第57話 時任正宗
時任正宗は中央広場に集まる通路の一つに影に潜むようにして息を凝らしていた。先ほど合図を送ったのでそろそろだろう。中央の上り階段前に構えている監視者に生徒が近づいて話しかける。うまい具合に自分が隠れている側と反対方向に監視者の意識を誘導している。
今だ。
金今眞秀から渡された認識阻害の魔法が施された面頬の効果は絶大だが、開けた場所で監視している者の意識をごまかせるほど完全ではない。だが、こうして意識を逸らされた状態であれば、数歩離れたところを駆け抜けても気づかれることはない。もちろん、不要な足音は立ててはならないが。
そのまま階段に飛び込んで地上階にでる。出口でもまた、監視者の意識を逸らす工作がされているはずだ。軽い転移の感覚のあと身を低くしたまま素早く周囲の状況を確認する。どうやら今日は監視者自体がいないらしい。金今眞秀の工作はかなりの広範囲に渡っているようだ。
「底が知れないな」
奴は一体何者だろうか。本当に信じていいのか?
いや、俺は眞秀を信じちゃいない。
俺は誰も信じない。このダンジョンという毒にどっぷり浸かっている連中の何を信じられるというのか。
ダンジョンは瘴気を放つ毒花だ。人はそれに気づかぬうちに染められ侵され変容していく。塚本もこれのせいでおかしくなった。俺もおかしくなっているのだろう。だが、理性が残る最後のときまで、俺はこれを、ダンジョンを壊すための努力を続ける。そう塚本に誓った。あいつが俺のことをわからなくなって忘れ去っていても、俺にとってその誓いは絶対だ。
『君、名前は?』
最後に聞いた塚本の声が耳の奥にこびりついている。それは不安のない、明るい声だった。入学式でたまたま声をかけてきたときと同じに。
一学期の終わりに塚本はおかしくなってしまった。訳の分からないことをわめいて暴れるようになり、自傷行為を恐れた彼の家族が病院に入院させた。学校から離れた彼はすぐに暴れることはなくなったが、その代わり一日の大半を眠って過ごすようになった。俺も何度もお見舞いに訪れたが、塚本と言葉を交わせる機会は少なかった。
夏休みの最初のころになってようやく、塚本から事情を聴きだすことができた。
能力強化剤なんて怪しげなものに手を出すなんて、馬鹿な奴だよ、おまえは。
塚本は強化剤の処分を俺に頼んだ。途切れそうになる記憶を必死に思い出して、つらいことも一緒に思い出して。だから俺は塚本に誓ったんだ。諸悪の根源であるダンジョンを破壊すると。
夏休みの真ん中あたりは親の都合に振り回されて塚本のお見舞いに行く機会が持てなかった。帰省とか家族旅行とか、そんなものは行かない、高校生になったんだからと突っぱねたかったが、養われる身としては断固拒否を貫くことは難しかった。
夏休み最後の週にようやく塚本のもとを訪れることができた。彼が退院する日だった。家族や入院中にお世話になった看護師さんたちに囲まれて嬉しそうな笑顔を見せる塚本を見てほっとしたよ。笑顔で近づく俺に、塚本がくれた最後の言葉が今も耳に木霊する。
俺は理解した。いまだにダンジョンの毒に侵されたままの俺が、これ以上塚本に係わっちゃいけない。
それから俺はダンジョンのことを徹底的に調べた。多くは生徒会の壁に阻まれて手に入らなかったが、断片をつないで第四階層の奥に最後の扉と呼ばれるものが存在することを知った。
開かずの扉。存在しない扉。破滅の扉。
それを探しているときに金今眞秀から接触があった。
奴は言った。
「第四階層の終点に扉がある。そこを開くことでダンジョンは今の姿を維持できなくなる。君たちを苦しめるダンジョンを終わらせないか。私たちもそれを望んでいる」
奴を信用しちゃいない。だが、第四階層のどこかに扉があって、それを開くことで何かが起きることは確かだろう。
奴は自分が能力強化剤を作ったと告白した。塚本を一時は廃人同様にまで追い込んだ忌むべき薬だ。けれど、それを聞いても奴への怒りは湧かなかった。薬は薬だ。使うやつの自己責任だと思う。俺が憎むのは、そんな薬を使わせるまでに塚本を追い込んだこのダンジョンだ。塚本は強化剤が合わない特異体質だったと奴は言った。ああ、そうだろう。わかるよ。現に俺は薬を使っても幻覚を見たり幻聴に悩まされることはない。ただただ力が怒りと共に湧き上がるのを感じるだけだ。
俺がダンジョンを終わらせる。
眞秀は俺が活動しやすいようにサポートすると申し出てきた。最初は無視していたが、生徒会から目を付けられるようになってどうにも身動きが出来なくなったときに奴のサポートが役に立った。それ以来、俺は奴の協力を拒まないことにした。たとえ奴が俺を利用しているのだとしても、俺のやることは変わらない。道具は道具、手段は手段だ。目的さえ達成できれば、俺はどうでもいい。奴が俺を利用するのなら、俺もせいぜい奴を利用するだけだ。
いまだに最後の扉は発見できていない。
それらしい物があったが、眞秀の奴はあれは違うと言った。あの先に本当の扉があると。今はあれを開ける手段を講じているらしい。いいだろう。奴が自分で汗を流すというのなら、しばらく待とうじゃないか。
俺ももっと力をつける必要がある。ダンジョンの魔物は脆弱で食い足りない。そのせいでしばらく伸び悩んでいたが、最近いい方法を見つけた。
ニンゲンは歯応えがある。どうせ奴らは殺しても外に弾き出されるだけだ。何の呵責の念もない。むしろ俺が救ってやっているのだ。このダンジョンから。
早くあれを開けろよ、眞秀。そうしないと、ダンジョンが無くなるより前にすべてのニンゲンが死によってここから弾き出されるぞ。
ふふふ、ははは。




