第1話 はじまりの顔合わせ
春の風がやわらかく吹き抜け、カーテンがふわりと揺れた。
公爵家の応接室には花の香りが満ちている。
「リリア、背筋を伸ばしなさい」
父の小声に、リリアはこくりと頷いて姿勢を正した。
今日はいよいよ、婚約の顔合わせの日。
とはいえ、まだ十歳。
婚約といっても、大人たちが勝手に決めた“将来の約束”に過ぎない――そう思っていた。
それでもやっぱり、少し緊張してしまう。
扉が開き、淡い茶色の髪をした少年が入ってきた。
少し大きめの礼服に身を包み、どこか居心地が悪そうにしている。
「アシュフォード侯爵家の、クライヴ・アシュフォードです」
礼儀正しく頭を下げる声は、まだ幼さの残る調子だった。
「フェルンハート公爵家のリリア・フェルンハートです。よろしくお願いいたします」
リリアもスカートの裾をつまみ、緊張しながらお辞儀をした。
両家の大人たちは、形式的な挨拶を交わしたあと、二人を残して少し離れた席に移る。
ふたりきりで向かい合うテーブルの上には、香りのよい紅茶と焼き菓子が置かれていた。
「……えっと、ぼく、こういうの初めてで」
クライヴが小さく笑いながら、手を膝の上でもじもじと動かす。
「わたくしもですわ」
一瞬の沈黙。
けれど、どちらも不思議と居心地の悪さは感じなかった。
そしてクライヴが、ふいに口を開いた。
「あのね、リリア嬢」
「はい?」
「ぼく、好きな人がいるんだ」
「……え?」
リリアの手がぴたりと止まった。
まるで、お茶の香りごと時間が止まったように感じる。
クライヴは、どこか誇らしげに胸を張った。
「お隣の領地の子爵家の娘なんだ。すごく優しくて、よく庭で花を育ててるんだ。笑うとね、顔がぱっと明るくなる感じで」
(な、なんて正直な人なの……!)
けれど怒るより先に、リリアはふっと笑ってしまった。
「まあ……婚約の顔合わせで、そんなお話を聞くとは思いませんでしたわ」
「やっぱり変かな」
「いいえ。正直なのは、とても素敵です」
クライヴが目を瞬く。
「怒らないの?」
「怒る理由がありませんもの。わたくしたち、まだ子どもですし」
リリアはにっこりと微笑んだ。
「それに……恋って、応援するのも楽しいものですわ」
「応援?」
「ええ。もしわたくしがあなたの友達なら、きっとその恋を応援します」
クライヴは少し考えてから、ぱっと笑顔を見せた。
「じゃあ、友達ってことでいい?」
「もちろん」
二人は、こっそり笑い合った。
遠くで、大人たちの談笑が続いている。
それを聞きながら、リリアは胸の奥がほんのり温かくなるのを感じていた。
これは義務のための婚約。
けれど、彼のようにまっすぐな人と“友達”でいられるなら、少しだけ楽しそうだ――そう思った。
その日、ふたりの小さな約束が生まれた。
婚約でも、恋でもない。
けれど確かに、未来へと続く“友情”の種が、静かに芽吹いた瞬間だった。
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