七日後の灯
七日後の灯
新しい掲示板が立った場所は中央広場ではない。下層西区画の入口、以前は封鎖柵が置かれていた地点だ。
板には毎朝、潮位予測、避難導線、工廠稼働率、補助柱負荷が書かれる。監察局だけでなく、荷運び組合と住民代表の印が並ぶ方式へ改められた。
「見えるだけで空気が違うね」
メラが腕を組む。
「知らないまま捨てられるって恐怖が、少し減る」
イオナは頷いた。隠された数字は恐怖を増やす。共有された数字は準備に変わる。
ガルムは復旧班の列を見ながら報告する。
「仮住居移送は九割終了。残りは東端の老朽家屋だけだ」
ローデンは正式罷免。調査委員会へ身柄が移った。
ただし、契約書の語彙と決裁順には上位会議体の雛形が見える。彼一人の判断ではない。
夕方、イオナは旧灯台裏に立った。
七日前、ガルムと初めて会った場所だ。
「再任命書が来た」
ガルムが封書を差し出す。監察局正式印。
元潮位観測士イオナを、港湾共同観測室責任者として再任する、とある。
イオナは一読し、封を閉じた。
「受ける。ただし条件付き」
「言ってみろ」
「観測室の鍵を監察局だけに持たせない。組合と住民代表にも持たせる」
翌日、条件は通った。
共同観測室の鍵は三本。監察局、組合、住民代表。
夜、作業机で新しい観測帳を整えていると、窓を叩く羽音がした。郵便鳥だ。足環の封筒に差出人はない。
中身は一枚の波形図と、一行。
――北方沿岸ノード、同一の人為増幅を確認。会議体はすでに動いている。
紙端にかすれた符号が残る。L-9ではない。N-3。
イオナは暗い海の向こうを見た。
「次の港が呼んでる」
背後でガルムが外套を取る。
「七日で足りるか」
「足りないなら、足りる形にする」
デルガの灯りが風に揺れる。
最初の七日間は終わり、次の七日間が始まろうとしていた。
再任命を受けた日、イオナは観測室の最初の会議で奇妙な提案をした。
「毎週一回、住民向けに“数字の読み方”講習を開く」
監察局職員は眉をひそめる。
「専門情報を一般へ開きすぎると混乱を招く」
イオナは即答した。
「混乱は隠すことで大きくなる。読める人間を増やすほうが早い」
メラは横で腕を組み、ガルムは無言で出席者名簿を眺める。
講習初日、参加者は十二名だった。
漁師、荷運び、炊き出し担当、見習い、書記補。
イオナは黒板に「閾値」「勾配」「避難導線」の三語だけを書いた。
「全部覚える必要はない。上がってるか下がってるか、どちらへ逃げるか。この二つだけ読めればいい」
講習後、年配の漁師が言う。
「読めると怖くなるな」
イオナは頷いた。
「怖くなる。でも、怖さの正体がわかる」
その夜、匿名封筒のN-3を見たとき、彼女はもう迷わなかった。
次の港へ持っていくべきものは、英雄的な決断ではない。読める仕組みそのものだ。
ガルムが問いかける。
「出発は三日後でいいな」
「うん。デルガの引き継ぎを終えてから行く」
メラは笑って手を振った。
「次で失敗しても戻ってこい。戻る導線を切るな」
イオナは封筒を胸へ入れ、静かに答えた。
「戻るために行く」
港の灯りが一つずつ点く。
次の七日間は、もう地平線の向こうで動き始めていた。




