第76話 マーマン
「なるほど。それできみが止めを刺したと」
「はい」
「そのあと歌声が止まって男子が正気に戻ったんだよね?」
「そうみたいです。ボクは向こう岸まで泳いでプールサイドをぐるっと回って戻ったから直後の様子はわからないんですけど、こっちに戻ってきたら宗形君も戻っていて他の男子部員といっしょに休んでいました」
「戦利品は?」
「それは私が回収しました」
瓜連さんがストレージから薄い円盤状のアイテムを数枚取り出す。
「見せてもらってもいいかな?」
「もちろんです」
「うーん、ウロコだね。どう思う?」
美宮先輩が隣に立つ生徒にアイテムを回す。
「目撃情報とこのドロップ品から見て、マーマンで間違いないでしょう」
競泳プールでの魔物襲撃を受けて水泳部の一人が生徒会に駆け込んだ結果、調査のために美宮先輩が派遣されたというわけ。隣の生徒は先ほど魔法生物研究所の高升圭斗先輩と紹介された。未確認生物の出現と聞いて専門家を連れてきたらしい。さすが、生徒会は手回しがいいね。なお、魔法生物研究所というのは自称で、正式には生物部らしい。
「しかし、おかしいですねぇ。マーマンにはヒトを魅了するような能力はありません。水に係わりがあって歌声で魅了する魔物と言えばセイレーンですが……」
高升先輩は百科事典のような分厚い革表紙の本を繰りながらブツブツとつぶやく。
「あった。やはり。セイレーンは拠点を移動しない定着性の魔物です。数体で岩礁に巣を作り、先兵としてマーマンを使役する。ほうほう、そうすると皆さんが撃退したマーマンは先兵の一体ということですな。マーマンは武器を持っていましたか?」
「いえ、素手で殴りかかってくる感じでした」
「ふーむ。セイレーンが使役するマーマンはトライデントで武装して群れで攻撃するとあります。武器を持たない形態のマーマンとなると野良マーマンですかね。こちらは攻撃力も低く単独で出現するので脅威度は低い……。でもそうなるとやっぱり歌声の件の説明がつきませんねぇ」
「結局、どういうことなの?」
痺れを切らしたように結論を求める美宮先輩に、高升先輩はぱたんと本を閉じ脇に抱えてから眼鏡のブリッジをくいっと上げて答える。
「魔物はマーマンで間違いないでしょう。ただし、このプール内に自然湧きしたのかどこか別のエリアから流れ込んできたのかは不明です。状況から見ても可能性は五分五分ですね。弱い単独のマーマンですから通常であれば自然湧きを疑うのですが、このエリアでの発生は過去の記録にもありません。それにセイレーンの歌声を伴った点。これはセイレーンによって使役されていることを示します。ですが、このプールには岩礁がないのでセイレーンは生息できません。どこか別のエリアにいる主とつながるルートがあると考えるのが妥当です。ならばもっと大勢のマーマンが襲撃に参加するはずなのですが……今回のケースはいろいろと矛盾点があります」
「このプールはどこにもつながっていないわよ」
「知っています。ですが、それは数十年前の記録ですよね」
「記録が間違っていると?」
「記録が間違っているのか、ダンジョンが変化したのか……。いずれにしても矛盾点があるなら調査するのが科学でしょう。潜りましょう、唐金先輩。深海には未知の生物が生息します。このダンジョンだって、まだまだ未探査のエリアがあるんだなあ。いいぞ、新種の魔物もいるかも知れない。水生生物のサンプルが得られれば、魔物の進化理論を大幅にアップデートできる可能性が……。フフフ、イヒヒ」
「こらこら、そのまま飛び込んでどうする。水深は十メートル以上あるんだよ」
途中から目がイってしまった高升先輩の襟首をつかんで引きとどめる美宮先輩が溜め息を漏らす。大丈夫だよね?セイレーンの歌声は聞こえてないよね?うん。これは高升先輩単独の暴走だったみたい。
興奮気味の高升先輩を他の生物部の部員に引き渡して退場を願う。
「さて、ちょっと話が逸れちゃったけれど、もう少し付き合ってね。歌声は男子にしか聞こえなかったのよね?」
「ボクはずっと聞こえていたけど……」
床に座り込んでいる水泳部の男子部員、それとヨギの全員がうなずく。
「私には聞こえませんでした」
瓜連さんが答える。
「歌声が聞こえた男子は全員、『魅了』のような状態異常に陥ったわけね」
「はい、程度の差はあってもみんな湖に引き込まれるような、急いで行かないといけない場所があるような気分になりました。俺は前もってそういうこともあるかもって思っていたからか割と正気を保てたほうでしたが」
男子水泳部で一番正気を保てていた先輩が答える。
「ボクはそこまでは感じなかったけど」
「えー。おまえあれに耐えられたのかよ。オレなんて一瞬で意識を持っていかれちまったよ。なんか小さな島まで見えてきちゃってさ。あそこに行かなきゃーって」
「ヨギは気が多すぎるんだよ。それか、女子に逆らえないか」
「あー、後者かもなー。そういや、あれって白井さんの声に似てた気がするし」
「そうだっけ?ボクはちょっと印象違ったけど。誰かの声に似てるな、とは思ったんだよね。どんな声だったかもうあまり覚えてないけど、白井さんじゃなかった気がする」
「瓜連さんの声だったよ」
「宗形君?」
今まで疲れたようにうなだれていた宗形君がぽつりと言葉を発した。
「あの歌声は間違いなく瓜連さんの声だった。もちろん、瓜連さん自身が歌っているんじゃないことはわかっていたよ。だけど、聞き入ってしまうんだ、あの声で歌が響くと」
「私の悪戯だっていうの、宗形君が言い出したの?」
「違う、そうじゃないんだ。ぼくが歌声は瓜連さんの声だって言ったら、みんながそれぞれ違う声だったって言い出して、それじゃあ誰かモノマネの上手いやつが僕たちをからかっているんじゃないかって話になって。それが間違って女子達に伝わっちゃったみたいで。ごめん、瓜連さん」
「そうだったんだ。ううん、こっちも早とちりしてたみたい。ちゃんと確かめずにごめん。それに男子だけに聞こえるっていうのも本当だったし。疑ったりしてごめんなさい」
最後の言葉はその場にいる男子部員全員に向けられた謝罪だった。
「いや、こっちも意地になって悪かった。男子部員だけが腑抜けになるってのが自分たちにも許せなくてね。でも実際、マーマンとの戦闘ではまったく役に立てなかった。プライドとか言ってる場合じゃない。ちゃんと調べて対抗策を探さないといけなかったんだ」
「知っている人の声を真似て注意を引く、か。それとも聞く人によって一番惹かれる女性の声に聞こえるってことかな」
美宮先輩が顎に人差し指を当てて考え込んでいる。思考を整理するための独り言に、何故か瓜連さんが顔を赤らめてうつむく。
「コウタくんはなぜ魅了されなかったのかな?」
「なぜって言われても……」
「おこちゃまだからじゃないのー?惹かれる女性がいないから、とか」
ぬ、ヨギのやつ、にやにやしやがってぇ~。
「ほほう、ヨギの説によると好きな女子がいるほうが魅了にかかりやすいってことだよね。つまり、一発で魅了されたヨギは白井さんのこと……」
「わー、わー、わー、なしなし、体質、体質だよねっ、だよね?コウタ!」
がくがくと肩を掴まれ前後に思い切り揺さぶられる。
ふふん、覚えておくよ。ヨギくん。
「いいねえ、きみたち、面白いよ。ところで、どんな歌だったか覚えてる?」
こういう話が大好きな美宮先輩ではあるけれど、今回は生徒会として調査にやってきている手前、逸れた話題を軌道修正する。
「んーと、どうだったかな。『アー、アアアー、アーアー』みたいな感じ?」
「何だよそれ、音痴か」
「う、うるさいな。どんなのか覚えてないよ」
「いや、覚えてるも何も、適当に歌ってるのに音程外れまくりじゃん」
むきー、人には向き不向きがあるんです。えーえー、ボクは音痴ですよ。自覚はないけどよく言われるし。
ヨギとポカスカやりあっていると、おもむろに宗形君がハミングを始めた。
透き通る水面のような歌。ゆっくりと力強く体を押し流すような旋律。全身を優しく包み込む音階。
「こんな感じでした」
ほう。と思わず溜め息が漏れる。
「……なるほどね。歌自体にも魅了効果のようなものがありそうね。宗形君はあまり女子の前でその歌を歌わないように」
美宮先輩がちらりと瓜連さんのほうを見る。彼女は頬を赤らめたまま潤んだ瞳で宗形君を見つめていたけれど、すぐにハッと我に返って両手に顔をうずめた。
「男子でセイレーンの歌声が効かないのは音痴のコウタくんだけみたいね。調査に協力してもらうわよ」
音痴確定かーい。地味に傷つくよ。しくしく。
「調査って?」
「マーマンが出現する原因を調べるの。このまま定期的に自然湧きするなら水泳部の戦闘力を増強する必要があるし、どこかに進入路があるなら対策は必要になるでしょう?だからとりあえずプールの底を調べるつもり」
「どうやって?」
「そこも含めて協力お願い。ひよりちゃんにも相談してみて」
丸投げかーい!




