第2話:恐怖
時は少し遡る。
気づくと雪の中に埋もれていた私は、あまりの寒さに震えていた。
確かに私が住んでいた地域には結構な量の雪が降る。降るけど、もうそんな季節じゃ無いはずなのだ。もう冬靴も冬用の防寒着もしまって、春物に変えている時期。こんな事になると分かってたら冬物はしまっていなかった。
そもそも、スーパーを出た筈なのになんでこんな所に。後ろを振り向いても、周囲を見回しても、あの見慣れた近所のスーパーは何処にも無い。空は嫌に澄んでいて、さっきから流れ星が降り注いでいる。その為夜にしては明るく、周囲を確認出来た。ここはどうやら山の中のようだった。
今は吹雪いている訳では無いにしろ真冬の雪山、時間は遅くてもう日も暮れていて、冬山に適した装備も無い。スマホを見ても圏外。このまま私は凍死するのかと絶望しかけた時、いきなり灯りが私を背後から照らした。
「!?」
「⋯お前、人間か?」
振り向くとそこにいたのは、大柄で筋肉質な黒髪の男性だった。人がいたのか、とホッとして、事情を伝えようと彼に向き直った⋯時、気づいてしまった。
彼の額から生えている角、そして現実では有り得ない紫色の鮮やかな瞳に。
一瞬コスプレイヤーかと思ったが、こんな雪山で、夜に、こんな薄着のコスプレする人が居るだろうか。見れば口から覗く牙は鋭く、何より手のひらに火球を浮かせている。灯りに照らされた手の指の先、爪は嫌に尖っている。
やばい。
彼の正体が何だったとしても、普通じゃない。震えが止まらないけど、寒いからか恐怖からか、もう分からない。
逃げようとしても動かない足からへなへなと力が抜け、へたり込む。
これは夢?夢であって欲しい。でも、この刺すような痛いくらいの寒さと風の冷たさが、これは現実だと私の脳を揺さぶる。
その時、ふと私の頭上から影が覆い被さって、
「みーつけた♡」
私の頭上から下がる長い黒髪。私を囲う長い節足動物のような脚には黒と黄の縞模様があって、あ、蜘蛛だ、と思った時。寒さと、このあまりにも異常な状況に限界を迎えた私の視界は暗転した。
そして目が覚めると私はお寺とも神社とも違う、でも何らかの宗教施設だろう建物にいた。そこにはさっきの鬼のような男性も加えて5人の男の人がいて、その中の一人、白狐の獣人としか言えない見た目の男性に声をかけられた。
「ああ、目が覚めたんだね?大丈夫?」
「え⋯あ、は、は、はい⋯?」
「天も酷いよね、君みたいなか弱い人間の女の子をあんな雪山に放り投げるなんて⋯⋯ボクはモミジ。君は?」
どうやら凍死の危機からは免れたらしい。私の身体には大きな分厚いファーのコートが巻かれていた。でも身体の芯まで冷えているのか、それともやはりこの意味不明な状況に対する恐怖か、歯が上手く噛み合わない。なんとか言葉になったのは「な、ゆ、⋯⋯、ゆ、ゆ、ゆ⋯ぅ、り、です⋯」という情けないにも程がある声だった。
「ユリ?ユリって言うんだね。まだ冷えているのかな?ボクが温めてあげるね」
そう言うと狐の彼は私の額に軽く手を当てる。その途端、まるで陽だまりの中にいるように身体がぽかぽかとして来た。あまりに突然の事に驚く私に、彼はカラカラと笑いながら建物の奥に消えてしまった。
お礼も言えていないことに気づき、慌てて立ち上がろうとする私に「立つなよ、危ねぇ」と声をかけたのはあの鬼のような見た目の男性だった。
「ブッ倒れてたんだから、いきなり動くなよ。また倒れたらどうすんだ?」
見た目はともかく、優しい人たちなのだろうか。チラリと他の人たちを見る。
艷やかな黒髪ストレートのロングヘアのひとは一瞬女の人かと思ったが、その長身と体格から見て男性だろう。その他にはキラキラとした銀髪に青いマフラーを巻いた少し小柄な雰囲気の、何故か忍装束の男性。そして、一番目立つのは2メートルはあろうかという超大柄で筋肉質な、腕が六本ある男性。鬼の人にさっきの狐の人⋯『モミジ』さんも含め、全員普通ではない格好だが、きっと私を助けてくれたのは彼らなのだろうと確信して、覚悟を決めて口を開いた。
「え、あ、は、い⋯⋯あ、えと、その、助けてくれてありがとうございます⋯危うく死ぬところでした⋯」
「おう。まぁお前は悪くねぇし、運が悪かったとしか言えねぇけどよ」
彼らは私が何故あんな所にいたのか、心当たりがあるのだろうか。そう尋ねようとすると同時に、奥から「婚姻の儀の用意が整いましたよ。」と声がした。
そして、あの謎の儀式。
困惑しながら小指に刻まれた紅い模様を見つめていると、モミジさんがにっこり笑って何かの紙を六本腕の人⋯さっき神官さんに『クチナシ』と呼ばれていた人に渡す。
「皆で暮らす屋敷はボクが用意してあげるよ。それまではこのボクの別荘を仮住まいにして。ユリのための食料や衣服、日用品は式神に届けさせるから」
「おい、モミジ。それよりまず初夜はどうするんだ?」
しょや?
鬼の人⋯『リンドウ』さんの言葉にまたも目を白黒させていると、銀髪の忍者さん⋯『アオウメ』さんが口を挟む。
「リンドウ様。ユリ様のお身体の事を考えるとそれはまだ早くはないでしょうか?まずはゆっくり静養していただいてからでは?」
「それもそうだけどよ。何にせよ最初はオレで良いよな?お前ら童貞に任せるよりユリも安心だろ?」
いきなり私の肩を抱いたリンドウさんにビク、と肩を震わせると、彼は「天国見せてやるよ♡」と私に低い声で囁く。『しょや』って、もしかしなくても『初夜』???
「ちょっと〜ユリちゃん怖がってるわよぉ?嫌よねぇ、ガツガツ来る男なんて」
長髪の男性⋯『ツバキ』さんが赤い唇でニッコリと笑いかけてくる。
何故私はいきなり貞操の危機に直面しているのだろうか。私はスーパーで買い物しただけなのに。
大体この状況はなんなんだ。ここは何処?あなた達は誰で、何者なの?結婚って何?なんで私は知らない人といきなり結婚させられたの?しかも5人と。日本はいつから重婚出来るようになったの?
イケメンではあると思う。彼らが漫画やアニメ、ゲームのキャラならそれなりに人気があるだろう。でも、『イケメン無罪』なんてものはこの世に存在しないのだ。イケメンでも怖いものは怖いし、人外は人外だし、貞操の危機は貞操の危機だ。しかも、私みたいな恋人いない歴=年齢の喪女には、いきなりハードルが高すぎる。
「う、」
頭の中が疑問でいっぱいになって、それが上手く言葉にならなくて、意味がわからなくて、何をされるのかわからなくて、何もわからないからとにかく怖くて。
思わず零れた涙に、一番にギョッとしたのはリンドウさんだった。
「はっ!?お、おい、大丈夫か」
「ご、ごめ、なさ、こわい、です、むり、です…。いきなり、その、しょ、しょや、なんて、けっこん、なんて…」
震えながら泣き出した私に、5人が慌てているのが分かった。多分悪い人たちでは無いのは分かるけれど、この時は只々怖くて仕方がなかった。