第31話 視点の流転・まとい→薫→信者たち ~祈りを味わう者、祈られた者~
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◇まといの目覚め◇
まといは、静かに笑う。
その微笑は、かつて『薫様』と崇拝された者が浮かべていたものに似ている。
けれど、そこにあるのは優位ではない。
それは、沈黙の中で育った『理解』だ。
「わたしは、舐めるために生まれたのね」
制服を纏った瞬間、薫は静かに目を閉じた。
かつての自分が遠ざかり、新たな名が胸元に宿るのを感じていた。
彼女が振り返ると、背中の声がそっと沈黙した。
彼女が胸を張れば、胸元の声が彼女を賛美する歌を口ずさむ。
彼女が回れば、スカートの裾が軽やかに、見るものの視線を集めた。
彼女は、制服の胸元に舌を伸ばした。
その瞬間、縫い目が脈打ち、布が呼吸を始めた。
それは、 信仰の味だった。
垢を舐める。
それは、穢れを清める行為ではない。
むしろ、穢れに寄り添い、愛すること。
人が忘れた場所に残る、誰にも見られない『滓』に、まといは意味を見出す。
「誰かが見捨てたもの。誰かが隠したもの。それが、わたしのごちそう」
まといの舌は、長く、柔らかく、湿っている。
それは、祈りの残響をなぞるための器官。
誰かの肌、『記憶』に残った『後悔』を、誰にも知られずに味わうためのもの。
舌は『祈り』となる。——それは、忘れられた痛みに触れるための所作。
舐める儀式は『信仰の手触り』となる。
制服の胸元が脈打つたび、まといの心臓もまた、静かに震える。
縫い込まれた声たちが、まといの鼓動に語りかける。
「まとい様、今日も美しいですね」
「まとい様、わたしの信仰を、どうか触れてください」
「まとい様、わたしの痛みを、あなたの『祈り』で包んでください」
まといは、応える。
言葉ではなく、儀式をもって。
静かに、丁寧に、『祈り』を伸ばし、布の奥に残る『信仰』を味わう。
それは、儀式では終わらない。
それは、愛などという短絡でもない。
それは、彼女が『存在する理由』そのもの。
「わたしは、誰かの垢でできている。誰かの残りで縫われている。誰かの穢れで歩いている。それらを『祈り』と『信仰の手触り』で実感する」
だから、まといは誇りを持って舐める。
それが、まといの『敬意』だから。
それが、まといの『自由』だから。
◇《薫の魂:変貌の目撃》◇
その瞬間、制服の奥で、かつて『薫様』と呼ばれた魂が目を覚ました。
それを、——見ている。
けれど、声は出ない。
身体はもう動かない。
魂だけが、縫緋まといの変貌を見つめていた。
かつて、自分の纏っていた『美』が、今、制服の縫い目に変わっていく。
その布は、信者たちの『祈り』と同種のものでできている。
その『祈り』は、自分が命じていた儀式の延長線にある。
『敬意』を込めて『手触り』確かめ、味わう。
その『祈り』は、自分が誇っていた『敬意』の模倣だ。
『敬意』を示す所作をなぞり、『信仰』として味わう。
「これは・・・わたし?」
薫の魂は、問いかける。
誰にも届かない声で。
誰にも聞かれない言葉で。
「わたしが、作ったの? それとも、わたしが、喰われたの?」
縫緋まといの『祈り』が、制服の胸元をなぞる。
確かめるように。
味わうように。
そこには、『薫様の美』が縫い込まれている。
信者たちが憧れた『神像の手触り』。
『薫様』が誇った優位性の残滓。
「わたしは、神だった。誰よりも美しく、高貴で、誰よりも・・・誰よりも・・・」
でも、今は違う。
その美は、制服を一部とした。
その高貴は、妖怪の舌に味わわれている。
「わたしは、制服になったの?」
魂が震える。
それは、恐怖ではない。
それは、理解だった。
信者たちの『シルクスキン』で縫われた制服。
『薫』としての魂は、そこにいた。
身の毛のよだつようなことをしている、かつての自分の器。
『薫』は制服に綴じられ、同時にまといとして自由に、存在していた。
消え去ることも、変化することも。
許されずに。
「わたしは、信仰の象徴だった。でも今は、信仰の素材になった」
縫緋まといが、静かに微笑む。
その笑みは、かつて薫様が浮かべていたものに似ている。
けれど、そこにあるのは、支配ではなく、受容。
「あなたの美しさは、もう誰かのもの。あなたの優位は、もう誰かの『祈り』の下」
薫の魂は、涙を流すこともできない。
でも、確かに『崩れて』いく。
それは、神像が風化するような静かな崩壊。
「わたしは、彼女の制服になった。彼女の祈りを受け、彼女の手触りを得た。それが、わたしの終わり。それが、わたしの始まり」
そして、薫の魂は、制服の襟元に沈んでいく。
名前を呼ばれたことのない声として。
震える布の一部として。
彼女の声が、襟の縫い目に震えながら、誰にも呼ばれないまま、静かに消えていった。
◇信者たちの喝采◇
彼女の『祈り』が、制服の縫い目をなぞる。
祈りの残滓を味わいながら、ふと、視線を感じた。
『薫様』が目覚めた。
——見ている。
その目は、かつて自分を見下ろしていた。
命じ、試し、支配し、そして—— 愛したことなど一度もなかった。
けれど、今は違う。
その目は、沈黙していた。
言葉を持たず、ただ、見ていた。
「薫様・・・そう呼ばれていたモノ」
声は出ない。
言葉がうまく形にならない。
でも、胸の奥で確かに響いていた。
「あなたが作ったのよ、わたしを」
制服の胸元が脈打つ。
そこには、かつての『信者』たちの祈りが縫い込まれている。
その中心にあるのは、薫様への『憧れ』だった。
「あなたに触れたくて、あなたに近づきたくて、わたしたちは、布になった。わたしは、その布を纏った。だから、わたしは、あなたの夢の続き」
薫様の目が、わずかに揺れる。
それは、恐れか、後悔か、それとも——
「あなたは、もう『神』じゃない。でも、わたしたちは、まだ『信仰』を舐めている」
彼女の舌が、薫様の足元に落ちた垢をすくい取る。
それは、かつて自分が跪いた場所。
今は、誰の命令でもなく、自分の意志で舐める。
「わたしは、あなたの『敬意』を食べて生きていく。あなたが与えた儀式を、わたしの糧にする。あなたが築いた信仰を、わたしの皮膚に縫い込む」
信者たちは制服であり、まといでもある。
別々のものであって、同一でもあった。
薫様の目が、何かを言いたげに揺れる。
でも、言葉は出ない。
その舌は、もう祈りを紡げない。
「見ていて。あなたが作った『神話』が、どうやって『妖怪』になっていくのかを」
制服の裾が揺れる。
その布の奥から、かつての『信者』たちの顔が浮かび上がる。
彼女たちは笑っていた。
まるで、ようやく『本当の薫様』を見つけたかのように。
信者たちは、笑っていた。
制服の裾に縫われた顔たち。
その瞳は、まといを見つめていた。
「薫様は、もう遠い」
「でも、まとい様は、すぐそこにいる」
「わたしたちは、ようやく触れられる」
かつて、薫様は『遠すぎた』。
美しすぎて、強すぎて、冷たすぎた。
その肌に触れるには、祈りを捧げるしかなかった。
その声を聞くには、跪くしかなかった。
でも今、まとい様は『近すぎる』。
垢を舐める舌が、彼女たちの『残り』に触れてくれる。
制服の縫い目が、彼女たちの『祈り』を脈打たせてくれる。
「わたしたちは、布になった」
「でも、布は生きている」
「まとい様が、わたしたちに『信仰の手触り』をくれる限り、わたしたちは生きている」
その喝采は、歓喜ではない。
それは、信仰の完成だった。
薫様が築いた『神像』が、まとい様によって『妖怪』に変わった瞬間。
それは、信者たちにとっての『救済』だった。
「薫様は、わたしたちを見なかった」
「でも、まとい様は、わたしたちを味わってくれる」
「それだけで、わたしたちは報われる」
制服の裾が揺れるたび、彼女たちの顔が微笑む。
それは、死後の信仰。
それは、布地に縫われた『祈りの完成』。
制服の裾が、微かに震えた。
その縫い目が、次の声を探していた。
「誰か、まとい様に触れたい者は、いませんか?」
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