表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/20

裏市場の夜明け前

 裏市場の夜明け前


 港北倉庫群の隙間に、夜だけ開く取引路がある。正規の台帳に乗らない荷、名義のない部材、誰のものでもない金。

 イオナは外套の襟を立て、ガルムの半歩後ろを歩いていた。


「ここで騒ぐな。相場が上がる」


 ガルムが小声で言う。


「騒ぐつもりはない」

「顔が騒いでる」


 返す言葉がなく、イオナは黙った。


 目的の店は、倉庫壁に挟まれた灯りの薄い小部屋だった。中には背の高い男が一人、指で銀貨を弾いている。

 クロウ。


「また会ったな、観測士さん」


 男は笑って椅子を示した。


「今日は何を買う? 希望? 証拠? それとも命?」


「沿岸工廠への搬入記録。補助導体の流れ全部」


 イオナが直球で言うと、クロウは楽しそうに眉を上げた。


「高いぞ」

「値段は」

「金貨三枚。前払い。返品不可」


 法外だった。だがここで引けば、明日の演説は空論になる。

 メラから預かった組合の準備金袋を、イオナは机へ置いた。


「二枚半」


 クロウは袋を持ち上げ、重さを測る。


「交渉下手だな。三と言っただろ」


 ガルムが横から低く口を挟んだ。


「偽情報を掴ませたら、次からこの市場でお前の帳尻は合わなくなる」


 クロウは笑みを消さずに、しばらく黙った。


「……いい。二枚半で売る。代わりに条件がある」

「何」

「演説で俺の名を出すな」


 袋と引き換えに渡されたのは、油紙に包まれた薄板だった。荷印、日付、搬入先、規格番号。工廠規格の補助導体が、封鎖開始前から段階的に増量されている。


 最後の行に、見慣れない符号があった。


 L-9。


「これは」

「積荷優先順位だ。L-9は『公文書より先に運べ』の意味」


 クロウは指を鳴らす。


「誰かさんは、紙より導体を信じてるらしいな」


 倉庫を出たあと、イオナは薄板を握りしめた。証拠は増えた。だが同時に、計画がかなり前から動いていたことも確定する。


「演説だけじゃ足りない」


 ガルムが歩きながら言う。


「明日、契約書の原本を押さえる」

「どこにある」

「工廠と監察局の中継庫。昼に決裁印が集まる」


 明け方、二人は中継庫の搬入口へ潜り込んだ。

 荷運びに偽装した組合員二人が、時間稼ぎで警備と口論している。メラの仕込みだ。


 騒ぎの隙に入った書庫には、決裁前の契約綴りが積まれていた。


 イオナは手袋をはめ、綴りをめくる。

 沿岸設備増強契約。保守費流用記録。違う。


 最下段の黒革綴りに、赤帯が巻かれていた。


 緊急対応契約(限定区画型)。


 帯を切る。

 本文一ページ目から、言葉が冷たかった。


 ――港中枢機能維持を優先し、下層西区画を緩衝損耗対象に指定。

 ――避難誘導は中枢区画を第一優先とする。


 末尾に、署名三つ。

 ローデン、監察局上席、港湾行政官。


「これだ」


 イオナは複写を取る。手が速すぎると紙を破る。呼吸を数え、線を写す。


 外で笛が鳴った。時間切れの合図。


 戻ろうとした瞬間、廊下の角から警備兵が現れた。


「止まれ!」


 ガルムが前へ出る。短い体当たりで兵の軸をずらし、扉へ道を作る。


「行け!」


 イオナは資料袋を胸に抱えて走った。背後で金属音が重なる。振り返らない。

 搬入口を抜けると、荷車が滑り込んでくる。御者席のメラが怒鳴った。


「飛び乗れ!」


 荷布の下へ転がり込み、荷車は市場方面へ流れた。追跡の足音は途中で消える。


 詰所に戻ったとき、朝日が倉庫壁を白く照らしていた。

 イオナは机へ資料を並べる。


 改ざん公文。個人控え。導体搬入記録。限定区画契約。


「揃った」


 メラが低く言う。


「これなら、誰が見ても言い逃れできない」


 イオナは頷き、次の紙を引いた。


 明日、中央広場で公開説明を行う。


 書きながら、胃の奥が重くなる。証拠を出すだけでは済まない。出した瞬間、こちらは敵認定される。


「覚悟は?」


 ガルムの問いに、イオナは筆を止めず答えた。


「ない。でもやる」


 それで十分だと、ガルムは言わなかった。

 ただ、短く頷いた。


 中継庫からの帰路、ガルムは珍しく無言だった。

 詰所へ戻って資料を並べ終えたあとも、椅子に座ったまま壁を見ている。


「疲れた?」


 イオナが聞くと、ガルムは少し遅れて答えた。


「似た署名を見たことがある」


 机上の契約書末尾、ローデンの名を指で軽く叩く。


「護送隊時代、行政官と技術官の連名で“限定損耗”を出した案件が二つあった。どちらも報告書は成功扱いだ」

「実態は?」

「現場を知る人間から順に辞めた」


 その言葉が、妙に重く残る。

 失敗ではなく成功として処理された案件ほど、後に残るのは数字ではなく沈黙だ。


 メラが湯を注ぎながら言った。


「だから今夜で終わらせる。成功扱いにさせない」


 三人は机の周りで役割を確認した。

 公開順序、配布経路、拘束時の代替指揮、避難開始の合図。


「合図は鐘じゃない」


 イオナが言う。


「鐘は向こうも使う。混線する。合図は紙の最終頁、赤線の文言で統一」


 最終頁にはこう書いた。


 ――『一次避難を開始する。列を崩さない』


 単純な文ほど現場で強い。


 夜明け前、クロウの搬入板を再確認していたイオナは、符号L-9の横に小さな傷を見つけた。刃先でわざと残したような印。


「これは何?」


 ガルムが覗き込み、首を振る。


「わからん。ただの搬入印じゃないな」


 意味はまだ読めない。

 だが、意味の読めない印は、たいてい上位の規格に属している。


 イオナは印を写し取り、別紙へ挟んだ。


「明日を越えたら調べる。越えられたら」


 メラが即座に返す。


「越える前提で動け。越えられる形にするのが今夜の仕事だ」


 その通りだった。

 希望は感情だが、生存は設計だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ