3 お飾りの妻になります!
逆光のせいで顔がはっきりとは見えないため、パッと見ただけでは相手が誰かはわからなかった。
相手が誰であれ、足を投げ出した状態は淑女としてはよろしくない。
慌てて靴を履こうとしたけれど、薄暗い小道から現れた男性は、私の行動を言葉で制止した。
「いいよ、そのままで。それよりも大変だったね」
落ち着いた低い声は、私の耳に心地よく響いた。
口調が優しい事もあり、なんだか涙が出てきそうになる。
けれど、話しかけてきた相手が誰だかわかった瞬間、出そうになっていた涙が引っ込んだ。
そして、一度止めた靴を履こうとする動作をまた始めなければいけなくなった。
「いいって言ってるのに」
苦笑したあと、彼は私に尋ねてくる。
「横に座ってもいいかな」
「ど、どうぞ」
私が頷いたのを確認してから、少しだけ間をあけて私の隣に座ったのは、黒のタキシードに身を包んだ長身痩躯の男性だった。
「大丈夫?」
彼は少し心配げな表情で私を見つめて聞いてきた。
そうやって気遣ってくれたのは、私の表情が強張っているからだと思われる。
強張ってしまってもしょうがない。
私の隣に腰をおろしたのは、今日のパーティーの主催者である、リアム・マオニール公爵閣下で、彼を前にして緊張しないほうがおかしい。
公爵という人は男爵令嬢の私にしてみれば、天上人に近い。
マオニール公爵閣下は、黒髪の短髪に濃紺の瞳を持ち、前髪は目にかからない程度の長さでおろしていて、後ろ髪は首にそった一部だけが少しだけ長い。
くっきりした二重のツリ目で鼻筋も通っていて、眉目秀麗な事で令嬢にとても人気がある事でも有名だ。
ただ、彼は女性にあまり興味がないらしく、19歳だというのに婚約者がいないと聞いた事がある。
靴をなんとか履き終えて立ち上がろうとした私をマオニール公爵が手で制したので、座ったままで頭を下げる。
「あの、本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「僕が君達に招待状を送ったせいで、君はあんな目に遭ったんだから、お礼を言われるべきじゃないよね」
外灯の薄暗い光の下でも、彼の肌は驚くほどに白く、令嬢らしからぬ、日に焼けた小麦色の肌をしている自分が恥ずかしくなった。
けれど、そんなことを恥じている場合でもない。
「そんなことを仰らないでください。マオニール公爵閣下は悪くありませんわ。今回の悪ふざけがたまたま、マオニール公爵閣下の主催するパーティーで起きてしまっただけで、謝らなければならないのはこちらの方です」
「たまたまって、今までにも何かされてたの? 謝らなくてもいいから、良かったら聞かせてくれない?」
家の恥ではあるけれど、気分的にはどうにでもなれと思っていたから、マオニール公爵閣下の優しい言葉に甘えて、今までの出来事を思い出せる分、全部吐き出した。
感情的になる私の話を彼は時折、相槌を打ちながら静かに耳を傾けてくれた。
「今、思い出せる分は以上になります」
早口で話し終えた時には、言いたい事を言えたという充実感で、かなりスッキリしていた。
マオニール公爵閣下は小さく唸ってから口を開く。
「色々な家族がいるとは思う。だけど、はっきり言わせてもらうけど、君の家族はおかしいんじゃないかな? まともなのは君だけな気がする」
「ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで嬉しいです」
嬉しくて涙が出そうになるのを必死にこらえて笑顔を作ると、マオニール公爵閣下は優しい笑みを浮かべて聞いてくる。
「えっと、失礼な話をしてもいいかな?」
「どんな話でしょうか?」
「元々、今日のパーティーは僕の妻になってくれそうな女性がいないか探すためのものでもあったんだ」
「……そうなのですか」
間抜けな声を出してしまい、慌てて頭を下げる。
「申し訳ございません! 驚いてしまいまして、つい!」
マオニール公爵閣下の妻になりたい人なんて探さなくてもたくさんいそうだから、探す必要なんてないでしょうと思って、つい、気が緩んだ返しをしてしまった。
「気にしなくていいよ。なぜ、探していたのか理由を言おうか?」
「ご迷惑でなければ」
「別に迷惑なんかじゃない。ただ、気分を悪くしないで欲しい」
「もちろんです」
「じゃあ言うけど、どうやら、僕は女性に人気があるらしい。それで、どこに行っても獲物を狙うような目で僕に近付いてくる女性が多くてさ」
うんざりした表情でマオニール公爵閣下は言った。
そんな彼に同情しつつも頷く。
「マオニール公爵閣下が、女性から人気があるのは間違いないです」
「それはありがたいことなんだけど、僕にはそんな令嬢達の熱量に返せる感情がない」
「相手に愛してもらうのなら、その分の愛を返さないといけないと思われているという認識でよろしいでしょうか?」
「そういうことだね」
マオニール公爵閣下は頷くと、私の目を真っ直ぐに見つめて続ける。
「提案があるんだけど」
「何でしょうか?」
「話を聞いていると、君はもう実家にいたくない」
「はい。それは間違っていません」
「そんなに実家が嫌なら君が僕の妻になってくれないか?」
「は……、はい!?」
思いもよらぬ提案だったので、大きな声で聞き返してしまった。
「言い方は悪いが、お飾りでもいいよって言ってくれる女性を探してたんだ。もちろん、衣食住は保証する。頼むことがあるとしたら、何かあれば、僕の妻として出かけてもらわないといけない事かな」
「夜会などでしょうか?」
「そうだね。王家主催とかとなると、断りづらいんだ。もちろん、よっぽど君が嫌だと言う場合は強制はしない。だから、僕のお飾りの妻になってくれないか? 恋愛としての愛情は厳しいけれど、大事にすると誓うよ」
「なります!」
気が付いた時には、勝手に口から言葉が飛び出していた。
「……本当にいいのか? お飾りの妻を願うなんて失礼じゃないか?」
自分で言い出されたことなのに、マオニール公爵閣下が複雑そうな表情で再確認してきた。
お飾りの妻だなんて、彼の言うとおり、失礼な発言ではあると思う。
でも、この時の私は、少しでも早く家を出たかった。
あとから思えば、冷静な判断ではなかったと思うこともあるかもしれない。
だけど、この決断を後悔しないという自信もあった。