霧の裏門
霧の裏門
見張り二名、交代空白三分。
メラの組合員が正門側で荷車転倒を装い、怒鳴り合いを始める。兵の視線が逸れた瞬間、イオナと二人の荷運びは裏門へ滑り込んだ。
鍵はクロウ図面どおり、第三扉の蝶番が甘い。音を殺して外し、最奥拘置室へ到達する。
ガルムは壁にもたれ、手枷のまま座っていた。右頬に新しい裂傷が一本増えている。
「遅い」
「迎えに来る時間を計算してた」
イオナは手枷を外し、四時間窓の計算紙を渡した。
「救出、避難、停止を同時に回す。猶予は正午前まで」
ガルムは一読し、立ち上がる。
「無茶だが、筋は通ってる」
外へ出ると、東の空がわずかに白み始めていた。三人はそのまま下層西区画へ走る。
メラが鐘楼下で拡声筒を握った。
「一次避難開始! 荷は一袋、歩ける者は高台へ。老人と子どもを先に通す!」
広場演説の紙を読んだ住民たちは、半信半疑ながら動き出す。疑いながらでも、列になれば強い。
イオナは列の先頭と末尾を走り、潮位に合わせて経路を切り替えた。
「西路冠水、北階段へ! 列を崩さない!」
喉が焼ける。声を止めれば列が止まる。
夜明けを越えた頃、一次集合点三箇所のうち二箇所は搬出を終えた。だが第三列が正規避難門で止められる。
「通行許可なし。引き返せ」
「緊急避難だ!」
「命令は命令だ」
押し問答の最中、港中枢側の警鐘が三連で鳴った。
非常封鎖の合図。
ガルムが顔を上げる。
「来た。正規避難路が閉じる」
次の瞬間、東門、西門、中央門の鉄格子が順に落ちた。
デルガ港の正規避難路は全面閉鎖。
群衆のざわめきが悲鳴へ変わる。
イオナは即座に地図を破って配り、怒鳴った。
「正規路は捨てる! 組合潮路へ切替! 高台北面へ流せ!」
メラ班が列頭を受け取り、荷運び網の私道へ住民を誘導する。違法導線だが、今はそれしかない。
ガルムがイオナへ短く告げた。
「避難はメラに預ける。次は工廠だ」
未明の空が白くなる中、二人は東工廠へ向けて走り出した。
正規門が閉じたあとの数分間が、この日いちばん危なかった。
悲鳴は連鎖する。
一人が走れば十人が走る。十人が走れば列は壊れ、壊れた列に兵は「暴徒鎮圧」の名目を得る。
イオナは列の中央へ割って入り、声を張った。
「走らない! 前の背中だけ見て進む!」
メラ班の見習いが同じ文を復唱する。
「前の背中だけ!」
短い文ほど群衆で機能する。
荷の再選別もその場で行った。
重すぎる袋は中身を半分に分け、必要度の低い物資は一時保管札をつけて市場倉庫へ戻す。後で取り戻せると示せば、人は手放せる。
ガルムは門前で兵を抑えながら、背後へ怒鳴る。
「列頭、左折準備! 段差注意!」
避難は逃走ではなく輸送だ。
輸送は段差で止まる。
高台北面へ最後尾が抜けた時点で、イオナは一度だけ膝をついた。喉が焼け、視界が白い。
それでも地図を開き直す。
「残り時間」
「三時間少し」
ガルムの返答を聞いて、彼女は立ち上がった。
次は工廠。
この半日で、まだ終わっていない工程がある。




