二章⑤
× × ×
同刻。クルトは研究室前の廊下でたたずんでいた。
校内ではあるが、ほとんどの人は外にいるため警備は薄い。聞こえてくるのはグラウンドからの喧騒だけ。しかし静けさには緊張感があった。
そうして一時間もしたころ、ふいにカツンと足音が響いた。警備員のものではない。この静かな廊下の中で、魔術で聴力を強化しなければ聞き取れないほど小さな音だ。
では足音を殺さなければならない来訪者とは誰か。
――侵入者である。
「やっと来たか、犯人さんよ」
「――ッツ!」
ゆっくりと姿を現した犯人と思わしき人は仮面をかぶっていた。
背はクルトより少し高く、全身を黒の服で覆っている。おかげで人相はわからないが怪しさは満点だった。
ここにクルトがいるのは予想外だったのだろう。仮面の奥の驚愕が透けて見えた。
「なぜおれがここにいるのか、不思議か?」
「……」
無言のまま頷く犯人。その素直さにクルトはおかしくなった。
「たしかにお前のミスリードは見事だった。何が厄介だったかって、本当に爆弾が仕掛けてあることだ。おれの研究室のときといい、今回のグラウンドといい、お前は本命の爆弾のほかにミスリード用のものを仕掛ける。それはわかっていたが、だからと言って解除しなければ大勢の人が死んでしまう。だからニナを行かせたんだ」
「……」
犯人がどこに爆弾を隠しても、ニナなら見つけ出すだろうと信じていたのだ。
「二重にも三重にもフェイクを重ね、しかしそれをあえて突破させる。すると突破した奴は達成感からそこで思考を止めてしまいお前の本命に気づけない。おれも最初の段階で気づけなかったら危なかったかもしれないな」
犯人はじっとこちらを見つめてくる。クルトがなぜ見破ったのかが不思議で仕方ないのだろう。
「なぜおれが気づけたのかって? 単純だよ。お前が王国民だからだ。おれはお前の美意識がよくわかる。帝国立のこの学園に対して敗北を認めさせるには『美しく』勝たなければならない。それはそこら辺のチンピラに喧嘩のまねごとをさせるなんて荒っぽいものじゃないはずだ。それに、本当にグラウンドに爆弾を仕掛けたら罪のない王国民も死んでしまう。だから研究室に仕掛けた爆弾も、今回仕掛けてある爆弾もわざと解除されやすいものにしたんだろ? あえて問題を解かせて、爆発してしまわないように」
犯人は答えない。その無言は肯定だった。
「しかし今度はまた問題が生じる。なぜ、犯人は爆弾を使うのか。人を殺したくないならばテロなんてしなければいい。ならば目的は何か。――何かを破壊するためだ。人の命ではなく、何か学園にとって重要なものを壊せば大きな損害を与えられる。そう例えば、研究室にある研究レポートや高価な実験道具なんかな」
クルトの研究室にあるものをすべて合わせれば都心に城を建てられるほどの金額になる。爆破されればたまったものではない。
「だから今日を狙ったんだろ? いつもは休日であってもこの建物には誰かがいる。だがグラウンドで問題を起こして警備員をそちらへ誘導すればここには誰もいなくなる。絶好の機会というわけだ」
そこまで言うと犯人は観念したように肩を落とした。
「何か訂正は?」
フルフルと首を振る。ある程度は正解だったらしい。
「じゃあおとなしく捕まれ。国家反逆罪は免れないだろうけどな」
現在、王国の司法は帝国が握っている。帝国に対して宣戦布告をした犯人が許されるはずはないだろう。
……正直なことを言えば、クルトは犯人に同情していたのだが。
「それは、無理だ」
突如、犯人が口を開いた。変声魔術でも使っているのか聞き取りにくいほど低い声だ。これでは解析しても犯人を特定できないだろう。
「私にはまだやることがある。だから――死んでもらおう。《三面展開。総攻撃》」
狭い廊下に魔術陣が三つ展開され、そのすべてがクルトめがけて魔術弾を発射してきた。
「《四面展開。総防御》ッ!」
とっさにクルトも盾を展開して攻撃を防ぐ。だが、その余波で近くの窓ガラスが何枚か割れてしまった。
四面展開ができるクルトが魔力差で負けることはほとんどない。が、攻防を何度も繰り返していたら奴の思惑通り研究室までもが破壊されてしまう。
「クソッ」
何度も魔術弾の撃ち合いはできない。何とか接近して魔術を使わずに拘束しなければ。
「《四面展開。半攻撃》」
牽制のために威力を落として誘導弾を放つ。しかし犯人は防御陣に切り替えることなく、クルトの弾を魔術弾で迎撃して見せた。相当戦闘に慣れていなければできない芸当だ。こいつもクルトと同じ従軍経験者だろうか。
ならばこちらも防御陣の後ろに隠れてはいられない。
「《四面展開。総攻撃》――‼」
リスクをとって総攻撃の構えをとって距離を詰める。互いに盾を展開していないので、高速で飛び交う魔術弾に対して少しでも回避が遅れたら頭が吹き飛んでしまう。背中に伝う汗を振り切ってクルトは疾走した。
犯人の攻撃弾を回避と迎撃で突破して懐に潜り込む。ゼロ距離では魔術弾を使えないのでここからは格闘戦だ。早速左フックを放つも最小限の動きでかわされてしまった。
そのまま距離を離されてはかなわないのでクルトはさらに一歩踏み込む。
「はっ!」
犯人の繰り出すジャブを受け流して出来た隙に蹴りをお見舞いする。が、これまた紙一重でかわされて脛に肘うちを見舞われた。
一瞬のよろめきを犯人は見逃さない。すかさず繰り出してきたストレートを何とか防ぐも、追撃の膝蹴りを腹に食らってしまった。
もともとクルトは格闘が得意ではない。必殺の一撃をもろに受けて床に膝をついてしまった。
「所詮は子供か」
長身の犯人はクルトを見下ろしてくる。それはクルトにとって、あまりに高すぎる壁のように思えた。
犯人の蹴りが側頭部に炸裂して壁にたたきつけられる。全身に激痛が走る。そのまま立ち上がれず、クルトは壁にもたれかかった。
「仲間を連れてくるべきだったな。お前では私に勝てない」
「……それだと爆弾を解除できないかもしれねーじゃんかよ」
「そうだ。それがお前たちの限界だ」
犯人は冷たく言い放つとクルトの横を通り抜けて研究室への扉に手をかける。
「おれを殺さないのか? この学園の教授だぞ」
「必要ない。私の目的は学園に対して損害を与えることだけだ」
「……トーマス教授は殺したくせによ」
「必要な犠牲だった」
犯人は冷たく言い放つ。だがその言い分にあまり納得できなかった。
「とにかく、お前はそこで眺めていろ。運が良ければ爆発に巻き込まれても死なないかもしれないな」
「ぐ……」
自分の体に動けと命令してもうまく立ち上がれない。やられた衝撃で頭の回路が不具合を起こしているのだ。信号が筋肉にうまく伝わってくれない。
クルトは何もできず犯人が研究室に踏み込んでいくのを眺めているだけ。その悔しさに唇をかみしめる。
――その時だった。
「待ちなさいよ。まだあたしがいるじゃない」
聞こえるはずのない声がした。驚きのあまり幻聴じゃないかと疑ったが、彼女は確かにそこに立っていた。
「ニナ……? なぜここに……」
犯人がここに来るのはニナには伝えていない。まさか自力でたどり着いたというのか。
「……応援を呼んだ気配はなかったはずだが」
犯人の声色も驚きを隠しきれていない。
「爆弾の解除が簡単すぎて、あれじゃ止めてくださいって言ってるようなものよ。ならばフェイクを疑うのは当然じゃない」
「なるほど。どうやらお前たちを甘くみすぎていたようだ」
犯人はドアノブから手を離してニナを見据える。
と、その時、遠くからドドドという大勢の足音が聞こえてきた。
「もうすぐここに警備員が集合するわ。おとなしくお縄につくことね」
「…………仕方ない」
「あっ、待ちなさい!」
犯人は爆破を諦めたのか即座に反転して逃亡した。逃がすまいとニナが飛び出して追いかける。
「《二面展開。総攻撃》」
だが、追い付かれないようにと犯人は後方に魔術弾を飛ばしてくる。
「《三面展開。総防御》!」
魔法詠唱では間に合わないと判断したクルトはニナのすぐ前に防御陣を展開してそれを防ぐ。余波でニナの足は止まり、窓ガラスは割れてしまったが、あのままでは直撃していた。
「くっ、逃げられる――‼」
身体能力ではクルトをはるかに上回る犯人だ。女のニナに追い付けるはずがなく、また狭い廊下で魔法も放てずあっという間に見失ってしまった。
「黒衣の男が逃げました! だれか捕まえてください!」
ニナの叫びが廊下に響き渡るも、警備の薄い建物の中には誰もいない。必死の声もむなしく反響するだけだった。
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その日の夜、政府に一つの小型蓄音機が送られてきた。
『我々の意志は潰えぬ。帝国が我々から奪い続ける限り、何度でも立ち上がってみせよう。
戦いは、これからだ』