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きつねさんといっしょ! 家賃一万円の物件

作者: 刻田みのり

 引っ越してすぐに大家の京極春彦(きょうごく・はるひこ)さんに挨拶して部屋に戻ると、見知らぬ男がポテトチップスを貪っていた。


 私に目撃されたにもかかわらず、男はあぐらをかいたまま食べるのをやめようとしない。


 ちなみにコンソメ味だ。


 男は茶髪で大柄、赤いジャージの上下を着ている。顔はイケメンだけど目つきが恐い。


「……えーと」


 ひょっとして部屋を間違えたのかな?


 私は黒髪のおかっぱ頭を軽く傾げた。おかしいなぁと思いつつも外に出る。部屋番号を確認した。


 背の低い私にとって部屋番号のプレートは頭一つ半高い位置にある。私から見て玄関ドアの隣右上部の壁に埋め込まれていた。


 プラスチック製のプレート、白地に黒い文字。


 202。


 飯塚小梅(いいづか・こうめ)という名前こそないが私の部屋だ。


 私は小さくうなずいて部屋に入る。


 男はまだポテトチップスを食べていた。でも、ほとんど残ってないようだ。


 もちろん、部屋のガラステーブルの上に無造作に置きっ放しにしていた私にも落ち度はあるのかもしれない。しかし、だからといって勝手に人の部屋に上がり込んで楽しみにしていたおやつを食べていいとはとても思えないし、納得いかない。


 とはいえ、こんな思いもある。


 いくら経済的に困っていたにしても家賃一万円の事故物件はまずかったかもしれない……。


 引っ越し当日に不審者に遭遇するなんて。


 私の見ている前で男がポテトチップスの袋を頭の位置まで持ち上げる。


 私は大きな丸い目をさらに大きくさせた。


「あーっ、私のポテチが!」


 その言葉に男がにやりとし、一気に口に流し込む。


 バリボリと咀嚼する音が部屋に響いた。


 お楽しみのおやつが……三百グラムのお徳用サイズが……。


 男が食べるのをやめる。


 ゲップ。


「ごちそうさん」


 見た目二十代半ばのくせに妙にダンディーな声。渋みのある低い声だ。ショーン・コネリーの吹き替えにでも使えそうだった。


 クシャッとポテトチップスの空の袋を両手で潰す。


「……一口も食べてなかったのにぃ」

「そいつは残念だったな」


 男が空の袋をガラステーブルの上に放り、立ち上がる。


 背が高い。180センチはあるはず。長い茶髪にきつい目つきだけど端正な顔、赤い上下のジャージ、靴下ははいていない。細身だが鍛えられた身体だと何となくわかった。


 昔、テレビでやってた動物番組に出ていた野生の狼を連想する。大自然の生み出した命ある芸術作品だ。


 ……などと思っているうちに男との距離が縮まっていた。


 目の前にはイケメンの顔。


 急に胸の鼓動が激しくなる。


 やだ。


 私、何で不審者にドキドキしているんだろ?


「あ「


 どうにか絞り出した。


「あなた、誰ですか」

「はあ?」


 男が眉をひそめる。


「それはこっちのセリフだ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……あの」


 沈黙に耐えきれず、私は口を開いた。


「ふ、不審者ですよね?」


 自分でも間抜けな質問だと情けなくなる。


 でも、今はこれが限界。


「はぁ? 不審者?」


 男の声が一段上がった。


「俺のどこが不審者なんだ?」

「ひ、人の部屋に勝手に入ってるじゃないですか」

「おいおい」


 男がさらに険しい顔をした。


「あんた、俺を知らねぇのか」

「知りません」


 即答してやった。


 ちっ。


 舌打ち!


 今、舌打ちした!


「あーもう、めんどくせぇなぁ」


 言うなり男が一歩後ずさる。


 ポンッ。


 男の姿が消えたと思うと、一匹の動物が姿を現した。


 ★★★


 さっきまで男のいた場所に一匹の動物がいる。


 体調は60センチくらいだろうか。毛並みは赤茶色。四肢の先は黒い。顔の中央部とお腹のあたり、そしてふさふさした尾っぽの先から三分の一が白かった。


 とがった耳の内側も白い。


 もふもふ。


 その一語が頭をよぎる。


 反射的に抱っこしたい欲求に襲われるが理性で抑えつける。実行したら間違いなく顔をすりすりしていただろう。


 というかぎゅっとしたまま眠りたい。


 ものすごいヒーリング効果がありそうだ。


「どうした?」


 私が黙っていると目の前の動物が声をかけてきた。


 その可愛らしい姿には似合わぬダンディーな声だ。


「驚きのあまり声も出ねぇか?」


 違います。


 その言葉を飲み込み、私はうなずく。


 ……本当のことを言ったら怒るだろうなぁ。


「あ、あなた何ですか」

「はぁ?」


 呆れ声。


「あんた、まさかきつねを知らねぇのか?」


 きつね?


 私の頭の中に疑問符がいくつも浮かんだ。それこそフリーマーケットに出品できるならそうしたいぐらいに。


 きつねって化けるんだ。


 もちろん、昔話や民話に登場するきつねはしばしば化ける。そんな話、これまでにどれだけ見聞きしてきただろう。


 でも、これは昔話ではないし民話でもない。


 現実だ。


 私が返事をせずにいるときつねがさらに声のトーンをあげる。


「おいおい、マジかよ」


 きつねが不満げに声を発した。


「あんたどこの出身だ? きつねも知らねぇなんて」

「きつねは知ってます」

「なら何だよ、その反応は」

「普通、きつねは化けませんし、喋りません」

「はあ?」


 きつねの表情が私でもわかるくらい驚いたものになった。


「……あんた、妖怪だよな?」

「妖怪?」


 オウム返しになってしまったけど、疑問符が増えただけだから他に言葉が見つからなくても仕方ない。


 ちっ。


 あ、また舌打ちした!


「マジかよ。信じられねぇなぁ」


 きつねが毒づく。


 ポンッ!


 再びイケメンの姿になると、彼はものすごい形相で私を睨んだ。


「ちょっと待ってろ。いいか、逃げるなよ!」

「は、はい」


 気圧されてついうなずいてしまう。


「絶対に逃げるなよ!」


 念押しし、彼は部屋から飛び出していく。駆け足と金属製のドアが乱暴に開閉するのが聞こえた。



 **



 男、というかきつねが化けたイケメンが部屋を飛び出して、一人残された私はどっと疲れに襲われてしまった。


 その場にへたりこむ。


 引っ越し初日から何でこんな目に遭わなければいけないの?


 私は内からこみ上げてくるものをどうにか堪える。じきに戻ってくるであろうきつねに泣いているところを見られたくなかった。


 口が悪く粗野な感じのするあいつに弱さを見せたくない。


 そんな真似をしてもし付け入る隙を与えたら、どんな目に遭うかわかったものではない。


 ポテトチップスを食べられただけでも十分ショックだというのに……。


 ちょっとだけ気が緩む。


 私はガラステーブルの上の空の袋を片づける気になれず、またその下に置かれたティッシュで涙でにじんだ目を拭く気にもなれなかった。


 着ている灰色のトレーナーの袖で代用する。


 ……寒い。


 身体は熱く感じているのに頭では逆のことを知覚していた。トレーナーと青いジーンズという格好では薄かったのだろうか。


 しんと静まった部屋に通りを走る車の走行音がいくつか紛れ込む。


 小鳥のさえずりや遠くでほえる犬の声。誰かが飼っているであろう鶏の鳴き声。勢いよく吹かしたバイクのエンジン音。


 そよりと風が流れていく。


 木々の枝が揺れる微かな音さえも聞こえるほど静かだった。


 そして、誰かの足音。


 小走りでまっすぐに近づいてくる。


 ここの防音はどうなっているのだろうと軽い不安にかられたが、それを打ち消すよりも早く金属製のドアが開く音がした。私は廊下の方に背を向けたまま反対側の袖で目を拭く。


 きつねが帰ってきた。


 振り返って出迎えなければならぬ義務は微塵もない。


 私は唇を噛んだ。


 足音と布のこすれる音、ビニール袋が揺れる音……。


 ん?


 ビニール袋?


 足音がすぐ後ろで止まる。


 ビニール袋が落ちる音がした次の瞬間、きゅっとあたたかいものが私の背中を包んだ。


 そっと腕を回される。


 袖にフリルのついた黒い袖が見えた。


 ……あれ?


 誰?


 耳心地の良い、穏やかで少年のような声がささやく。


「うん。大丈夫大丈夫」


 知らない声だ。


「うん。何も不安はないよ」

「……え?」


 私が身を離そうとすると相手は全く抵抗しなかった。私は立ち上がり、声の主に振り返る


 相手も腰を上げた。。


 胸がドキドキしている。


 寒さはもうない。


「うん。大丈夫そう」

「えーと」


 私は言葉に迷った。


 目の前にいたのはメイドさん?


 背は私より少し高い。やや丸みのある顔の輪郭。バランス良く配置された目と鼻と口。長い栗色の髪をツインテールにしている。前髪のちょっと上には白い髪飾り。


 私より大きいけれど小柄な体躯に黒いメイド服。


 フリルの沢山着いたなかなか可愛らしいデザインだ。


 彼女はこちらに微笑んでいる。年齢は二十歳くらいか。いや、もう少し若い?


 服もそうだが顔も可愛い。


 美少女だ。


 美少女メイドさんだ。


「えーと……」


 再度言葉を探してみる。


「だ、誰?」


 状況に頭が追いついていない。場違いではないけれど、これっぽちも気の利かないセリフだ。自分の語彙の足らなさを改めて痛感する。


「うん。僕はミトだよ」

「僕?」

「うん。で、君は?」

「い、飯塚小梅です」

「うん。素敵な名前だね。ご飯に合いそう」


 ……そうですね。


 よく言われます。


 という言葉が喉まで出かかったのを無理矢理飲み込む。


「うん。ところで、君は新しく入居してきた人だよね?」


 私はうなずいた。


「うん」が言葉の頭につくのはこの人の口癖なんだろうか。


「今日からお世話になります……」

「うん。こちらこそ」


 ……どうしよう。


 何だかめんどくさい。


「うん。春彦さんに挨拶はした?」

「しました」

「格好いい人でしょ?」


 ミトさんの目が妖しく光る。


 赤い光だ。


 あ、今、「うん」がなかった。


「す、素敵な人ですね。優しそうですし」

「うん。そうでしょ。けど気をつけてね」

「……」


 何を?


 ミトさんは私が応えずにいると首を傾げた。


「……お返事は?」

「き、気をつけます」


 ヤバそうなので適当に返した。


 ミトさんが満足げに大きくうなずく。


 よし、セーフ。


 と、思ったら……。


「もし春彦さんに何かしたら……」

「何かしたら?」


 ミトさんが答える代わりに不適な笑みを浮かべる。


 ていうか、目が笑ってないんですけど。


「……」

「うん。わかればいいんだ」


 この人、敵に回したらダメなタイプだ。


 心の中でつぶやく。ミトさんの笑みに合わせて私もにっこりしたつもりではいるけど頬が引きつっていたかもしれない。


「うん。それで君はどうして泣いていたの?」

「な、泣いてなんかいません」

「うん。僕にはそういうのわかるから、強がらなくてもいいよ」


 わかるって……?


 私が頭の中で「?」をいくつか並べているとミトさんが説明してくれた。


「僕ね、君みたいに波長の合う人なら遠くからでもそういうのがわかるんだ」

「波長? 遠くからでも?」

「うん。僕たちの能力みたいなものかな。姉さんは僕と違う使い方をしてるけど」


 お姉さんがいるんだ。


「うん。で、どうして泣いていたの?」

「だから、泣いてませんって」


 ミトさんがため息をついた。


「うん。素直じゃないんだね。なら、こうしようよ。僕の正体を見せてあげるから、君も教えて」

「あ、えっ、何を……」


 言い切らないうちにミトさんが一歩下がった。


 ポンッ!


 音とともにミトさんの姿が消えた。


 代わりに現れたのは……。



 **



 私の目の前でミトさんが姿を消した。


 代わりに現れたのは……。


「ウ、ウサギ?」


 私は目をぱちぱちさせた。体調三十センチほどの白いウサギだ。耳をピンと立ててこちらを見ている。


 ふわふわした白いウサギ。


 小さな赤い目が妖しく光った。


「うん。これが僕の本当の姿」

「ミ、ミトさんなんですか」

「うん。そうだよ」


 ポンッ!


 今度はウサギの姿からめいどふくの美少女に変化する。


 あぁ、抱っこするヒマもなかった。


 私は内心がっかりしたのだけれど、声にはせずにいた。でも、本当に本当に本当にもったいない。


 もふもふチャンスだったのに。


「顔をすりすりしたかったのにぃ!」

「うん。声に出てる」


 指摘されてはっとした。


 やや冷ややかな視線。


 微笑んでいるのに目が冷たい。


「うん。君の前ではなるべく人の姿でいるよ」

「えぇっ?」


 どうしてそんなひどいことを……。


「うん。それで、君が泣いていた理由は?」

「泣いてません」

「うん。理由は?」


 私に拒否権はないようだ。


 それでも、あえて抵抗してみる。


「な、泣いてなんかいませんってば」

「うん。それはわかったから、理由は?」


 全然わかってないよこの人。


 何か話さないと許してくれそうにないので、私はふうと嘆息した。


「……どうしてこうなんですかね」

「うん?」

「私、千葉の大学を卒業したあたりからついてないんです」

「うん」

「最初は新橋の会社に就職できたんです。寮付きで働きやすい環境で……結構いい会社だったんです。でも、二ヶ月で潰れちゃって」

「うん」

「再就職はすぐにできたんです。新宿の会社で……寮がなかったんでアパートを借りました。そしたら、半月もしないうちに火事に遭っちゃって」

「うん。て、火事?」


 ミトさんの目が少し見開かれた。


「うん。君の部屋から?」

「いえ、お隣さんです。タバコの不始末が原因だとかで」


 私は当時のことを思い出した。


 あのあとしばらく友だちの部屋に泊めてもらったなぁ。


「まあ、どうにか新しい部屋を見つけたんです。そしたら、配属先の都合でまた引っ越さないといけなくなっちゃって」

「うん。大変だね」

「それで川越のアパートに移ったんです。そしたら向かいの建物に新興宗教の道場が出来ちゃって」

「うん……」

「で、反対運動とかいろいろ面倒に巻き込まれて、どうにもならなくなってまた部屋を変えたんです」

「う、うん」

「そしたらそこはラップ音がひどくて……私、一応我慢したんですよ。けど、やっぱりダメで」

「う……」

「その次は落ち武者が出ました……もう笑うしかないですよね。さすがに我慢しないで速攻で転居しましたよ」

「……」


 ミトさんの顔が引きつっていた。


 まあ、無理もないよね。


 私だってこんな話聞かされたら引くもの。


「で、やっと落ち着いたかなと思ったら会社がなくなっちゃって……社長が金持って逃げたんですよ。いきなり無職です。追い討ちをかけるように住んでたアパートがまた火事に……」


 いきなりミトさんが私に抱きついた。


 びっくりして身を離そうとしてもミトさんの力がすごくてびくともしない。


 とんとんと背中を叩かれた。


「うん。辛かったね、悲しかったね」


 えーと。


 まだ話は終わってないんですけど。


 失職した会社の同僚にお情けで住まわせてもらいつつ、私は再就職のアテを探した。見つかるのは見つかったけど、いつまでも元同僚の厚意に甘える訳にもいかない。


 彼女は彼氏持ちだった。


 どう考えても私がいたら部屋に上げづらいはずだ。大人しく人の良い彼女に迷惑をかけるにも限度がある。


 彼女が何も言わなくても私がそんな自分を許せない。


 だから、今の会社の最寄り駅前で不動産屋に飛び込んだ。


 ……ミトさんの温もりに包まれながら、私はそんな話を付け加えた。


 うんうんとミトさんが首肯する。


 度重なる転職と引っ越しで私の経済状況はすこぶる厳しいものとなっていた。


「だから、家賃一万円の物件を目にしたときは心底嬉しかったんです。それに家具家電つきっていうのも助かりますし」

「うん。それは良かったね」

「事故物件って不動産屋さんは言ってたんですけど私にはそんなの問題なかったんです」

「うん」

「落ち武者の経験もありましたし。どーんと来い! て感じですかね?」


 私はわざとらしくにこりとした。ミトさんには見えてないはずだけどそうしたかったのだ。


「うん……うん……」


 私がさらに話そうとしたとき、金属製のドアの開閉音が聞こえた。


「飯塚さん、お邪魔します」


 その声にミトさんの身体がびくんと反応した。あからさまに慌てた素振りで私から身を離す。


 あまりの急変ぶりに私はきょとんとしてしまった。


 え?


 何?


 ミトさんがビニール袋を拾い上げるのとイケメン姿のきつねが大家さんを連れて部屋に入ってきたのはほぼ同時だった。



 **



「ごめんね。飯塚さんのこときーさんに言ってなかった」


 黄緑色の生地に黒と白の格子模様をした着物姿の京極春彦さんが申し訳なさそうにぽりぽりと頬をかく。


 彼はこの浅間荘の大家だ。モデルでもやっていけそうな端正な顔。黒い髪を短くし、眉も薄い。細い目と形の良い鼻、薄い唇にやや耳たぶが大きな耳。それぞれのパーツがあるべきところにあるといった感じだ。


 きーさんと呼ばれたきつねは人の姿をしている。その隣に立つ大家さんはきーさんより三センチくらい身長が低い。


 まあ三センチくらい誤差みたいなものだ。イケメンはイケメン。身長なんか気にしな……でもまあ高い方がいい、かな? きつねはパスだけど。


 いずれにしろイケメン二人を前にして私は緊張せずにはいられなかった。千葉の大学でもこれまでの職場でも、こんなシチュエーションには恵まれていない。


 だからどうしていいかわからずにいた。


「それはそうと」


 きつねが言う。


「何でミトがいるんだ?」

「うん。あ、えっと」


 ミトさんが口ごもる。


 助けを求めるような目をされるけど、私はどう説明すべきか迷ってしまう。


 私はきつねと目を合わせるのを避けた。


「ふむ」


 大家さんが得心したのかポンと自分の手を打った。


「大方、買い物帰りに飯塚さんのマイナスな感情でも拾ったのかな?」

「うわっ」


 驚いた。


 当たりだ。


 てか、買い物帰りだったんだ……。


 ミトさんが頭を下げた。


「ごめんなさい」


 早口。


「すごく久しぶりに無防備な波長だったからどうしても放っておけなかったんです!」


 あ、普通に話してる……。


 ミトさんがさらに謝った。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「ごめんで済んだら警察いらねぇぞ」


 と、きつね。


 何て奴だ。


「いやいや、怒ってないから」


 大家さんが優しく声をかける。


「ミトは能力のままに動いただけなんだし、それに僕もミトがちゃんと能力を保っていたんだってわかって嬉しいよ。ここしばらくそういうのを見てなかったからね」

「春彦さん……」


 ミトさんが頭を上げる。半泣きだったのにぱあっと明るい顔になった。


 いや、もう乙女の表情そのものなんですけど。


 ちっ。


 舌打ち!


 このきつね、舌打ちした!


 ひどい!


「きーさん、今のはアウトかな」

「はぁ?」


 にこやかな大家さんの言葉にきつねが慌てる。


「そりゃねぇだろ、おい!」

「きーさん、悪いのは口だけにしてね」


 大家さんが右手を少し挙げ、ぱちんと指を鳴らす。


 バチッ!


 乾いた音と青白い光がきつねの頭上から落ちた。一瞬、きつねの身体が発行する。


「ぐぇっ!」


 きつねが低くうめいてその場に倒れた。オゾン臭が漂い、私は突然のことに何度もまばたきしてしまう。


 え?


 え?


 え?


 何が起きたの?


 微かにミトさんが震えている。彼女にはこれが何なのか理解しているのだろう。私がたずねようとすると彼女は細かく首を振って説明を拒否した。


 仕方ないので大家さんに直接聞こうと……。


「僕ね、雷も操れるから」

「……」


 はい?


 ここに引っ越して何個目の「?」になるのやら。


 ともあれ、私は本気でフリーマーケットに売りに出したい数の疑問符を頭にのせたままこの不思議を受け容れた。


 受け容れざるを得ないと言うべきかも。


「う、うぐぐ……」


 きつねがゆっくりと起き上がろうとする。


 え?


 復活できるの?


「これに懲りて態度を改めてね。そうでなくても、人間と暮らすんだから」

「う……うるせぇな」


 こいつ……。


 ちゃんと反省しなさいよ!


 私はきつねを睨んだが、気づいてないのか完全にスルーされてしまう。


 きつねの回復力が尋常ではないのか、大家さんの雷が想像よりずっと威力を抑えてあるのか、その両方または全然別の理由からか、ともあれ十分もしないうちにきつねは元通りになった。


 その間に大家さんがミトさんに帰宅を促し、ミトさんは大人しく従った。彼女が部屋を出て行ってから私はなぜメイド服姿なのか、大家さんとはどういう関係なのか聴いてないことに気づいた。


 雷撃しーんはよほど私の心を動揺させたようだ。


 ★★★


「改めて紹介するね」


 大家さんがにこやかにきつねを手で示す。


「こちらきつねのきーさん。この部屋についてるから」

「ついてる? えっと、飯塚小梅です」


 私が挨拶するときつねがフンと鼻を鳴らした。


 何だか少し寒気がする。


 三月の下旬で、この浅間荘に来る途中でそばを通った公園には桜が満開になりかけていたのに。


 暖かいはずなのに。


 寒い。


 というか違う意味の寒気?


 これってヤバい予感なのかな?


 立ち話も何だからと大家さんの提案で私たちは私の部屋のガラステーブルを囲んで紺色に白いラインのあるカーペットに座っていた。


 ベッドがある窓側に私。


 反対側に大家さんときつね。二人は押し入れを背にしている。


 テーブルの上のポテトチップスの空き袋はゴミ箱に捨ててある。


 ベッドもテーブルもこの部屋の備えつきだ。それどころかテレビや洗濯機、電子レンジ、ガスレンジ、クローゼットに本棚、などなど各種家具家電がこの部屋にはそろっていた。


 ついてる?


 自分でもさっきの声は素っ頓狂だと思う。


 けど……。


「も、もしかして家具・家電・きつねつき、ですか?」

「正解!」


 私がたずねると大家さんは短く答えた。


 拍手のおまけつきだ。


 私、バカにされてる?


「ちょっといいか」


 きつねが割りこんだ。


「俺は同居人なんて頼んでないぞ」

「うん、僕も頼まれてない」

「だったら何で入居させた?」

「何でって……ここアパートだよ」

「答えになってない」


「うーん。困ったな」


 困ってるのはこっちなんですけど。


 私は心の中でつっこむ。


 本当についてない。


 ついてなさすぎる……。



 **



「さて、どうしたものかな」


 大家さんが腕組みする。


「他の部屋はもう空いてないし」

「出てってもらえ」

「それは嫌です」


 私はきっぱりと言った。


 ここがダメとなると他を探さなくてはならなくなる。仕事もあるし、元同僚をあてにするわけにも行かなかった。


 だいいち、お金がない。


 ここで暮らす以外に選択肢はないのだ。


「きーさんに出てってもらうわけにはいかないんですか」

「はぁ? あんた何言ってるんだ」


 きつねが眉間にしわを寄せる。


 まあ、当然か。


 私が逆の立場でもそうする。


「そもそも人間なんかにこの部屋を紹介するなんてどういうことだよ」

「僕に聞かれても」

「春彦の会社なんだろ。社長なんだからしっかりしろ」

「えっ?」


 思わず声が出た。


「大家さんって社長なんですか」


「うん」


 にっこりと。


「とは言っても親から引き継いだだけだし、大したことないよ」


 いやいやいやいや。


 十分大したことあります。


「春彦はこう見えて超がつくほど金持ちなんだぞ」

「いや、本当に大したことないから」


 だから、大したことありますから。


「……で、この部屋のことだけど」


 腕組みを解き、大家さんが両手をガラステーブルにつけた。


 私に向かって頭を下げる。


「ふたりでくらしてくれないかな」

「春彦、そこは丁寧語で言え。あと両手は床な」


 きつねがつっこむ。


 まあ、大家さんらしいといえばらしい。


 私はきつねを見つめた。


 とっても不機嫌そうな顔をしてこちらをにらんでいる。大家さんのおねがいを承諾したら、この恐い生き物と生活しないといけないのか。


 余裕があれば断れたはずだ。


 余裕があれば……。


「一つだけ教えてやる」


 私が答えずにいるときつねが言った。


「俺は妖怪だけど害を与える類じゃねぇぞ」


 突然、私のスマホがメールの着信を知らせる。いつもラインでやりとりしてるので不意をつかれて驚いた。


 きつねがにやりとする。


「さっそくか……」

「飯塚さん、確認してみてくれる?」


 頭を上げた大家さんに促され、私はメールをチェックする。


 千葉のおばあちゃんからだ。


 そこには新しい生活に必要だろうと後でお金を送ると書いてあった。メアドはおばあちゃんのもので間違いない。


 私はまだ教えてなかったここの住所を記して感謝の言葉とともに返信する。


 予想外の臨時収入だ。


 もっとも、まだ現金を手にしたわけではないが……。


 私はきつねを見た。


 ドヤ顔。


「さっきのポテトチップスのお返しだ」

「きーさんは良くしてあげればそれ以上の幸運をもたらしてくれるんだよ」

「はい?」


 私は目をぱちぱちさせる。


 ……きつねだよね?


 福の神じゃないよね?


 そもそも、あれはきつねが勝手に食べていたはず。


「どう? きーさんと住みたくなった?」


 大家さんが笑顔でたずねてくる。


「……」


 正直、ちょっとだけ心が動いた。


 目の前のきつねがもっと可愛ければ……いや、それはどうでもいいか。


 見た目も大切かもしれないが相性はもっと大切。


「嫌なら出てってくれても全然構わねぇぞ」


 この憎まれ口はどうなの?


 私はきつねから大家さんへと視線を戻す。


 にこにこしているが本心はわからない。


 てか、大家さんは何の妖怪なんだろう?


 雷を操っていたし、人間じゃないよね。


 私は思いきって質問した。


「大家さんは何の妖怪ですか?」

「あ、僕は竜の末裔」

「竜?」


 予想の斜め上だった。


 竜って妖怪?


 あれ?


 神様?


 こんなことなら、もう少しその手のラノベでも読んでおけばよかった。

「もう何世代も前から人間っぽくなっちまってるけどな」

「そうだね。かろうじてみんなに畏怖されてる感じ?」

「竜の血族は特別だからな」


 ……えーと。


 つまり、大家さんは偉い人ってことでいいのかな。


 何となく深掘りしても理解できなさそうなので、私はこれ以上の追求をやめた。


 うかつなことを言って大家さんの気を悪くさせてもいけないし。


「きーさんは僕が大人しくさせるから心配ないよ」

「ちっ」


 舌打ち!


 今、舌打ちしたよね。このきつね。


 大家さんがスマイル全開で私を見つめる。


 間違いなくきつねの舌打ちを耳にしているはずなのに無視している。


「……僕の頼み、聞いてくれるよね?」


 大家さんの目が妖しく赤く光った。


 あ、断ったらヤバそう。


 私は身の危険を感じ、うなずくしかなかった。


「わかりました」

「おい、考え直すなら今のうちだぞ」

「そっちこそ、出て行ってくれてもいいんですよ」

「元々は俺の部屋だってこと忘れんな」

「私が家賃を払うんですから、これからは私の部屋です」

「……春彦」


 家賃の一言にきつねが引っかかったようだ。


「この部屋、いくらにした?」

「一万円だけど」

「はあ?」

「事故物件扱いにしているし、これだけ安いと普通は怪しんで誰も借りたがらないんだ」


 あのー。


 目の前に借りた人がいるんですけど。


 きつねが私を指さした。


「借りた奴がいるじゃねぇか」

「そうだね。僕もビックリだ」

「社長からしてこれか!」


 きつねがため息をつく。


「……しょうがねぇなぁ、全く」

「じゃあ決まり、てことで」


 大家さんが満足げに言い、パンと手の平を合わせるように叩く。


 私をにらみつけるきつねの目がさらに鋭くなった。


「ちっ!」


 また舌打ち!


 ……やっていけるかな、私。


「よ、よろしくお願いします」


 私は顔が引きつるのを自覚しながら、きつねに頭を下げた。


(了)

 

 

 


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