自称兄の言い分
「ただいま」
町にいくつかある大衆食堂のドアを開ける。
夜の帳が下りて、しばらくした頃。
店のドアの鍵が開いていて、明かりが漏れていたとしても、普通はとっくに店じまいの時間。
店員が、掃除と洗い物と帳簿の整理をしている程度が普通だ。
「おかえりなさい」
おれの帰宅の挨拶に、鈴を鳴らしたような心地よい声が響く。
名はスミレという。
数ヵ月前に、魔物の領域への遠征の際、名前以外の記憶を失くした状態で保護された美しい少女だ。
騎士団で保護して連れ帰ったまではよかったものの、その処遇で揉めに揉めた。
男所帯の騎士団の詰所や寮で預かるわけにもいかず、さりとて、落ち着きがあり経験豊富な年長の団員は妻や子がいる身で、若く体力自慢な団員は飢えた獣と同じだ。どいつもこいつも預けられない。
先代から仕えている補佐官の男は、同じ年頃の娘がいるため引き取ると進言してくれたが、補佐官は大変に家族想いなため、スミレにとっては居心地が悪いのではとおれが引き取った。
顔も体つきも悪くないのに、武骨で無愛想。
不本意ながら、そう言われるおれしか子がいない両親にしてみれば、娘ができたと年甲斐もなく大はしゃぎ。
あれこれと世話を焼いたり服や物を買い与えようとして、記憶のないスミレが戸惑う始末。
それから数ヵ月の時が流れ、《家族》として馴染んできたのか、自然な笑みを向けてくれるようになっていた。
「ああ、ただいま、スミレ。こんな時間だが、なにか食べるものは残っているかい?」
「はい、ノイシュさん。すぐに温めますね」
長く美しい黒髪の彼女は、リボンで髪をまとめて厨房に立ち、おれのためにわざわざ取り置きしていた食事を温め直してくれたり、新しく作ってくれている。
記憶がないままおれに保護され、自宅兼大衆食堂をするこの家に引き取られてから、両親の経営するこの大衆食堂を給仕係として支えてくれている。
未だ働き盛りを自負する両親は、体調を崩すことは少ない。
しかしながら、多くの町人の腹を満たす大衆食堂は、休むと大変なことになる。
日々、ここで飯を食うことを楽しみにしている人たちがいて、その人たちの腹を満たし笑顔で帰してやることにやりがいを見出だしている両親は、本当は負担も大きいはず。
スミレが手伝ってくれるようになって、両親は本当に助かっているはずだ。
おれが騎士団の仕事で家を空けているときも、文句も泣き言も言わずに笑顔で給仕をしてくれているのだという。
その働きぶりも、部下をやって観察させつつ昼飯を食わせた際も、よく働いていると評価は上々のようだ。
今だって、自宅通いのおれが帰宅するまでは、これまでは両親のどちらかが遅い時間まで起きていなければならなかったのだが、スミレが来てからは、代わりに残って番をしてくれている。
そうやって、おれの帰りを待っていてくれて、笑顔で迎えてくれて、料理を用意してくれる。
食材以外の店のものに手をつける様子もない。
手をつけた食材も、おれに食べさせようと料理の練習に使ったものだったりするので、誰も怒ったりしない。
むしろ、両親に許可を取って料理をしているので、微笑ましくあり、褒めることはあっても、叱ったりなどするはずもない。
真面目でしっかりした優しい娘だと、両親はいつも笑顔が溢れている。
「ノイシュさん、お待たせしました」
魔物の領域でよく出る、角猪の肉を使ったステーキのガーリック添え。
温めたロールパンに、野菜スープ。
あと、角のない四角に整えられた、黄色いなにか。
「見たことがない料理もあるな。楽しみだ。いただきます」
日々の糧に感謝する食前の祈りを捧げ、スミレが食前に行っていた祈りも真似て捧げてから、いただく。
まずは、初めて見る黄色いなにか。
木のフォークで刺して切られている断面を見ると、薄く焼いて、巻いて、層にしたようで、食べると玉子を使ったものだというのが分かる。
塩味のある、奥深い不思議な味つけ。
玉子と、おれのバカ舌では感じ取れない、いくつかの食材? が混ざった複雑な味。
美味い。気に入った。……だが。
「これは、いけないな。ステーキには合わない」
「……そ、そう……ですか……」
この料理は、自信があったのかもしれない。
口下手ながら、分かりやすく表現すれば、沈んだ表情のスミレにあわてて言葉を付け足す。
「ステーキには、もっと単純で分かりやすい味が合う。あるいは、肉の脂をさっぱりさせるものとか。この料理は、パンや麦飯みたいな主張の弱い食事に合うと思う」
この玉子の味を邪魔しない繊細で複雑で奥深い味わいは、ガーリックと肉の脂で損なわれてしまうおそれがある。
それは、もったいない。すごくもったいない。
玉子料理をロールパンと合わせて食べてみる。
……うん。とても美味い。
わざわざ一手間かけて切り分けられているステーキを一切れ。
ガーリックの風味とソースがよく合い、とても美味い。
パンをちぎって、ステーキ皿のソースをぬぐいとるようにして食べる。
主張の強いガーリックとソースがよく絡み、ただ食べると味気ないパンが、化ける。美味い。
野菜スープを木のスプーンですくい、飲む。
以前より雑味が減ったスープが、ガーリックの匂いと肉の脂を洗い流してくれるようだ。美味い。
しばし、夢中で食事する。
両親の食事で育ったおれは、馴染みのある味つけが好ましく思う。
有り体にいうと、両親が食べさせてきてくれたものが、好物だ。
年々料理の腕を上げていると感じる両親の食事が、少し前からさらに美味く感じるようになっていた。
それは、そう。スミレが店を手伝ってくれるようになってから。
スミレが、この家に、この店に、この町に馴染もうと、努力している結果だろうか。
両親も、刺激を受けたか。あるいは、教えたり、教えを乞うたりしたか。
スミレが来るよりも前より、店は繁盛している。
この味、この美味さだ。納得できる。
そして、スミレがいる。納得できない理由がない。
食べ終えて、ふう、と息を吐く。
満腹にはまだ遠いが、お代わりをねだるほどでもない。
ごちそうさま、と言おうとして、スミレがいないことに気づく。
視線を彷徨わせれば、皿を片手に寄ってくるスミレ。
「ノイシュさん、まだ、食べられますか? 思いつきを作ってみ」
「食べる」
遠慮がちに問うスミレの持つ皿には、見たことのない料理が。
2枚の食パンに、なにかをはさんだ料理のようだが……。
見た瞬間に理解した。これは、美味い。まちがいなく。
そして、スミレは思いつきと言った。
つまりこれは、この料理は、両親ではなくおれが、誰よりも先に味わう権利を得たものだ。
その権利を、放棄するはずもない。
「いただきます」
両手で持って、かぶりついて最初に来るのは、焼き上げてから時間が経った食パンの味気ない味。
噛みしめれば、先ほどの玉子料理とベーコンの旨味、ソースとチーズの塩気に、酢漬け野菜の酸味と薄くスライスしたたまねぎとレタスの食感が、口の中で、混ざる。
美味い。すごく良い。
肉と脂は、力の源だ。
人々は、腹を満たし日々の活力を得るために、肉を食う。
ただ、焼いた肉は固く、年とともに脂が胃に重くなってくるという。
薄切りのベーコンは食べやすく、老いた人たちにも広く受け入れられるだろう。
酢漬けの野菜は好みもあるが、携行食として優秀だ。遠征にも使える。
新鮮な葉もの野菜がなくとも、酢の酸味が肉の脂を幾分か中和してくれるだろう。
パンも、手間ひまかかる白パンでなくとも、粉と水で練って焼く紛い物でも、玉子料理と肉と野菜を挟めば、化けるはずだ。
「……あの、ノイシュさん。どうでした?」
新たに得られた、いくつもの感動にうち震えていると、スミレに遠慮がちに声をかけられた。
おれの返事など、分かりきっているだろうに。
初めて他人に食べさせる料理だからか、緊張しているようだ。
「美味い。これは素晴らしい。遠征にもきっと使える。ありがとう」
「それは良かったです」
おれの感動をそのまま言葉にすると、花が咲くような笑顔を見せるスミレ。
草原の、風に揺れる花のように、たおやかに微笑むスミレ。
武骨で無愛想で職人肌な赤髪の父と、元気で愛想よく恰幅の良い赤髪の母とは、似ているところなど何もないが、家族のようだと言われて久しい。
おれにとっても、妹のような関係で、もはや、なくてはならない存在だ。
「ありがとう、スミレ。今日も美味かった。両親の代わりにこんな時間まで残っていてくれて、本当に助かっている」
「いえ。ノイシュさんに拾ってもらわなかったら、命も危なかったかもしれないのでしょう? 感謝してもしきれないのは私の方ですよ」
謙遜も、過ぎれば嫌味になる。
遠慮も、過ぎれば拒絶と同義だ。
しかし、スミレの言葉や態度には、嫌味がなく。
遠慮も、返せるものがないという申し訳なさから来ていると感じる。
感謝してもしきれないのは、おれの方なのだよ。本来ならば。
スミレは終始、誰とでもこんな態度だ。
両親からも、本当の娘のように接してもらい、感謝しかないと。手伝うくらいしか返せるものがないと。
どこか悔しそうに、
どこか寂しそうに。
こうなると、言葉を重ねるほどに、重荷や苦痛を感じてしまうように思えて。
そっと抱き寄せて、頭をぽんぽんしてやる。
成人済みのむさ苦しい男が、年頃の娘を抱き締めてしまえば事案だが、家族であれば何も問題はなく。
むしろ、頭を撫でる行為は、年長の者から年少の者へ行う親愛の情を表すのに、うってつけだろうと思っている。
抱き寄せて、頭を撫でることは、家族にすることだと教えてやったことがある。
だからこれは、スミレを家族だと認めた行為だと。
家族への愛情を表現しているのだと。
初めて頭を撫でた時、子どもじゃないと言いつつ泣いてしまったスミレにあわててしまったが、嬉し涙だと言われてホッとしたことを思い出した。
家族としての情は薄れることはなく、益々強く厚く濃くなっているのを感じる。
暑苦しい情の表し方かもしれないが、親愛の情を表するのに、足りないことはあっても多すぎることはないだろう。
顔を赤くしている様子から、子ども扱いされていると恥ずかしく感じているかもしれないが、他に見ている者もない。
かつて母がしてくれたように、額にキスを落とす。
兄はいつでもお前のことを愛しているぞと、態度で分からせてやる。
益々顔を赤くするスミレに、にっこりと笑いかけて、並んで食器を洗ってから、スミレが沸かしてくれた風呂で疲れを洗い流し身を清めてから就寝する。
スミレのおかげで、今日も気持ちよく眠れそうだった。
こんな感じです。
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食パンに薄く切ったたまねぎをしきます。
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たまねぎの上に玉子焼きをのっけます。
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ケチャップで味つけ。
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ベーコンのせて追いケチャップ。
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食パンで上蓋をします。
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切って皿に盛り付けて完成。