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第92話 魔法生物研究所

『魔法生物研究所』

 何の特長もないゴシック体の黒い文字で乳白色のプレートに刻まれているこの部屋の名前である。部室へ向かう途中にある扉だから毎日のように見るけれど、危険な雰囲気を感じてなるべく近づかないようにしていたんだよね。今日は教えを乞う立場だ。入らないことにはどうにもならない。思い切って飛び込むしかない。

「こんにちは」

 ドアをノックしたあと、声をかける。

 ぎぃ、と扉が内側に半分開いて前髪を切りそろえた眼鏡女子が顔を出す。

「どちらさまでしょうか?」

「あのー、魔法道具同好会の姫野といいます。高升部長にお話を聞きたいことがあるんですけど、部長さん、いますか?」

 女子部員はボクの頭から足元までじろじろと眺めまわして言った。

「うちの部長に会いたいなんて変わった人ですね。もしかして変人仲間ですか?」

 えー、身内にここまで言われるなんて、やっぱりやめておいたほうがよかったかな……。

「前川君、誰か来たのかな?」

 部室の奥から声がかかる。

 女子部員は扉を半開きにしたまま部屋のほうに顔を向けて答える。

「お客様です。魔法道具同好会の姫野さん。部長にお話があるそうです」

「魔法道具同好会?あそこは女子部員が一人だけだったはず……。あ、マーマンと戦った彼か!前川君、通して通して!絶対に逃がしちゃダメだぞっ」

 ドタドタと近づく足音が響く。

 うわー、やっぱりやめといたほうが良かったかも。

 思わずたじろいだボクの手首を女子部員ががしっと掴む。

 ひえっ。

「部長がお会いするそうですので。中へどうぞ」

「やっぱりやめとこうかなぁ……」

「どうぞ!」

「はい……」

「やあやあ、よく来てくれました。ちょうど僕のほうでも君に話を聞きたかったんですよ」

「はあ、まあ」

「早速だけどこれを見てもらえますか。目撃証言をもとにマーマンの全身像を描き起こしたんですよ。直接対峙した君の意見を聞きかせてくれませんか」

 広げられたスケッチブックには三面図のような構成で前後左右から見たマーマンの立ち姿が描かれていた。

「泳いでいる姿しか見ていないので足元がどうなっているか詳しくはないですが、大体こんな感じで合っていると思います」

「本当に?細部で見落としているところはないですか?間近で対峙したのは君と水泳部員の二人だけなんですよ。彼女はあまり協力的でなくてね」

 ここまで細かく描けているんだから瓜連さんはそれなりに協力したんだと思う。きっと高升部長がしつこくし過ぎて嫌われたんじゃないかな。ボクも帰りたい。適当にあしらって本題に入ろう。

「顔の横についているヒレの先端には棘爪が付いていました。あとはそうですねぇ。視線は左右別々に動かせる様子でしたね」

「ふむふむ、なるほど。それで高速で泳いで獲物を追い詰めると」

「確かに泳ぎは速いですけど、魚ほど素早くはなかったですね。泳いで逃げるときもすぐに追いつかれる感じじゃなかったし」

「ほほう。やはり体形がヒューマノイドに近いと魚体ほどの速力は出せませんか。確かに確かに。考えてみれば当然ですねぇ。水中での最適解である流線形を捨てて道具を扱える両手を得たわけですから。ふむふむ。そうなるとマーマンの攻略方法も再考が必要になりますね。水中での速度のアドバンテージは思ったより大きくない。となると武器や戦術でカバーできる範囲かもしれません。うーむ……」

「あのう、高升部長?」

 ありゃ。考え込んでしまって高升部長の反応がなくなっちゃったよ。

「すみません、高升部長!高升先輩っ!!」

 どこか遠くを見ているような高升部長の目がこちらを見るが、どうにも心ここにあらずって感じだ。

「あ?ああ、すみません。マーマンの話でしたね」

「いえ、ボクの用件は別の魔物の話なんですけど」

「別の魔物ですか。また新しい魔物と遭遇されましたか!」

 突然目に光が戻って身を乗り出してくる。

「あー、いえ、新しい魔物ではなくて、スライムのことなんですけど」

「スライムですか。あれは厳密には生物とは言えません。刺激に反応して多少は動きますが、内部器官が存在せず繁殖もしない。体表だって特別な組織でできているわけではなくて、中身が多少硬化しているだけですから」

 スライムと聞いて高升部長の興味が一気に薄れたようだ。それでも話してくれる知識は一般に知られていることよりもはるかに詳しい。

「せめて、積極的に捕食したり増殖してくれたら研究対象にする甲斐もあるのですが」

「ボクの友達は襲われたって言っていましたよ。緩慢な動きだけど、持っている魔石を確実に狙っていたそうです」

「そりゃあそうでしょう。スライムはいわば純粋なエストが物質化しているようなものですから。魔石もカテゴリから言えばエストが固形化した物体ですから、近くに存在すると一体化しようとするんです。捕食というより同化に近い作用ですね」

「なるほど、つまりスライムはエストの固まりだから魔法が効かないんですね。勉強になります」

「僕はスライムは生物ではなく、精霊の一種だと考えています。殺害したり飼育したりする対象ではなく、封印したり利用するような研究の対象ですね。魔法生物研究所ではなく魔術部か魔法陣研究部で取り組むべき対象かと」

「そうですか。じゃあ、こちらではスライムの弱点とかってわからないんですね」

「弱点ならありますよ」

「えっ?さっきわからないって……」

「研究対象ではないと言ったんです。弱点という観点で言えば、ダンジョンの魔法生物全般に共通して言えるのは『紫外線に弱い』ということです。これはスライムも例外ではありません」

「紫外線?」

「はい。ご存じの通り、ダンジョン内の光源は魔石かそれに類する発光体です。地下なので直射日光のような自然光は存在しません。ダンジョン内に自生する植物の光合成についての研究から分かったのですが、ここの生物は植物も動物も紫外線に極端に弱いことが判明しています。もちろん、吸血鬼のように紫外線を浴びて瞬時に灰になるようなことはないのですが、比較的短時間で重度の日焼けになると言えばわかりやすいでしょうか」

「じゃあ、スライムも紫外線を当てると表面が焼けて……」

「硬くなります」

 がくっ。硬くなるんかい。それじゃ通り抜けられなくなるから逆効果じゃんか。

「まあ、あの巨体ですから一部が硬化したからと言ってどうなるものでもないんです。一日も放置すれば元通りに戻ってしまいますし。ただ、身をすくめるような動きを見せるので弱点と言えなくもないですね」

「……そうですか。参考になりました」

 肩を落とすボクに同情したのか、高升部長がフォローするように言った。

「紫外線で硬くなると言っても一瞬でカチコチになるわけではありません。適度に照射すれば切り取りやすい硬度になりますから、地道に紫外線を当てては削り、当てては削りを繰り返せば、それなりに効率よく倒すことができると思いますよ」

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