閉ざされた正門
閉ざされた正門
イオナは資料袋を抱え、門前の受付台へ契約書の複写を置く。
受付官は一瞥して、受領印を押さずに書類を押し戻した。
「提出者資格がありません」
「提出者資格の話じゃない。緊急災害対応の不正契約よ」
「正式窓口は監察局です」
「監察局上席の印が入った不正を、監察局窓口に戻せと言うの?」
受付官は顔を上げなかった。
門前兵が一歩前へ出る。退去命令。
やり取りは十分だった。これ以上続けても記録は残らない。イオナは無言で紙を回収し、裏路地へ抜けた。合流点にはメラとガルムが待っている。
「門前払い?」
「受領そのものを拒否された」
メラは肩をすくめ、荷車の底板を外した。隠し箱から黄ばんだ帳簿を一冊引き抜く。
「なら、こっちの記録を使う。三年前の港湾台帳控え。組合の税額照合用」
イオナは頁をめくり、息を詰めた。
監察局保管庫から消えていた期間の台帳、その写しだ。下層西区画の戸数、夜間人口、搬入量。どれも公式図面の「空白区画」と矛盾する。
「欠落台帳の控えが、組合に残ってた……」
「組合は損得で動く。税額の元帳を捨てるほど馬鹿じゃないよ」
ガルムが台帳へ指を置く。
「これで切り捨て対象が“無人地帯”じゃないと証明できる」
午後、詰所二階で証拠の束を再編した。
改ざん公文、原本控え、導体搬入記録、限定区画契約、欠落台帳控え。さらにクロウから受け取った搬入優先符号L-9の注記を添える。
イオナは紙束の表紙へ太く書いた。
デルガ港沿岸負荷調整計画に関する公開資料。
「明朝、中央広場で公開する」
イオナが言うと、ガルムは即座に条件を返した。
「公開手段は二重にしろ。壇上説明と同時に、複写を各区画へ配る。握り潰しを前提に設計しろ」
「配布班はうちが持つ」
メラが地図へ赤点を打つ。市場、下層入口、高台階段、北埠頭。
「この四点に同時投下。兵が来たら散って再集合。紙は持ったまま走ること」
夕方、組合倉庫の灯りが夜まで消えなかった。複写係が油紙を乾かし、読み上げ係が難語に注釈をつける。
イオナは文言を削り、住民が一読で理解できる形へ直した。
緩衝損耗対象。
その語の横に書き添える。
要するに「あなたの区画を先に捨てる」という意味。
夜半、裏口からクロウが現れた。机に折り紙を滑らせる。
「監察局内達。対象者二名、虚偽流布と機密窃取で拘束準備」
紙に記された名前は、イオナとガルム。
メラが舌打ちした。
「明朝の公開前に刈り取る気だ」
ガルムは内達を外套へしまい、短く言う。
「だから今夜で準備を終える。明日、逃げ道は消える」
深夜、イオナは最後の複写を確認した。欠落台帳の欄にある数字、八百二十三人を指でなぞる。
契約書では“緩衝損耗対象”と書かれた人数。
「明日、区画名じゃ呼ばない」
イオナは呟いた。
「八百二十三人、と呼ぶ」
窓の外で風が強まる。
二日前の夜は、もう後戻りを許さなかった。
公開前夜、イオナは配布紙の順番を三度入れ替えた。
最初に契約書を置くか、台帳を置くか、改ざん式を置くか。どの順に読ませれば「偽造だ」の一言で止まらないか。
最終的に一枚目は台帳にした。
名前と戸数が並ぶ紙から始める。被害区画という抽象語ではなく、暮らしの数から入る。
メラはその順番を見て頷いた。
「いい。最初に顔が見える」
二枚目に契約書。三枚目に導体搬入。四枚目に改ざん式。
最後に避難手順。
イオナは最終頁の赤線を読み上げる。
――一次避難を開始する。列を崩すな。
ガルムが机端を叩く。
「明日の拘束順位は俺が先だ。あんたは言葉を残せ」
「あなたに決める権限はない」
「権限じゃない。役割だ」
言い返しかけて、イオナは黙った。
役割の分担が感情より先に要る場面だと、彼女もわかっている。
深夜、組合倉庫の外で若い配布係が練習していた。難語を平易に言い換える練習だ。
「緩衝損耗対象、つまり……」
「“先に捨てる予定の場所”」
たどたどしい声だが、伝わる言葉だった。
イオナはその声を聞き、紙束を抱え直す。
明日の勝負は正しさの証明だけではない。理解される言葉で届ける勝負だ。




