第二話 quest failed-11さい
登場人物
ハム(私)……この物語の主人公。生まれと頭と性格が悪く、顔は良い。
あれからさらに時間が経ち、髪の毛は腐った匂いがして、誰しもがすこし近づきたくないと思うような人相になった。
目の前の窮地にも関わらず、私は頭にできて禿を生み出している瘡蓋の痒みが気になっていた。
「トシ以前の問題だな。どんくさい、要領が悪い……」
3回連続でクエストに失敗したF級冒険者は即座に失格処分になる。これは冒険者の質を守るための既定である。最も、抵触するものは相当の間抜けしかいない。
「まさかこんな簡単なクエストも出来ないやつがいるとは……びっくりしたよ」
ギルド長を名乗る男が、目の前で私の冒険者証明書を破り捨てた。夢のはじまりになるはずの____厚紙で、紋様の立派な____冒険者証明書。それが今や、床に散らばる紙切れとなってしまった。咄嗟に証明書を拾い集めるが、背中硬い革靴の底にえぐられ、背筋が大きく跳ねた。
「イッ」
「出ていけ。努力も才能もないやつに居場所はない。」
その言葉をかけられてから、しばらく呆然と這いつくばっていた。未だ床に散らばっている証明書と、厳ついギルド長の顎髭の間で視線が行き来している。これは抗議の意思ではなく、現実を受け入れない思考停止だ。私は今睨み返すでもなく、惨めったらしく懇願するような目つきなのだろう。わかる、何度も繰り返したから。
警察官を目指した。駄目だった。学者を目指した。駄目だった。あれもこれも駄目だったけど、今度こそ、成功するかもしれないという希望があり……失敗するといつ確信があった。
横なぎに肘を蹴られて倒れ込む。頭を強かに打ちつけてようやく世界が動き出したようだった。懇願して見れば何か変わるだろうかとも思った。結局は周囲からの冷たい視線に耐えかね、逃げるように出口に向かって歩いていく。胸中では後悔と自己弁護を繰り返し呟いていた。
「全く、努力するということを知らんのだろうな。ある意味かわいそうなやつだ。」
ギルド長が職員と話す声が後ろから聞こえてきた。
いやいや、流石にそこまで言うことは無いだろう。私は精一杯頑張ってきたじゃないか。それを想像することはできないのか?
ギルドを出ると、雨が降り始めた。後ろのギルド内で朗らかに笑い合ってる彼らが羨ましい。私にあんな酷い仕打ちをしたのに、よく大きな声で笑えるなあ。昔聞いたベートーヴェンをエア・ヘッドホンで音量いっぱいに流す。こんなこともいつか笑えるように、強く清く正しく美しくならねばならないのだ。
△
だから、だろうか。妄想にふける少女は背後からの視線に気が付かなかった。
その少女はギルドの隅の席でティーカップを傾けている。年の頃は二十歳になったくらいに見えた。
野卑なギルドの空気感に似合わず、腕の部分がシースルーになったゴシックなドレスに、ベレー帽を被っていて良家のお嬢様のようだ。
音量を0にしたかのようにどんちゃん騒ぎを終え、一斉に少女に頭を垂れる。その表情はマネキンのようで、一切の感情が読み取れない。
空になったティーカップが音も立てず消失した。
「よくできました。劇団マギカ、今日も上出来です。」
△
でも、彼らから私はどう見えていたのだろう。いつも汚らしい身なりを直そうともせず___喋れない不気味なやつで___泡銭で自分たちの仲間に入ろうとした大馬鹿者?そうなった理由まで、考えようとするだろうか、積極的にバックグラウンドまで考えて助けてやろうとするだろうか。
私はヘッドホンの音量を一つあげた。
ああ___頭が痛い。痛い。痛いのに、なんでこの悪夢は覚めないんだ。ああ、熱が出てきた気がする。痛い。ボンヤリする、苦しい。どうして道ゆく誰も目を合わせてくれないんだ?
あのギルド長たちの姿を思い出す。顔中にシワが刻まれていて、舐められはしないが親しまれもしないような顔だった。たくさんの苦労を乗り越えてきたのだろうが、その分だけ他の人を無遠慮さで傷つけてきたに違いない。差し引きプラスで天国に行くのだろう。
△数時間経過
短剣を売った金で、久しぶりに満足なご飯を食べた。購入時の半額以下で買い叩かれてしまった。私はどうしてこう頭が回らないのか、ああ言えばよかったこういえば良かった、と過ぎてから反省会を繰り返している。自分の存在を否定されるのは最初ではない____前世から本当にいろんなことに挑戦して、挫折だけは人一倍、いや十倍に経験した。
ビリビリになった冒険者証明書をクズ売りに売った。
これからどうしよう。女に生まれたし、この街ナンバーワンの娼婦でも目指そうか。虞美人や妲妃のような傾国の美女……そういうのも良いかもしれない。水たまりに写った自分の顔を見る。飢えと恨みで髪は目つきは鋭く、髪は獣の耳のように跳ねていて、今にも誰か噛みつきそうだ。いやそもそも金のあるところには官憲やヤクザの目がある。
次は何に挑戦しよう?次はうまく行くはずだ。考えながらも、湾岸労働で食いつなぐ日々に戻った。最低限のカネを稼いでは怯えて眠る、野良猫のような生活。そこから脱出するための体力と時間がない。
一年間、そんな惨めな生活を送り続けた。住む家もなく、雨に打たれ風に打たれ、目のクマばかりが深くなっていく。そんな生活の中で、爪を研ぐことが日課になった。金属片などで磨き上げ、今では新聞紙が切れるくらい鋭い。これが私の唯一の武器になるかもしれない。
そんな中、思わぬ転機が訪れた。
その日は何故か港が騒がしく、いつもの日雇仕事がない日だった。空腹を爪で凌ぎながら、ゴミ箱の中で丸まって聞き耳を立てている。寝ることもできないから、ずっと朦朧とした意識の中で何かを呪っている。
今日も、足元にある腐った魚を見下す。ここは私の王国なのだから、正当な権利だ。このゴミ箱は、私の世界、私の領域__まどろんでいると、前世で慣れ親しんだ単語が聞こえてきた。
「ユウシャだ!ユウシャが今日この港に来るぞ!」
その言葉を聞いた途端、久しぶりに心臓の動きを自覚した。
「……ゆう、しゃ?」
ちょっと待った___ユウシャ。hero。世界の救世主、正義を体現するもの。たいていは勇気ある一人の青年が神やなんやらから選ばれるものだが、最近では原義の意味で使われることはほぼ無くなっていた……気がする。そんなものが実在するのか。新聞とかがこの世界にあれば、もうちょっと早く知れたのだろうが。
こんな世界のユウシャも、たまたまで神様かなんやらから選ばれたのだろうか。馬車に跳ねられかけた捨て猫を助けたとか、罠にかかっている獣を助けたとかで転生した。だとしたら。
「ずるい、なぁ?」
魚の骨に向かって呟いた。そんなのってつまり、才能じゃないか。運という才能。何の努力もしてないやつが、どうあがいても私にはいけないポジションにいる。誰よりも努力して努力して努力して……努力してきた私がモブキャラ以下の、画面に映すことすら躊躇われる、こんな掃き溜めに横たわっているのに。私だってユウシャになりたい。あんなふうに噂されたい。
そいつの顔を見てみよう、と思った。どんなヒトに囲まれているんだろう。どんな幸せな顔をしているんだろう。
ひたひたと、足音を消しながら港の方に走っていく。港のすぐそばに築かれたゴミ塚を猿のように駆け上る。似たようなことを考えたものはそこそこにいたが、誰も私など気にしない。それが少し幸いだった。
ちょうと、ユウシャの乗った船が来たところだった。港に停泊する大きな船。冴えた瞳で睨みつける。
誰がユウシャか、一目で分かった。そいつは船の中央に立って……輝くような笑顔を浮かべていた。これまでもこれからも、幸せなことしかないと確信している人間にしか浮かべられない笑みだ。間違いなく世界中で最も幸せなのに、指摘されたら厭味ったらしく謙遜して大事なのは小さな幸せなんですよとか言っちゃうんだろう。前世で見覚えがある。
どうせ届かないだろうが、釘や泥を拾って団子を作る。
船上の憎たらしい顔と目が合った……気がした。このゴミ山が目についた?まあこんな汚いモンを見たら…...いや、私を見ている?心の中であいつも笑っているに違いない。泥団子を投げる。
瞬間、船上の目標がブレた。空中の泥団子が弾け飛び……一瞬で目の前に現れた。
「汚ねえな」
「え?」
目の錯覚でなければ、いきなり数十メートル離れた船から猛速度で直線運動してきたように見えた。あまりの速さに、周囲は気づかずに戦場を見ている。何が起こったが気づいていないようだった。
目の間に立つのは絵に描いたような美青年だった。特別着飾っているわけではなく、変わっているのは腰に剣を据え付けていることぐらいだ。しかし、立ち姿一つで並々ならぬ益荒男であることが伝わってくる。しかし口角や目尻は理想的な曲がり方をしていて、人当たりも良さそうだ。
どう考えても私とは違う世界の住人。完璧の体現者。それが今、目の前に。段違いの存在感、まるで引力を発しているようだ。血液まで引っ張られているように、ふらついてしまう。
彼は私を見下ろし、獰猛に笑った。威圧され、後ずさることも叶わない。彼が放つ言葉をどきどきと待ち構えた。
「いきなりで悪いな。お前、俺様のハーレムに入れ。」
男の口から放たれた息は熱かった。
暗い夕日を背に立つ男は、逆光で正体が見えず、ひょっとするとこの世のものではないかもしれないと思った。
10/20 微細な表現を改訂