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七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす  作者: 蒼月よる


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地図にない通路

 地図にない通路


 表向きは封鎖された荷揚げ路、崩れた倉庫壁の裏、干潮時だけ現れる石桟橋。荷運び組合と密輸屋と監察局の一部だけが知る経路だ。

 夜明け前、イオナとガルムはその一つを黙って歩いていた。


「監視役って言ったわりに、ずいぶん協力的ね」


 イオナが先に口を開く。

 ガルムは前を見たまま答えた。


「監視と護衛は両立する」

「便利な言い方」

「便利じゃない。面倒だ」


 短い返答に感情は薄い。だが嘘をつく調子でもない。

 イオナはそれ以上追及せず、潮の匂いが強くなる方向へ足を速めた。


 港湾管理区画の裏門は閉じられていた。

 正面から入れば照会で弾かれる。だから裏へ回った。


「鍵は?」

「要らない」


 ガルムは錆びた閂を押し上げ、扉を半分だけ開ける。

 壊したのではなく、以前から壊れていたものを使った手際だった。


「慣れてるのね」

「慣れたくて慣れたわけじゃない」


 中は薄暗い帳票庫だった。木棚に海図と台帳が詰まっている。

 イオナは迷わず古い保管列へ向かった。沿岸ノードの潮位台帳は、通常なら年次で連番管理される。


 だが、あるべき列が途中で空白だった。


「……ない」


 イオナは棚板の埃を指でなぞる。最近抜かれた跡だ。

 欠落しているのは、三年前の神罰前兆が初観測された月と、その翌月の台帳。


「誤報事件の期間だけ、丸ごと抜かれてる」


 ガルムが低く言う。


「封緘記録は」

「あるはず」


 イオナは保管簿を引き抜いた。

 封緘解除欄に、見覚えのある印がある。


 沿岸工廠責任者、ローデン。


 三年前、誤報会議で最初に「観測士の判断ミス」と断じた男だった。


「工廠が潮位台帳を?」

「本来ありえない」

「つまり、ありえないことをやった」


 ガルムの言葉は乾いていた。


 帳票庫を出ようとした瞬間、廊下の先で金属が擦れる音がした。巡回兵だ。

 ガルムが即座にイオナの肩を掴み、棚の陰へ押し込む。


 靴音が近づく。灯りが棚の間を舐める。

 イオナは息を止めた。手の中の保管簿が汗で滑る。


「誰か入ったか?」

「いや、潮で扉が鳴っただけだろ」


 兵の声が遠ざかるまで、二人は動かなかった。

 灯りが消えてようやく、ガルムが手を離す。


「行くぞ」


 裏門を抜け、外の湿った空気を吸ったとき、イオナはようやく息を吐いた。

 空が少し白みはじめている。


「次は工廠?」

「直行は危険だ。先に下層区画を見る」

「なぜ」

「今朝、下層で小規模事故が出てる。原因が増幅試験と一致する」


 イオナは足を止めた。


「事故報告は来てない」

「上に上げてないからだ」


 ガルムは短く言い切る。


「被害が小さいうちは、数字にしない。数字にしなければ、なかったことにできる」


 三年前と同じ構図だった。

 違うのは、今回はまだ七日あることだけだ。


 下層区画の路地には、焦げた匂いが残っていた。

 荷車一台分の範囲だけ石畳が黒く焼け、壁の漆喰が剥がれている。

 周囲は水で流された跡がある。応急処置だけして、記録は消した現場だ。


 イオナはしゃがみ込み、石畳の割れ目を触る。


「熱の上がり方が速すぎる……通常の炉爆ぜじゃない」


 割れ目の奥に、細い金属片が引っかかっていた。

 引き抜くと、沿岸ノード用の補助導体だった。民間では手に入らない規格。


 ガルムがそれを見て、眉をわずかに寄せる。


「工廠規格だ」

「試験場はどこ」

「港東の封鎖区画。一般立入禁止」


 イオナは金属片を布に包んだ。


「今夜、そこへ行く」

「あんたは命令口調になると無茶を言う」

「七日しかない」


 ガルムは少しだけ黙り、やがて頷いた。


「なら準備を変える。正面侵入は捨てる」


 そのとき、路地の角からメラが現れた。

 荷運び連中を二人連れている。


「やっぱりここにいた。監察局が昼に公式発表を出すって」

「何を」

「『沿岸ノードに異常なし。虚偽情報に注意』だってさ」


 メラは吐き捨てるように言い、焦げ跡を見下ろした。


「この黒焦げを見ても、異常なしって言うんだね」


 イオナは金属片の包みを握りしめる。

 公式に否定されれば、住民は避難しない。避難しなければ、七日後に間に合わない。


 ガルムが低く言った。


「先に、証拠をもう一段重ねる。演説はそのあとだ」


 イオナは頷いた。

 怒りだけで動けば、三年前の再演になる。今必要なのは、誰も握り潰せない証拠の束だ。


 港の鐘が朝を告げる。

 その音を聞きながら、イオナは心の中で日付を一つ進めた。


 六日。


 帳票庫を出たあと、二人は港北の空き倉庫で一度だけ立ち止まった。

 まだ朝日が低く、床の割れ目から差す光は細い線になっている。ガルムは扉に背を預け、イオナへ保管簿を返した。


「呼吸を整えろ。顔が硬すぎる」


 言われて初めて、イオナは自分が奥歯を噛み続けていたことに気づく。

 ローデン印。三年前の欠落台帳。頭の中で単語がぶつかり、まともに並ばない。


「あなた、あの印を見て驚かなかった」

「驚くのは後でいい」

「後でいいって、便利な言葉ね」

「便利じゃない。現場で驚くと、死ぬ」


 ガルムの声は低く、平坦だった。

 感情を押し潰すことに慣れた者の声だ。


 イオナは保管簿を抱えたまま、問いを変える。


「護送隊時代、こういう案件を何件見た?」

「数えないようにしてた」

「なぜ」

「数えた瞬間に、全部思い出すからだ」


 短い沈黙が落ちる。

 倉庫外で荷車の軋みが通り過ぎた。


「……だから監視役なの?」


 イオナが聞くと、ガルムは少し考えてから答えた。


「監視役の名目は、あんたに近づくための鍵だろうな」

「誰の鍵」

「そこはまだ言えない」


 言えないことがあると、最初から宣言している。

 それは不誠実でもあるが、偽りでもない。


 イオナは倉庫の壁にもたれ、目を閉じた。

 三年前、会議室で一人だけ数字を叫んで、誰にも届かなかった自分を思い出す。届かないとわかっていても、言わなければならない数字がある。


「次の試験が今夜なら、私たちは間に合わせるしかない」


 目を開ける。


「証拠を取る。現場で。言い逃れできない形で」


 ガルムは頷いた。


「なら、準備を変える。撤退優先で入る。勝つためじゃなく、生きて持ち帰るためだ」


 その言葉で、イオナはようやく肩の力を抜いた。

 港の仕事は、英雄譚ではない。

 戻って報告できて、初めて一件になる。



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