第五話(中) 底辺のプライド
登場人物
ハム......異世界からTS転生した。卑屈なところがある。
レオンハルト......可哀想な境遇の少女を救い上げることに喜びを感じる人物。
マギカ......すごいまほうつかい。
教室の窓から、降り注ぐ雨を見ている
降りやまぬことを望んでいた。この不浄な世界を洗い流してくれることを。
学校で学んだことを実践する人は、馬鹿を見る。うそをつくな、虚飾をするな、人を助けよと。それを貫き通した人は脳が足りぬと言われる。
△
視界がモノクロになる。見上げる何者かの正体。それは___痛いくらいにピンクの少女だった。柔らかな桃の感触がする。
「あっ、うう、うああ?」
誰ですか、とわたしなりに問いかける。
「いや何、(コソコソしてたから飛びかかることで)驚かせようと思って。(思ったより強く抱きついてしまったのは)反省しなくちゃね。(君が可愛かったから)しょうがないけど。。」
ひどく言葉足らずな感じがするが、たぶん謝っている。そして、悪い気はしなかった。
馬乗りになっている少女は淡いピンク色の髪をふんわりとカールさせ、華やかで明るい笑顔が張り付いていた。キラキラとしてスパンコールのが散りばめられた羽毛のようなドレスに首から下を覆われる。
まるでアイドルのようだが......黒いベレー帽が不思議とまとまった印象を与えていた。
「ま、まっ…」
彼女の桃髪が蛇のようにのたくって、散らかった部屋を元の場所に返した。
そして何の断りもなく、新鮮な果肉のようにぷるんとした舌を乳房の自傷跡に垂らす。
「ひゃっ!?」
バラバラで入り組んでいた傷口が、消しゴムでなぞるように消えていく。貴重な治癒魔法を手足のように使いこなす、純然たる超常の使い手には聞き覚えがあった。
「そう、ユウシャの相棒、マギカちゃんですよ。君は...ハムちゃんだっけ。前から聞きたいことがあって。」
基本的にハーレムはレオンハルトが気まぐれに選んだ人物によって構成されている。たまたま目が合っただけで拾われた私がいい例だ。しかしこの人は違う。マ王の討伐に加わった、人類で五指に入る実力者。多分伝記とかに残る人物。
こんな人からすれば、私なんて木っ端のようなものだ。何を話しかけることがあるのだろう?そもそも私は聾唖という設定で____
「なんでさあ、話せないフリしてるの?」
私は大きく目を見開いて….その後、手を全力でぶんぶん振って否定した。
....直後に気が付く。言葉を理解していること自体、設定の破綻だ。私のバカ。......というか読心ってなんだ。生物としての核が違いすぎて嫌になる。
「あはは、若く見られるけど、結構人生経験豊富でね。相手の考えてることは大体わかっちゃうんだ。」
改めて感じるマギカの存在感は巨人のようだった。人類皆平等の理念がバカらしくなるほど生物としての核が違う。彼女がその気になれば私は赤いインクにしかなれないだろう。こうなれば、誠心誠意弁解するしかない。
「あっ…………その……………」
そこまで言って、大きく深呼吸した。話すことを整理して、それぞれの口の形を予習する。
「でも、人、と、はっっな、すのっ、すっ…………ごく、に、に、すっごくにが…て。」
私は口をパクパクさせながら、たっぷり三十秒ぐらいかけてその言葉を言い切った。前世ではこのハードルを飛び越えるのに何年かかったか。不思議と安心して、言い切ることができた。誰かさんからソレだけのものを貰った、ということかもしれない。
最後の文字を言い切ると倒れ込む。全身に力が入りすぎてこわばっていた。ぜえはあ、ぜえはあ、必死に息をかきこむ。昔から人と話すのは好きではない。この世界に転生してからの12年で、それはさらに悪化していた。ここに来てからもそうだ。野人のように振る舞っていた。私なんかが通常のコミュニティに入っていけるわけがないんだから。今好きな男だって、醜いだけの私を見たら離れていくだろう。
必死に次の言葉を繋ごうと目を白黒させていると、マギカの指が優しく私の汗を拭ってくれた。
「だーかーら。大丈夫。私は心が読めるんだって、大丈夫。よくわかったから。大丈夫だよー。」
見ず知らずで汗だくになった私を抱き寄せて、頭を何度も軽くさすってくれた。何度も、何度も。親が子にそうするように。
なぜか、涙がでた。自分で立たなくても、倒れても、支えてくれる人がいる。それは、長い間失っていた『当たり前』だった。なんだ。見ず知らずの人間に多少優しくされただけで解れるほど、私の心の氷は柔かったのか?...でも、恨みつらみが薄れていくのを自分でも感じる。
間近で見上げた少女は、目が二つ、鼻が一つ、口が一つ......当たり前に人間の面持ちをしていた。
「ひっひっひっ……ひっひっひっひっ………」
「やーごめんごめん。あんまり深いところまでは読めないから、心配になってさ。つけてきたんだ。」
いつぶりだろう。鼻水を垂らして泣いたのは。ずっと昔から泣くことはやめてしまった。それで助けてくれるヒトなんていないと悟ってしまったのはいつだったか。少し安心すると、マギカが私のあまりにも助長な言葉を遮らなかったことに気が付く。その事実にまた涙が溢れた。
……こうして拭ってくれる人がいるのはいつぶりか。わざわざ私を見つけて、助けようとしてくれるなんて……ああ、優しい。読心術だかなんだかで、勝手に人の困っているところを見つけて。慈悲をくれてやって。感動するほどに優しい。けれど。
「な…なんでっ、ですか?」
……舐めるな。
人に優しくできるのは、それだけそいつのバックグラウンドが優れていたからだ。巡り合わせが違えば私に渡されたかもしれない愛。それを今さら上から目線でくださるというのだ。
マギカさん、ユウシャの隣に立つような人。きっと幼少期からみんなに愛されて育ったんでしょう。友人たちもきっと立派なお方ばかりなんでしょう。社会構造によって人々から搾取しておきながら、慈善家を名乗る罪人たち。
ふざけるな。私が何十年独りで苦しんだと思ってるんだ。それを、通りすがりの、気まぐれで、上から目線で救ってやろうなんて。許さない。絶対に許さない。
私の孤独だけは、誰にも否定させない。
マギカの瞳が私を見ていた。『助けて人として当然のことだ』……とか答えようものなら、喉笛を掻き切るつもりでいた。力がこもり、歯茎が軋む、八重歯が唇に食い込んで赤い雫が垂れる。
彼女はただ、その雫を受け止めて。
「_____『頑張ったね』。」
______。________予期せぬ言葉に、思考の空白。全身から力が抜けて、腰からストンと崩れ落ちた。
ああ、勝てない。この人たちには、私の邪智じゃ戦えない。
「…….俺なりに、状況は把握したつもりだ。」
私はびくりと肩を震わせた。書斎のドアは今や完全に開いていて、背の高いシルエット___レオンハルトその人がそこに立っていた。血の気が引く。見られた。絶対に失望させてはいけない人に、自分を見せては行けない人に見せてしまった。
彼がずんずん近づいてくる。顔から血が引いていくのが自分でもわかる。彼の手が頭に近づいた。掴まれる?叩かれる?
よろしくお願いいたします