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第118話 最後の扉

 かつて時任正宗だったものの眼前に地底湖の景色が広がっている。

 彼の敏感になった鼻には、つい先ほどここで繰り広げられていた戦闘の残滓が感じ取れた。

 扉を開けた連中はすぐ先か。どれ、どのくらい骨のある連中か顔を見てやろう。もっとも、虐殺が終わったあとに見られる顔が残っていればの話だがな。フフフ。

 時任だったものが水草で隠された河口のほうを見渡す。

 その目が不意に湖の先の小島に向けられる。

 あそこから魔法の気配がする。何かが隠されている?

 殺戮への欲求がダンジョンの終焉を求める目的意識に上書きされる。時任はこのような状態になった今でも、このダンジョンを攻略を遂げる意志を失っていなかった。ダンジョンの最後の扉を開くこと。そしてダンジョンを永久に停止させること。それが魔物と成れ果てた時任の意識に残った最後の理性だった。

 ざぶりざぶり

 時任だったものは無頓着に湖へと踏み込み、真っ直ぐに魔法の気配が濃厚に残る小島を目指した。

 途中、マーマンの群れが襲ってきたが、うるさいハエを払う程度の意識でそれらを蹴散らしていく。

「ハズレか」

 小島には壊れた東屋のような遺跡がたたずんでいた。古い魔法陣が描かれた床は魚の小骨が散らばり、鳥の糞尿で覆われている。魔法陣は一部が欠けており、とっくに効力を失っているのが見て取れた。他にもいくつかの魔法陣が水没した遺跡に残されているようだが、ダンジョンの最後の扉に続く道ではありえなかった。

彼方あちらガ正解か」

 時任だったものは再び地底湖に注ぐ河口に目を向けた。


 湖を渡り、河口から上流へと進む。背の高い葦草が途切れるころには前方に群れる水牛を見つけていた。

 ほう、水牛か。その巨体、我が眷属に迎え入れるのに相応ふさわしい。

 獰猛な笑みを浮かべて時任だったものが水牛の群れに近づく。

 警戒して首を上げ、こちらを見ていた連中が後退あとずさる。

 無造作に近づく時任だったものの体から赤黒いオーラが立ち昇る。

 ブモーッ

 群れの一頭が恐怖に駆られて逃げ出す。

 フゴーッ

 別の一頭は同じ恐怖にさらされながら、怒りの雄叫びを上げて時任だったものに突進した。 ハハハ、そうだ、それでいい。我が眷属よ。我に従う必要はない。恐怖に支配されて暴れ回るが良い。ハハハ。

 突進する水牛の角を時任だったものは片手で受け止め、軽々と捻りあげる。血走った目で泡を吹きながら歯をがちがちと鳴らす雄牛の喉笛をもう片方の手が鷲掴みにして吊り上げる。

 ごきっと骨を砕く鈍い音が響き、吊り上げられ、もがいていた水牛の四肢がだらりと垂れ下がる。

 ガフッ

 水牛の口からあふれる血泡をかぶった時任は悪鬼の様相で嗤った。

 時任だったものの瘴気に当てられて狂乱状態に陥った水牛たちが逃げる先には、さきほど先を進んでいった冒険者たちがいた。いつの間にか後ろの脅威からの逃走は前にいる人間どもへの襲撃に変貌していた。

 時任だったものは遠くから戦闘を眺めていた。

 一人が盾を構え、一人が魔法を放ち、一人が矢の一撃で水牛を倒す。

 ほう、なかなかやるな。これは屠り甲斐がありそうだ。

 魔法で一網打尽にした群れに盾の剣士が止めを刺して回る。小柄な戦士が混乱してぐるぐると回り続ける一頭にヒットアンドアウェイで攻撃を当て、とどめの一撃で打ち倒す。

 一息つく間もなく、後ろに逃げた仲間に肉薄する一頭を追って坂を駆け上がっていった。

 活きの良さそうな獲物だったがメインルートから外れていったのなら仕方ない。連中は次に遭ったときの楽しみに取っておくとしよう。

 時任だったものは、ヒトの群れを見つめていた視線をはるか川の上流に向ける。

 あちらに強い魔法の気配を感じる。今度は間違いない。この先に最後の扉がある。

 彼はゆっくりと川上に向けて歩き始めた。ヒトの群れのことはすでに眼中になく、すべてを終わりに導く扉だけを見据えて歩を進めていく。


 いくつかつづら折りになった隘路あいろを登った先にその扉はあった。唐突に道を断ち切るように現れた垂直の岩壁。そこに青銅の扉がはめ込まれている。『岩壁の扉』よりは小さいが、それでも高さは六メートルを超えていた。

「コレガ最後ノ扉ダナ」

 わずかに残った理性がこの奥にダンジョンの主がいると確信させる。そいつを倒せばこのダンジョンは役目を終え、すべてが終わる。そうあの男は言っていた。

 ガツン

 時任だったものが両手を当てて力任せに押した。が、青銅の扉はぴくりとも動かない。

 ナゼダ?

 ダンッダンッ

 手のひらを叩きつける。だが戻ってくる感触は扉のそれではなく、不動の山のような絶対的な圧力だった。

 コノ扉ハ俺ノモノダ。俺ガ開ケルンダ。

 ガンガンガンッ、ガツン、ガキン

 拳で、脚で、斧で、何度も扉に襲い掛かる。

 ナゼ開カナイ?ナゼ拒絶スル?

 ガシッ、ドカッ、ガキン

 頭突きで、体当たりで、狂ったように扉に打ちかかる。

 だが魔物の膂力をもってしても、青銅の扉は毛筋ほども動かなかった。

 コノ扉ハ俺ノモノダ。誰ニモ渡サナイ。ココニ近ヅク者ヲ許サナイ。皆殺シ、ミナゴロシダ!

「ブゴォォォォ……」

 怒りと悲しみと疑念と恨みに満ちた悲鳴のような咆哮が谷間に響く。咆哮とともに時任だったものに残されていた最後の理性が消え去っていった。


***


「そうか、彼は最後の部屋には入れなかったか。どうやら予定よりも魔物化が進行しすぎたようだね」

 いつもの部屋で金今眞秀が影の報告を聞いている。

「そうだよ。最後の部屋には鍵は掛かっていない。挑戦者は誰でも入れるし人数制限もないよ。ただし、入れるのは人間だけだ。ラスボスとの戦闘中に別の魔物に背後から襲われたらフェアじゃないからね」

 影が揺らぐ。

「ははは、手厳しいな。確かに、彼の事例は私の失敗だよ。だけどもともとあの薬は試作品なんだ。まだ臨床試験中なんだから失敗は仕方がないと思うよ。むしろ貴重なデータが取れたんじゃないかな」

 沈黙。

「そうだね。彼はあのまま置いておく。彼に苦戦するようでは階層主を倒すことはできないだろうからね。ぬるま湯に浸かっていた我を鍛え直すにはちょうどいい障害じゃないかな。ああ、もちろんさ。彼はその間ずっとダンジョンに囚われたままだね。社会問題?それは学園側が対処することだと思うよ。まあ、ほんの少しは責任を感じなくもないけどね」

 影が薄くなる。

「わかった、わかった。君は影のくせに諫言かんげんが多いなぁ。彼が戻ったあとの社会復帰に関しては手厚くサポートをするよ。それでいいだろう?」

 影の気配がすっと消えた。

「あれもずいぶんと口うるさくなってきたねぇ。裸の大様にはなりたくないが、手足として動く者が頭と異なる意見を持つようになるのも困りものだ。そろそろ変え時かな……」


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