38 恋の終わり
「マオニール公爵閣下……?」
プリステッド公爵令嬢は、顔色が悪いままだけれど椅子から立ち上がり、フラフラとした足取りで、こちらに近付いてこようとする。
リアムは私を隠すように、プリステッド公爵令嬢との間に立つと、後ろを振り返って言う。
「プリステッド卿」
「わかっておりますよ」
どうやら、リアムをここまで連れてきてくれたのは、プリステッド公爵令嬢の弟のプリル様らしく、彼は金色の長い髪を揺らし、姉であるプリステッド公爵令嬢に近付くと言った。
「姉さん、もう諦めてください。これ以上、プリステッド公爵家の名を汚すつもりですか? そんなことは、父上や母上が許しても、プリステッド公爵家の跡を継ぐ僕が許しません」
弟が姉に話しかけているとは思えないくらいに冷たい声と言葉だった。
思わず、気の毒になって、プリステッド公爵令嬢を見ると、彼女は驚いた表情でプリステッド卿に尋ねる。
「プリル……、あなたは、わたくしの味方じゃないの?」
「味方でいるつもりでしたが、見苦しい真似をするような姉はいらないんですよ」
「……プリル、あなた、そんな言い方はないでしょう!」
「……姉さん、マオニール公爵夫妻の前なのですから落ち着いてください。今回の件については、お二人がお帰りになってから、ゆっくりお話をしましょう」
プリステッド卿はプリステッド公爵令嬢の腕を優しく叩くと、私達のほうに振り返る。
「本日を含め、姉や父が色々とご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。今後、このようなことはないようにいたしますので、どうか、お許し願えませんか」
「謝罪を受け入れますわ」
私が頷くと、リアムが言う。
「納得いかないところもあるけれど、妻が許すというのであれば許さざるを得ないよね。そのかわり、二度と、こんな馬鹿なことはしないと約束させてくれるかな。そして、もし、また不必要な動きをしようものなら、こちらも容赦しないと伝えてほしい」
「もちろんです。それに、僕がさせません」
「一応、プリステッド公爵には、あらためて、僕から連絡を入れさせていただくよ。約束をしていないし、妻を迎えに来ただけだから、今日はここで失礼させてもらう」
リアムは私の肩を抱いて「帰ろう」と促してきた。
「はい」
頷いてから、プリステッド公爵令嬢のほうを見る。
彼女は大粒の涙を流して、リアムを見つめていた。
リアムもその視線に気が付き、私に言う。
「ちょっとだけ、プリステッド公爵令嬢と話をしてもいいかな」
「かまいません」
「ありがとう」
頷いた私に微笑んだあと、リアムはプリステッド公爵令嬢に声を掛ける。
「僕のことを慕ってくれてありがとう。だけど、僕には妻がいるし、たとえ、妻がいなかったとしても、君の気持ちにはこたえられない。もっと、早くにはっきりと伝えておけば良かった。本当にすまなかった」
リアムが頭を下げた。
いくら相手が公爵令嬢とはいえ、公爵が頭を下げるなんて、プライベートな場であっても滅多にないことのように思われるし、本当はリアムの立場上、してはいけないことだと思われる。
けれど、これは、リアムにとってはけじめなのだと思い、私は黙って彼を見つめていた。
「わたくしでは……、どうしても駄目なんですの?」
プリステッド公爵令嬢が震える声で尋ねると、リアムは頭を上げて私を見てから、またプリステッド公爵令嬢に視線を戻して頷く。
「あなただから駄目なんじゃなく、僕にはアイリスしかいないんだ」
これは演技だとわかっているのに、心臓の鼓動が早くなる。
嘘でも、こんな言葉を聞けるのはとても嬉しかった。
「……うっ」
プリステッド公爵令嬢は大粒の涙を流して、その場に崩れ落ちた。
彼女なりに、本当にリアムのことが好きだったのね。
彼女が私にしたことは、人としてやってはいけないことだったけれど、彼女の思いも含めて、私はリアムのことを、自分が出来る範囲になるけれど、幸せにしたいと思ったし、リアムが気に病まなくてもいいように、お飾りであっても、幸せな妻になろうと思った。




