしただけの自分にここまでしてくれるのか。
今までの経験のせいで、笑顔で近寄ってくる人間には自然と警戒心が働くようになってしまっている。
―――――なにか、裏があるのだろうか?
それとも、ただのお人よしか。
「着替えは、そっちの部屋に置いてありますから。濡れたままでは風邪をひいてしまいますよ?」
「…ありがとうございます」
たしかに、服が濡れたままだと気持ちが悪い。警戒心を解くことはできないが、ただのお人よしであることを願って、ありがたく服を借りることにしよう。
読んでいただきありがとうございます。
つたない文章ですが、これからも読んでやってください。