第3章 仮面の婚約者
王都の舞踏会は光と音で満ちていた。
シャンデリアの輝き、ドレスの波、香水の甘い香り。
「フェルンハート公爵令嬢と、アシュフォード侯爵家嫡男――本日も仲睦まじいことで」
周囲の貴族たちは笑顔で二人を祝福する。
リリアは完璧な微笑みで応え、クライヴの腕に軽く手を添えた。
外から見れば、理想的な婚約者同士。
けれどそれが“仮面”であることを、知っているのは二人だけだった。
クライヴは笑顔を作りながらも、視線が時折どこかへ泳いでいる。
リリアはそれを見逃さない。
「……今夜、彼女が来ているのですね」
「……え?」
「ミリア嬢。あちらにいらっしゃいます」
クライヴははっとして、リリアの視線の先を追う。
淡いピンクのドレスをまとった女性が、他の若者たちに囲まれて微笑んでいた。
あの日、少年が語った“笑うとぱっと明るくなる”少女――間違いない。
クライヴの手が小さく震えた。
「会いに行かなくて?」
「……そんな簡単に、行けるわけがありませんよ」
「あなたらしくありませんね」
リリアの声は穏やかだった。
その調子が、クライヴの胸に刺さる。
「……ぼくは、婚約者がいる身です」
「表向きは、そうですわね」
彼女の微笑みには、どこか大人びた優しさがあった。
「けれど、それでも気持ちは自由です。
想いを隠したまま苦しむより、言葉にした方がいい。
あなたが前を向けるなら――それが、わたくしの役目ですもの」
「……リリア嬢は、ずるい人です」
「まあ、どうして?」
「そんなふうに言われたら、余計に忘れられなくなる」
リリアは小さく息をのんだ。
けれど、すぐに柔らかく微笑んだ。
「……わたくしのことは、忘れても構いません」
クライヴは返す言葉を失った。
その横顔に、ほんのわずか――罪悪感が滲む。
その夜、クライヴは意を決してミリアに声をかけた。
けれど、彼女の隣にはすでに別の青年がいた。
「……お久しぶりです、ミリア嬢」
「あら、クライヴ様。まあ、懐かしいわ。
こちら、わたくしの婚約者を紹介しますね」
穏やかで、残酷な笑顔だった。
クライヴはその瞬間、胸の奥が静かに崩れるのを感じた。
それでも笑顔を作り、祝福の言葉を口にする。
彼の背後で、リリアはそっと見守っていた。
そしてグラスを掲げ、夜空に浮かぶ月を見上げる。
その瞳は、どこか遠くを見ていた。
クライヴの恋が終わる瞬間。
それは“友情婚約”が本当の意味で始まる夜でもあった。
***




