28 触れてもいいかな?
リアムが意味深な発言をした数日後、新聞には、繁華街の管理を任されていた貴族と、その用心棒の男が捕まったという記事が一面を飾った。
しっかり目を通してみると、貴族や用心棒の男達はプリステッド公爵令嬢の関与をほのめかしており、彼女のところにも警察が行っているようだった。
彼女が一体、何をしたいのかわからないわ。
ココルに男性を近付けて、どうするつもりだったのかしら?
公爵家の名を汚すような真似をするくらいに、リアムのことを好きだったのなら、彼の機嫌を損ねた時点で、すぐに気が付いて謝るべきだったのよ。
リアムは優しいから、許してくれていたかもしれないのに――。
そう思うと、胸がちくりと痛んだ。
「アイリス……?」
花瓶の花を替えながら、もやもやしていると、リアムに声を掛けられた。
リアムの仕事の邪魔にならないように、朝早くに起きて、執務室の花や花瓶の水替えをしていたのに、いつの間にか、彼が執務室で待ってくれるようになってしまった。
こうなった以上、メイドに頼もうかと思ったけれど、リアムが喜んでくれていると知ったから、私が続けることに決めた。
「申し訳ございません。新聞記事のことを思い出して、考え事をしてしまっていました」
正しくはそれだけではなかったけれど、怪しまれない答えを返した。
「アイリスが気にすることじゃないよ。僕の管理不足だ」
「ですが、プリステッド公爵令嬢が関わっているのでしたら、私のせいでもあると思うんです」
「そうだとしても、原因は僕であってアイリスじゃない」
リアムは仕事の手を止め、私のところまで歩いてくると、悲しげな顔をする。
「君を逃がしてあげられなくてごめん。守るつもりなのに、守ってあげられてなくてごめん」
「リアムが私に謝ることなんてありません! それに私はいつもリアムに守ってもらってます! それに、私はここにいたいんです! 逃げたいだなんて思ったことはありません!」
「本当に?」
「本当です!」
「そうか」
リアムは小さく息を吐いてから微笑む。
「良かった。最近のアイリスは何か悩んでいるようだったから気になってたんだ」
「悩んでなんかいないと言いたいところですが、家族やプリステッド公爵令嬢のことは気になります」
「君の家族については、ここに押しかけようとしてきているけれど近付かせないようにしてるよ」
「お父様やお母様は仕事はどうしているんでしょうか」
愚問かもしれないけれど、聞いてみる。
「それについては調べていないけど、たぶん、放置しているんじゃないかな。だけど、近いうちに、家に帰らざるを得なくなると思う」
「どういう事でしょうか?」
「今、君の家族は街の宿に泊まっているんだけど、そのお金を出しているのは、どうやらプリステッド公爵令嬢なんだ」
「彼女は私の家族を使って、何がしたいのでしょうか?」
尋ねると、リアムは苦笑する。
「こんなことを言うのもなんだけど、君の家族を僕に近付けて、僕が君と離縁したいと言い出すのを待ってるのかもしれない」
「でも、私の家族がおかしいということは、リアムは結婚前から知っているはずです」
私とリアムが知り合うきっかけは、家族がリアムに不快な思いをさせたからだもの。
それは、社交界でも有名な話のはず。
「そうなんだよね。彼女はそのことを忘れてしまっているんだろう」
リアムは苦笑してから続ける。
「だけど、もう彼女のことで悩む必要はなくなるから安心して?」
「そうなんですか?」
「うん。相手が公爵令嬢だったから、大人しくさせるのに苦労してしまった。その間、嫌な思いをさせてしまってごめん」
「いえ! 私のことはお気になさらないでください!」
首を何度も横に振ると、リアムが思いもよらなかったことを聞いてくる。
「……触れてもいいかな?」
「え?」
「君に触れてもいいかな?」
再度、尋ねられて、心臓の鼓動が一気に早くなる。
「あ、の、どうして」
そんなことを聞くのですか?
と口にしようとしたところで、扉がノックされた。
「だ、駄目ではないですが、今はお花の水を替えてきますね! それに誰か来られたようですし!」
花瓶を抱えて、扉のほうに向かう。
「アイリス!」
リアムに名前を呼ばれ、立ち止まって振り返る。
「なんでしょうか?」
「水はさっき替えたばかりだろ?」
「そ、そうでしたでしょうか? とにかく、扉を開けても良いでしょうか!?」
私の問いに対してリアムが何か言う前に、扉の向こうから声が返ってきた。
「あ、あの! 出直しますのでお気になさらないでください!」
声の主は、トーイが休みの日に来てくれている、リアムの側近の声だった。
「……中に入っていいよ。もう、仕事の時間だから」
リアムが言うと、ゆっくりと扉が開かれた。
顔だけ覗かせた彼は、なぜか今にも泣き出しそうな顔をしていた。
彼と入れかわりに執務室を出て花瓶の水を入れ替えて戻ってきた時には、リアムは仕事モードに入っていた。
だから、先程の話について、何か言ってくることはなかった。
というより、ある出来事があって、それどころではなくなってしまったのだと思う。
ある出来事というのは、プリステッド公爵閣下が、マオニール邸に訪ねてきたいという連絡が入ったからだった。




