第126話 第五階層開放者
刻は遡り数分前。
女神像の魔法陣の光から目をかばっていた荒太が腕を下ろすと、そこは見知らぬダンジョンの一角だった。太い石の柱が幾本も立ち並び、普段の通路とは違い天井が倍ほども高い。床や柱を構成する石材も硬質な印象で表面の風化を感じさせないつるりとした質感を保っている。
荒太が転送された場所はメインの回廊から一歩奥まったアルコーブの中だった。
目の前には、部室にあるのと同じ女神像が柔らかい慈愛の微笑みを湛えて立っていた。
「なに?どうなってるの?」
白井さんの声にボクはハッとして振り返る。どうやら白井さんも一緒に転送されてきたようだ。残念というべきかほっとしたというべきか、ひよりはここにはいない。きっと部室に残っているのだろう。
「よくわからないけど、女神像の魔法陣で転送されたみたい」
回廊の奥から反射してくぐもった喧噪が聞こえてくる。近くで戦闘を行っているのかな。
「誰かが戦っているわね」
白井さんも物音に気付いたようだ。ここはきっとヒコやヨギ、一矢さんが向かった最前線だ。直観的にそう感じる。
ボクでは足手まといになると思って留守番に甘んじたけれど、何の因果か今ボクたちはここにいる。じっとしていても始まらないし、帰る方法も分からない。ならば行ってみよう、と口にしようとした刹那。
ドゴオォォォン
とてつもない轟音が響き渡り、衝撃の波が回廊を吹き抜けていった。
ダンジョン全体にビリビリと振動が駆け抜ける。
思わず両手で耳をふさぎ、しゃがみ込む。
けれどアルコーブに守られて、ボクたちのところに破壊的な爆裂は届かなかった。
「いこう」
ボクの呼びかけにすぐさまうなずいて、白井さんが完成したばかりのアーマースーツを装着する。
関節の裏側を除くすべての露出部分を丸みを帯びた艶やかな樹脂状の防具が包み込む。
先ほどは身に着けていなかったヘッドギアが頭部を覆う。
目の周りから口元までが開いたジェットヘルメットタイプだ。どんな機能があるのか、後頭部からはツインテール状の短い突起も突き出ていた。
「なんかこれ、納得いかないんですけど」
「今は贅沢言ってらんないでしょ。急ごう」
ブツブツと不満をこぼす白井さんを促して回廊に出る。少し先の明るくなったところが戦場のようだ。
ボクは回廊を抜けて見えてくる広間の光景に息を飲んだ。
誰がこんな惨状を……
味方は全員が床に転がっていた。ほとんどのメンバーが苦痛にうめき声を上げている。そんな中、一体の魔物だけが中央で仁王立ちしている。とはいえ、その姿も無事とはいいがたい。全身血まみれで左腕を捥がれ、顎から下が半分千切れてぶら下がっている。それでも片方だけ残された眼は赤黒い狂気と憤怒に染まって光っていた。
魔物に一番近い位置で膝をついた松下部長をかばうように、駆け寄ったヒコが大盾を構えるのが目に入る。
良かった、ヒコは無事だ。ヨギもいる。一矢さんは壁際に下がって中央の魔物に弓の照準を合わせている。
仲間の姿に元気と勇気をもらって、ボクは戦場に飛び込んだ。
「お待たせ!」
「コウタ!どうしてここに?」
腰を抜かしたのか床にへたり込んでいるヨギが、豆鉄砲を喰らった鳩のように目を丸くしていった。
「詳しい話はあと。ヨギは下がって防御支援を」
詳しいも何も、床がピカーッて光って気づいたらここに来ていただけなんだけどね。
「なに床にへばってんのよ。わたしたちが突っ込むから、あんたは後ろからわたしを守りなさい!」
「は、はいぃぃ」
ヒコに並び立ったボクたちをヨギの杖から放たれた防御力強化の支援魔法が包み込む。
「さあて、行くわよ、独活の大木さん。おねんねの時間よ!」
カツンと両こぶしを合わせて気合を入れた白井さんが駆け出す。
「まて、白井、通常攻撃は……」
ミノタウロスの懐に飛び込む白井さんをかばって、敵が振りかぶった右腕をヒコが盾で受け止める。
「サポートサンキュー、道庭君」
振り向かずに告げて、白井さんが自らの間合いに入る。
「急所ががら空きよ。『ストーン・パンチ』!」
音声コマンドに呼応して両こぶしの先端にライムグリーンの魔法陣が浮かび上がり、手首から腕へと進行する。魔法陣の輝きは通り過ぎながらアーマー表面を灰色に石化していく。
固く握りこまれた小手が硬化して必殺の拳をさらに強化する。
ズドドッ
正中線に沿って心臓、鳩尾、腹部の急所に三連撃が吸い込まれ、ミノタウロスの体が硬直する。
「このまま動きを止めるよ」
ボクは新しく完成したひも付きの分銅をストレージから取り出し、腕のない左側面へ回り込んだ。
ひゅんひゅんと風切り音を立てて振り回したボーラをミノタウロスの頭部をめがけて投擲する。
空中で広がった三本のロープがミノタウロスの顔面と半分に折れた角、振り上げていた右腕にくるくると絡みつく。
魔物の膂力に革紐が千切れるまでのほんの数秒間、相手の動きを抑え込めればいい。
「『ストーン・キック』!」
拳のときと同様に、ブーツの底に展開された魔法陣が足甲、くるぶし、脛と昇っていき、膝のすぐ下までのアーマーを石化していく。
白井さんの前蹴りが炸裂し、硬化したブーツがミノタウロスの右ひざを砕く。
自重を支えきれなくなったミノタウロスが苦悶の叫びをあげて倒れ込み、ついに床に突っ伏した。
「うわっとと、これって自分の足首まで固定されるじゃん。転んじゃうところだったわ」
「ナイス、白井さん。これで止め!」
左手を失っている魔物は立ち上がるすべを持たない。ボーラの革紐はまだ切れておらず、魔物の自由を奪っている。頭部は長い角があだとなって右腕にしっかりと縛り付けられており、もがくことすら許されない。
テツさんに託された脇差を実体化させて鯉口を切る。
ボクはミノタウロスの広い背中を駆け上り、逆手に持った脇差を後頭部に深々と突き立てた。
ゴフッ
急所を貫かれたミノタウロスは悲鳴を上げることもできずに息絶えた。
「今度こそやったのか?」
ヨギが懲りずにフラグになりそうな台詞を吐く。
「だからそういう不用意な発言はやめなって」
同じパーティのメンバーとして、冒険者にとっての大事な約束事はきちんと身に付けさせないといけないからね。
言い合うはしでミノタウロスの巨体が光の欠片に砕けて消えていった。
「最後に現れて美味しいところだけ持っていかれちゃったわね」
弓を下ろした一矢さんが近寄りつつ、呆れた口調でいう。
「そんなつもりはなかったんだけどね。部室に居たら突然女神像が光って、気づいたらここに来てたんだ」
普段ならこんな話をしても冗談は休み休みにしろって言われるところだけど、最後の戦闘の激しさがその場の全員に荒唐無稽な話を受け入れる気持ちにさせていた。
「女神の御使いか。まるで神話の英雄だな」
ヒコがニヤリと笑いながら言った。
「そんな大袈裟なものじゃないよ」
照れながら一応謙遜する。でも、英雄はともかく、女神の使いという指摘は妙にしっくりくる気がした。あれは本当に偶然の出来事だったのだろうか。
「姫野。おまえがあの扉を開け」
松下部長が顎で示す先に、『岩壁の門』に似た青銅の扉がそびえ立っていた。この扉にも何かの寓話を描いたようなレリーフが施されている。
「そろそろ下校時間だ。ここまで来て強制退出なんてわけにはいかないだろう。見ての通り、立って歩ける者はおまえたちくらいしか残っていない」
見るとフロアに居る生徒は全員煤けた様子のいでたちで、何らかの深刻なダメージを負っていた。自力で立っているのはボクたちのパーティメンバーくらいのものだ。
ヒコは両手を骨折した松下部長を副部長と一緒に両脇から支えている。
ヨギは怪我はないようだが床にへたり込んで顔の前で手を振り、拒否の意思を示している。
白石さんと目を合わせると、興味はないという具合に肩をすくめた。
「なに遠慮しているのよ。途中参加とはいえ、あんたが来なければ勝てたとも思えないし、ラストアタックを取ったのは間違いなくあんたなんだから。ほら、行きなさいな」
一矢さんに促されて、ようやく腹が決まった。
「わかった。ボクが開けるよ」
みんながうなずく顔を一渡り見回して、踵を返す。
しっかりとした足取りで扉の前に立つ。
ぐぐっと力を込めると、ゆっくりと青銅の大扉が動き出した。
リーン、ゴーン
『第五階層への扉が開放されました』
ボクのステータス画面に『第五階層開放者』の称号が刻まれた。




