立場的に妹の想い
紅潮する頬と高鳴る胸を押さえて、落ち着くのを待つ。
ノイシュさま……そう呼ぶと、しかられた子犬のようにしょぼんとする……ノイシュさんは、私の命の恩人だ。
女子高生として普通に過ごしていたはずの休日。
気がつけば、見知らぬ森の中。
鉄の鎧を身にまとうノイシュさんに呼び掛けられ、目を覚ました。
あまりの事態に取り乱し、周囲を見渡せば、ノイシュさんと同じ鎧姿の男性たち。
それらの多くが、好奇と好色の目線を向ける中、ノイシュさんと年長の数名だけは心配げな表情だった。
油断しきった部屋着だけの、足を出したラフな服装は、年頃の若い男性には目の保養になったことだろう。
これは回復薬だから、飲みなさい。と、瓶詰めの緑色の飲み物を飲ませてくれて。
誰かの提案を受けて、身にまとっていたマントで私の体を覆い隠してくれたノイシュさんは、不測の事態を理由に、遠征を中止にして帰還する判断をしてくれた。
履き物すらない私を、抱き上げて馬に乗せて、片手で後ろから支えてくれた。
それからというもの、私の処遇に揉めたそうで。
騎士団の人たちも、町の人たちも、ほとんどが赤髪か茶髪、たまに金髪。
私みたいな黒髪はまず見ない。というか、いないと思う。今までこの町で暮らしてきて、見たことがない。
騎士団長だというノイシュさんの補佐官を名乗る男性から、いろんなことを聞かれた。
名前や、出身や、なぜ危険な魔物の領域にいたのかなど、根掘り葉掘り。
答えられることがほとんどなくて、申し訳なく思っていると、補佐官の人は大きくため息を吐いて、これは尋問だ。という。
尋問? とおうむ返しに問えば、
きみは疑われている。と返される。
なるほど納得。出自も分からないよそ者は、疑われて当然だ。
となると、これからの生活が大変だ。
そんな風に軽く考えていると、いつの間にかノイシュさんが実家に引き取るということに決まったようで、靴も着るものも部屋も用意してもらい、至れり尽くせりで日々を過ごすことになる。
ノイシュさんの実家は、大衆食堂だそうで。
料理なら、多少は手伝えるのではと思ったものの、包丁の扱いもおぼつかなく、電子レンジとガスコンロ以外はバーベキューくらいしかやったことがない身では、竈は扱いが難しく足手まといだった。
仕方なく給仕をやろうにも、お客さんはみんな馴染みの人で、「○○さんの分上がったよ」といわれても、戸惑ってしまっていた。
知らない場所での、慣れない出来事。
就職すれば、こうなのかもしれないと思いつつも、用意してもらった部屋で一人になると、ずっと目を背けていたそれが、口からこぼれた。
「……これが、異世界転移、なのかなぁ……」
ボディーソープも、シャンプーも、コンディショナーもない。
ドライヤーもなければ、化粧品関係はお貴族サマしか使えないような高級品なんだと。
軽く絶望する。でも、見知らぬ場所で放り出され、死ぬよりもよほどいい。
口数少なく表情も固い騎士団長さまに保護され、おしゃべりで恰幅の良いお義母さまに世話を焼かれ、無口だけれど行動で示すお義父さまに守られているこの環境は、まちがいなく恵まれている。
その幸運に感謝しないとバチが当たると、日々を精一杯生きていく。
笑顔で、笑顔で。
失敗もあるけれど、少しずつ《家族》の一員となるべくがんばれば、お義母さんもお義父さんも認めてくれるようになっていく。
次第に、料理の仕込みの手伝いや試作をやらせてくれるようになる。
記憶を失くした設定で引き取られているので、料理の名前とかいうと、記憶が戻ってきたのかと喜んでくれる。
本当は違うのだけれど、義理の両親が喜ぶのが嬉しくて、拙い知識やおぼろげなイメージを伝えたり、料理を手伝ったり試作したりと、充実した日々を送ることができていた。
とはいえ、困っていることもある。
私を保護し引き取ってくれた本人、自称兄のノイシュさま。
さま付けで呼ぶと、家族ではない他人だと強調されているようだと、しょぼんとする様子が可愛い人。
おれを兄と思い、何でも頼ってくれ。と胸を叩く様子はどこかコミカルで、笑顔になれたところから始まり、体の接触は多いと思う。いやらしさはまったくないけれども。
優しく微笑み頭をぽんぽんしてくれたときは、子ども扱いしないでくださいと言いつつも、義理の両親と同じように受け入れてくれたのだと思わず泣いてしまった。
そのときから、年長のものが年少のものに接するように、手を繋いだり、頭を撫でたり、目が合うと微笑んだり、ぎゅっと抱きしめて背中をさすってくれたり、そういうコミュニケーションが良いのだと、勘違いしたようで。
兄として、そう接するのが良いのだと、勘違いしたようで。
こちとら、女子校通いで男に免疫がなく男女交際の経験もない小娘でございます。
基本無口で無表情で無愛想な騎士団長さまが、私と接するときだけは、よく微笑み、よく褒めてくれて、よく感謝を伝えてくれる。
私が作る食事を美味しいと言ってくれて、隣で一緒に皿を洗ってくれて、洗濯したり風呂を沸かしたり衣類を縫って渡すといちいち喜んで褒めてくれて。
いつも兄を頼ってくれと言ってくれて、不安なときは寄り添ってくれて、泣きたいときは泣かせてくれて。
そういう、頼れる男性に、惚れてしまうのも無理ないと思うんです。
ガチムチとも貧相とも違う、理想的な細マッチョで。
背は私より高いけれども、極端に高いとかもなく。
伸ばしたり形にこだわったりしない、清潔な印象の赤い短髪で。
いつも訓練して汗をかいているはずなのに、水浴びをして汗を流してから帰ってくるから汗臭くないし、むしろなんか安心する不思議な匂いがするし。
なんかもう、夢中になっても仕方ないと思うんです。
あなた、とか、旦那さま、とか、呼んでみたいと思っても、仕方ないと思うんです。
なんのために、いつもいつも夜遅くまで帰りを待ってると思ってるんでしょうか?
なんのために、義理の両親を先に休ませてると思ってるんでしょうか?
ご飯を食べて、片付けして、お風呂も入って、さあ寝よう。部屋まで送るよ。お休み。
じゃ、ねーですよっ。
こちとら、すでに覚悟完了なんでございます。
あなたの、ノイシュさんの嫁になる心の準備はできてるんでございます。
あなたの女になる用意はできてるんでございます。
なんなら、子ども服の準備を始めてるところでございます。
お義母さんに、気が早いと苦笑されてるんでございます。
なんで気づかねーのでしょう?
想い人の鈍感さに、ついついやさぐれてしまいます。
私がほしいのは、兄ではないんです。
あなたです。ノイシュさんです。
愛してる。の方向が違うんです。
兄妹愛じゃないんです。男女の恋愛感情なんです。
意を決して、「好きです」と伝えたこともありました。
でも、「おれもだよ」と言ってくれて天にも昇る心地だったのに、「兄として、家族として、愛してるぞ!」と良い笑顔で言われても、失恋めいたハートブレイクにしかならないんです。
これはもう、ノイシュさんの部屋に夜襲……奇襲……じゃなくて、夜這いをかけないと伝わらないのでは? とまで思い詰めてるところなんでございます。
でも、そうすると、ノイシュさんが女の方から告白させた意気地無しの甲斐性なしと悪く言われるおそれがあるというので、ノイシュさんの方から告白して、私が受け入れる形じゃないとダメらしいんです。
もどかしい。苦しい。つらい。好き。
好き。好きなんです。妹としてではなく、女として。
あなたのそばで、幸せを噛みしめながら、生涯寄り添いたいんです。
どうか、気づいてほしい。
つらい。苦しい。もどかしい。
好き。好き。愛しています。ノイシュさん。