第22話 学園祭を待ちわびる影 ~旧校舎の『ナニカ』、祭りを夢見る~
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制服姿の妖怪たちが集う、奇妙で愉快な迷宮。
それは、 かつて誰にも見られなかった『教室の隅』で、 ひとりきりで夢見た祭りだった。
その瞬間——
旧校舎で教室の空気が、わずかに揺れた。
時計の針が、止まったまま震えた。
黒板の端に置かれたチョークが、 ほんの少しだけ転がった。
静まり返った教室で、『ナニカ』が、静かに目を開けた。
その『ナニカ』は、 確かに、祭りの匂いを知っていた。
迷宮では、制服姿の妖怪が笑っていた。
その笑いが、旧校舎の窓を、ほんの少しだけ震わせた。
空っぽの教室。
でも、黒板の前に、 一冊のノートが開かれていた。
ページには、 震えるような文字で、模擬店の企画が書かれていく。
「お化け屋敷」「焼きそば」「占いの館」「迷宮の宝探し」
その文字は、どこか懐かしく、どこか幼い。
でも、確かに『誰か』が書いていた。
チョークが、黒板の端に転がった。
それは、かつて誰にも見られなかった『教室の隅』で、ひとりきりで夢見た祭りだった。
そして今、『ナニカ』が、その夢を、もう一度、企画しようとしていた。
ノートのページが増えていく。
ページには、震えるような文字で、模擬店の企画が並んでいく。
・お化け屋敷(旧音楽室)
・焼きそば(中庭の井戸跡)
・占いの館(理科準備室)
・迷宮の宝探し(旧図書室からスタート)
・肝試し(北側階段〜旧校長室)
・紙芝居(廊下の突き当たり)
・秘密の展示室(旧美術室)
・制服試着体験(旧被服室)
・懐かしの給食再現(調理室)
・校舎探検ツアー(屋根裏含む)
ページの隅には、「来場者プレゼント:手作りしおり」と、震えるような文字で書かれていた。
それは、まるで旧校舎そのものが、ひとりで夢を見ているようだった。
誰かが書いているのかもしれない。
ノートの最後のページに、小さな文字で書かれていた。
—来場者の皆さまへ—
・旧校舎は、現在使用されておりません。
・廊下の軋みは、誰かの記憶です。
踏みしめる際は、静かにお願いします。
・旧校長室には入らないでください。
鍵は開いていても、心は閉じています。
・図書室の奥には、貸し出し記録のない本があります。
読まないでください。それは存在していないからです。
・音楽室のピアノは、誰かが弾いていた記憶です。
音楽が流れても、拍手は不要です。
・制服の試着は一度だけ。
二度目は、戻れないかもしれません。
・迷ったときは、階段を数えてください。
数が合わなければ、夢です。
・帰るときは、名前を思い出してから。
忘れたままでは、帰れません。
楽しい祭りになりますように。
最後の一文。
少しだけ、文字が滲んでいた。
◇
昇降口の扉が、音もなく開いた。
誰もいないはずの旧校舎に、『ナニカ』が入ってくる。
靴箱の列。
名前の札は、すべて色褪せていた。
廊下の窓には、夕方の光が斜めに差し込んでいる。
『ナニカ』は、一歩ずつ、ゆっくりと歩いていく。
『ナニカ』は、給食室の前で立ち止まり、ほんの少しだけ首を傾けた。
懐かしい匂いが、記憶の底をくすぐった。
誰かが「おかわり」と言った声が、まだ壁に残っている気がした。
保健室の前では、
白いカーテンだった布が風に揺れていた。
誰かが泣いた記憶が、ベッドの皺に染み込んでいる。
階段を上る。
一段ごとに、軋む音が違う。
それは、まるで『校舎が話している』ようだった。
二階の廊下に出ると、『ナニカ』は、ふと立ち止まる。
黒板の前に、ノートが置かれていた。
ページが一枚、風にめくられる。
「演劇(2年1組)」
「写真館(理科室)」
「迷宮の宝探し(図書室スタート)」
『ナニカ』は、校舎の隅々を見渡しながら、夢の続きを書き足していく。
それは、かつて誰にも見られなかった『教室の隅』で、ひとりきりで夢見た祭りだった。
そして今、校舎そのものが、その夢を、もう一度、思い出そうとしていた。
◇
二階の特別教室。
『ナニカ』は、旧理科室の扉をそっと開ける。
瓶の中の液体は干からびていた。
でも、棚の奥にある『誰も知らない薬品』だけは、なぜか冷たく光っていた。
黒板には、消し残された文字。「この部屋では、夜になると——」
『ナニカ』は、その言葉の続きを書き足さず、そっと扉を閉じた。
隣の美術室では、石膏像が、少しだけ向きを変えていた。
誰も触っていないはずなのに。
『ナニカ』は、「動く石膏像の写真館」と、企画ノートに書き足した。
◇
一階に戻る。
体育館の扉は重い。
でも、開けた瞬間、
木の床が、誰かの足音を思い出した。
「バスケ部の幽霊が、夜に練習している」
そんな噂が、体育倉庫の奥に貼られた紙に、手書きで残っていた。
「必ずボールを一つ、片付けずに残しておくこと」
バスケ部部長の名で注意書きがされていた。
名前を知らない先輩のための気づかいだろうか。
『ナニカ』は、「深夜の球技大会」と、企画ノートに書き加える。
校舎の隅々に、怪談と記憶が、静かに眠っていた。
それは、かつて誰かが怖がりながらも、ちょっとだけ楽しみにしていた『話』だった。
そして今、『ナニカ』は、それをもう一度、祭りの中で演じようとしていた。
校舎の裏手に回ると、錆びたフェンスの向こうに、旧プールが静かに横たわっていた。
水は、もう張られていない。
でも、底に溜まった雨水が、夕暮れの空を映していた。
『ナニカ』は、フェンス越しに、じっと水面を見つめた。
胸の奥が、ほんの少しだけ、きゅっと鳴った。
そのとき——
水の底で、何かが、ゆっくりと動いた。
緑色の影。
丸い頭。
皿のような輪郭。
それは、河童の記憶かもしれない。
それとも、かつて誰かが語った怪談の、最後の一節かもしれない。
『ナニカ』は、ノートに一行だけ書き足す。
「プールの底に、河童がいる(水中展示)」
◇
そして、 校舎の裏階段を登って、屋上へ。
錆びた柵。
風に揺れる雑草。
誰かが、ここで叫んだ記憶が、空に溶けていた。
「屋上ライブ(誰もいないステージ)」
放送室では、マイクに残った誰かの声が、ノイズ混じりに響いていた。
「放送体験・幻の校内アナウンス」
旧校長室の扉は、開いていた。
でも、『ナニカ』は入らなかった。
ただ、ノートの隅に、震える文字で書き足した。
「立ち入り禁止(理由は不明)」
二階の踊り場。
西側の窓から、夕陽が差し込んでいた。
『ナニカ』は、ふと立ち止まる。
階段の手すりに、 小さな彫り傷があった。
「K+M」
それは、誰かが刻んだ、ほんの一瞬の勇気だった。
廊下の隅には、落書きのような文字が残っていた。
「放課後、あの場所で」
その『あの場所』が、どこだったのかは、もう誰にもわからない。
でも、校舎の空気は、その言葉をまだ覚えていた。
◇
体育館の裏手。
『ナニカ』が近づくと、壁に寄り添うような影が、一瞬だけ揺れた。
それは、かつて恋を囁いたカップルの、面影だったのかもしれない。
男子は、制服のポケットに手を入れて、何かを渡そうとしていた。
女子は、ほんの少しだけ、顔を伏せて笑った。
その笑い声は、校舎の壁に染み込んでいた。
『ナニカ』は、その空気の温度に、少しだけ足を止める。
ノートの隅に、小さく書き足す。
「恋人たちの待ち合わせ場所(非公開)」
そして、ページの端に、震えるような文字で、こう書き留めた。
「この場所で、ふたりは、名前を交換した」
それが誰なのかは、『ナニカ』にもわからない。
でも、その記憶が、迷宮の支配者の心の奥に、静かに届いていた。
それは、生まれる前の優しさ。
そして、誰にも見られなかった、『教室の隅』の始まりだった
◇
校舎の隅々を巡り終えた『ナニカ』は、最後に、黒板の前に立つ。
ノートを閉じる。
そして、チョークを手に取る。
黒板に、一文字だけ書き始める。
「か」
でも、その手は、途中で止まった。
書くのは誰かに呼びかける、または何かを取り戻すためだったが、書ききれない。
名前を呼びかけるには、まだ、夢が足りなかった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




