二章④
「もうだめ……死にたい……」
教員用テントに戻ってきてからニナはうなだれていた。次のパフォーマンスが始まっても、まだ誰かから冷笑されている気がしてならない。
「ドンマイなのじゃ。気にすることないのじゃぞ」
クルトは軽い調子で励ましてくるが、それは火に油を注いだだけだった。
「あんたが! あんたがしっかりパフォーマンスを練ってたらこうはならなかったのよ! あんたが適当に考えてたせいであたしは恥をかいたのよ! この責任どうとってくれるのよぉぉぉぉぉぉぉ!」
「お、落ち着くんじゃ。パフォーマンスの内容はルイーサが考えたし、お前さんも賛成したはずじゃろ?」
「こうなるなんて思わなかったのよ! よく考えたらなんでいきなり魔術の説明もせずに模擬戦を始めてるのよ!」
ひどい責任の押し付けではあるが、ニナには心の余裕がなかった。百を超える観客から冷たい目を向けられるのは、数ある黒歴史の中でもかなりのものだ。
「すまぬすまぬ。しかしそのおかげでワシらは戦いの手札を伏せられたのじゃぞ」
「……? どういうこと?」
クルトの意味深な言い方に首を傾げて手を離す。
すると真面目腐った顔で語り始めた。
「もしワシらが真面目に魔術や魔法を発表していたら、戦闘における情報が一つ犯人にも伝わっていたはずじゃ。それでは犯人と対峙した際に不利じゃろ」
たしかにその通りだ。ニナは戦闘用の魔法を研究して使いこなしているが、実戦経験はほとんどない。使いなれている閃光弾を対策されれば一気に不利になる。
「……もしかしてロクに魔術の説明をせずに模擬戦だけをしたのはわざと?」
「うむ。誘導弾はワシのメイン攻撃魔術じゃからの。直接対決の可能性を考えると、あまり情報を渡したくないんじゃ」
「でもそれってあんたと犯人の一騎打ちって状況でしょ。そんなことなるかしら」
「うーむ、この言い訳では無理があったかの」
「やっぱり何も考えてなかっただけじゃない!」
再びクルトの胸ぐらをつかんで思いつく限りの文句をぶつける。
「ははは、すまんすまん」
それに対してクルトは余裕たっぷりに謝ってくるので悔しい。同じ屈辱を味わったはずなのに、この差は何だろうか。
謎の敗北感を味わったニナは諦めてグラウンドに目を向ける。
その時だった。
「え?」
ニナは思わず目を見張る。
三組目の研究室がパフォーマンスをやっているグラウンドの中央に、大柄な男が侵入していたのだ。
男は脇目も振らずドスドスとグラウンド中央へと歩いて行く。
こんなのパフォーマンスの予定にない。明らかにおかしな行動だ。
ようやく異常に気づいた数人の警備員があわててが制止するも、体格差がありすぎて止められていない。男は強引に歩いて行く。
『して、これは戦場における強力な抑止力に――ん? どなたですか?』
中央で魔術陣の解説をしている教授も気づいたようだ。マイクを持ったまま特に警戒することなく男に話しかけ――
ゴン!
直後、男のこぶしが頭に突き刺さった。なすすべなく倒れこんだ教授の頭からはどくどくと血が流れている。
「え……?」
何が起こったか理解できず会場は静まり返る。だって、どう見ても致死量の出血だ。目の前に死体があるなんて誰が信じられるだろう。
体育祭の途中にいきなり男が侵入して教授を殺すなんて現実離れした状況を、誰が受け入れられるだろう。
「――ッ、あいつを捕らえろ!」
静寂を破ったのはクルトだった。近くにいた警備員に鋭い声で指示を飛ばし、自身も魔術陣を展開して照準を男に向ける。
「動くな。一歩でも動けば撃つ」
クルトの声はまるで別人だった。雰囲気だけで場を支配するほどの殺気を放ち、淡々と言い放つ言葉には有無を言わせぬ迫力がある。男もそれで観念したのか両手をあげて降伏の意思を示した。警備員がゆっくりと近づいて拘束する。
男が何をしたかったのかはわからなかったが、とりあえずこれで落着したと思われた。
だが――
「なんだとこの野郎!」
観客席から聞こえてきた怒号が静寂を破った。見ると、これまた二メートルを超える大柄な男ふたりが一触触発のにらみ合いをしている。周囲の観客はおびえて蜘蛛の子を散らすように退散していった。
「何度でも言ってやるよ。国王は大犯罪者だ。アートなんぞにうつつを抜かし、軍事力の強化を怠った。だから戦争に負けたんだろ!」
「それを言うからには覚悟はできてるんだろうな」
「あ? やるのか?」
無言でにらみ合う二人。そして片方の男が仕掛けると殴り合いの喧嘩が始まった。魔術こそ使っていないものの、凄まじい戦いに誰も割って入ることができず、駆け付けた警備員も困惑している。
「何が起こってるの……? なんで突然こんなことに……?」
ニナは一歩も動けないままそう呟く。クルトもどうすればいいかわからないようで、何かを考えこむように喧嘩を見つめている。
だが、事態は収拾どころかさらに混沌を増していく。二人の怒号が何かの合図であったかのように、会場のあらゆるところで喧嘩が勃発していくのだ。グラウンドをぐるっと囲むテントのありとあらゆるところから怒鳴り声が聞こえてくる。すでに男たちによる殴りあいも発生しているようで、人を殴ったときの鈍い音がここまで響いてくる。わずか数分にして会場はカオスに包まれた。
テロ対策として相当な数の警備員を配置していたが、それだけで抑えきれるかわからないほどだ。観客は徐々にパニックになっていき、あちこちから悲鳴が聞こえるようになってくる。
「さ、さっきまで普通の体育祭だったじゃない……」
その様子をニナが茫然と見つめていると、険しい顔をしたクルトが話しかけてきた。
「ニナ、ちょっといいか」
クルトに連れられてテントを出る。人目のつかない校舎裏までやってくると、クルトは低い声で切り出した。
「これはおそらく犯人の仕業だ」
「ど、どういうこと?」
「言っただろう。犯人は何かしらの方法で警備をすり抜けるアクションをしてくる。それがいきなり始まった喧嘩の正体だ。警備をそちらに割かせることで爆弾を仕掛けやすくしているんだ」
「これは全部犯人のアクションってこと……? そんなまさか……」
そうだとしたら用意周到すぎる。会場全てを巻き込んで学園を翻弄しているではないか。
「いや、誰にも気づかれず研究室に爆弾を仕掛けたやつだ。それほど有能な相手なら、会場の中に喧嘩のふりをする手下をこれだけ仕込んでいたとしてもおかしくない」
「――」
ニナは絶句した。クルトに言われて犯人のアクションを警戒していたが、まさかこれだけの規模のものを仕掛けられるとは思っていなかったのだ。
認識を改めて頭をフル回転させる。
「それなら警備員さんに喧嘩は無視してくださいって言わなくちゃいけないわね。今はテロの阻止の方が重要だわ」
「いや、そういうわけにはいかない。すでに教授の殺人事件が起きている。あれも多分犯人の手下の仕業だ。男たちを放置すれば人を殺すという犯人からのメッセージとも受け取れる。警備員が彼らを放置すれば無関係な人を殺しかねない」
「あ……そうか……」
この脅しの効果を見越して犯人は教授を殺させたのだろうか。荒業だが、細かいところまで計算されている。
「警備員には何も言わなくていい。その代わりお前は怪しい人物を取り押さえるか、仕掛けられた爆弾を解除してくれ」
「でもあたしは爆弾の解除なんてできないわよ? アンチ魔術陣なんて描けないもの」
「大丈夫だ。これを持っておけ」
クルトが差し出してきた片手サイズのハンマーと小型の魔術陣探知機を受け取る。
「この魔術陣が刻まれたハンマーなら特殊加工されたガラス盤も破壊できる。以前に仕掛けられていた程度のものなら無力化できるはずだ」
ズシリと手にかかるハンマーの重みに思わず身震いした。これからニナは自ら爆弾へと飛び込んで行かなければならないのだ。失敗すれば自分と大勢が死ぬ。その重圧が片手にかかるようだった。
「わ、わかったわ。手分けして探しましょ」
「いや、悪いがおれは野暮用がある。何かあったらルークに言ってくれ」
「野暮用……?」
この大変なときに何を言っているのかと思ったが、クルトの険しい顔を見てなお反論することはできなかった。
「わかった、必ず探し出してみせるわ」
「頼んだ。……それと、一応戦闘態勢は整えておけよ。これはおれの仮説だが、犯人はおれら研究者の命を狙っている可能性もある」
「研究者を? なんで?」
「犯人が王国に対して強い忠誠があるのは間違いない。にもかかわらず、さっきは王国人の教授を殺した。この矛盾はここの教授が王国に対する裏切り者だって考えると辻褄が合う」
それでニナははっとした。確かにこの学園の教授は王国民からの評判は良くない。帝国の軍事力増強に手を貸しているので当然だが、それが命を狙われる原因になるとは考えていなかった。
「肝に銘じておくわ。あんたも気をつけなさい」
ニナはそう言って人混みへと飛び込んで行った。
× × ×
喧騒の中、ハイデガーはゆっくりとバッグから魔術陣を取り出した。
周囲に人の目はあるが彼を怪しむ者はほとんどいない。パニックのおかげでほとんど職員が出払っているのもある。全身を黒の服で固めているのでよくよく見ると怪しいかもしれないが、この騒がしさだ。まだ体育祭が再開していない不安定な状況で他人を怪しめるほど余裕のあるやつは少ないだろう。
もしこれが爆発すれば少なく見積もっても五十人は死ぬ。ハイデガーは自分の鬼畜さに思わず笑ってしまいそうになった。
「さて、あいつらはこれを見つけられるかな」
彼にとってこのテロは人生をかけた大舞台であったが、ある種ゲームのような面白さも感じていた。爆破予告を出すことで公平になった条件のもと、学園を出し抜いて爆破させる。成功の瞬間が今から待ち遠しくて仕方がない。
爆弾を仕掛けたハイデガーは素知らぬ顔で群衆に紛れていく。
「勝負だ、帝国の犬ども」
× × ×
会場のカオスはさらに深まっていた。
喧嘩をしている男は十組を超え、もはや体育祭の進行どころではなくなっている。観客は恐怖にただただ騒ぎ立てるばかり。元々の人の多さに加えてこのパニックだ。どんな大声でも言葉は通らないし、まっすぐ歩くことさえ難しい。この中から怪しい一人を見つけるなど到底不可能に思えた。
「でも、やらないと」
ニナは怪しい動きをする人に対して片っ端から声をかけていった。人見知りのニナには辛い作業であったが、これぐらいしか方法が思いつかなかったのだ。喧嘩の対応に追われている警備員には協力を頼めない。それに、学園は爆破脅迫を隠蔽したがっているので、テロの件を知っているのは学園でも少数だ。事情を知っているニナにしかできないことである。
だが――
「ああん? 俺らがなんだって?」
「ひっ……い、いえ、ここで何されてるのかなーと」
「体育祭を見に来たんだよ。なんだかおかしなことになってるみたいだけどな」
「そ、そうですか。失礼しましたー」
ニナはやや屈折した偏見を持っている。だから怪しいと思う人物は大抵がこのような人相の悪い男たちだ。自分から話しかけたくせに怯えてそそくさと退散してしまう。声掛け三人目にしてニナの心は折れそうになっていた。
このままのペースでは手遅れになる。それをわかっていても、今のニナにはどうにもできない。
(もしクルトだったらうまくやるのかしら……)
成果を出せずに時間だけが過ぎていくと、ネガティブな考えが頭を埋め尽くしていく。
と、頭を抱えていると不意に声をかけられた。
「ニナさん、どうなりましたか?」
顔をあげるとルークだった。ニナは慌てて思考を現実に戻す。
「あんまりよくないですね。何しろこの人の多さですし」
「そうですか。いま余っている警備員を集めてグラウンドの魔術陣探知をお願いしましたが……厳しそうですね。どうしても人手が足りません」
ルークは苦々しく顔をしかめる。彼の歯がゆさが伝わってくるようだ。
ニナは唇をぐっと噛んで思考する。
(考えろ。状況を打開するために必要なことを考え続けるのよ。犯人はこの人混みの中に絶対いる。探すためには人手が足りない。つまり人手と犯人の情報が欲しい。そのためにどうすれば――)
そこで一つ思いついた。
「そうだルークさん、喧嘩してる奴らをしょっぴいて情報を吐き出させてみません? なにかわかるかもしれません」
「彼らが口を割るでしょうか。それに、彼らには何も知らされていない可能性もあります。その時にはただのタイムロスになってしまうのでは……」
「それでも今のままでは後手に回るだけです。それに、喧嘩を収めるだけでも警備員の仕事が減るので意味はあります」
「……成程」
いかに大男の喧嘩とは言え、一流の魔術師でもあるルークが本気を出せば止めるのはたやすい。魔術を使うとケガをさせるのではと躊躇していたが、そうも言っていられない状況なのだ。
「わかりました。やってみましょう」
早速ルークは近くで喧嘩をしている男たちの中に入って仲裁を始めた。よくあの怖い人たちの間に入れるなと感心しつつも、そういえばルークもかなり身長の高い強面の男だったことを思い出す。結局、魔術を使わずゲンコツ二発で男二人を沈めていった。
「わ、わあ……」
ルークだけは怒らせないでおこうとニナは固く誓う。数分もしないうちに大男二人を肩に抱えて戻ってきた。
「さて、あちらの休憩室に向かいましょう。そこで話を聞くことにしましょう」
黙ってルークについていく。人混みとは言え、ルークの鉄拳を見ていた観客は恐れおののいて道を開けてくれた。
後ろを歩くニナにまで恐怖と尊敬の視線を向けてくるのだから複雑な気分だ。
そうしていたたまれない気持ちで歩くこと三分。休憩所に着いたら拳骨で気絶した男二人を座らせ、水をかけて起こすことに成功した。
「ぶはっ、な、なんだよ!」
男たちは目覚め一番文句を吐くも、ルークの一睨みで子猫のようにすくみ上った。
ルークは大きくため息をつく。
「で、なぜあなたたちは喧嘩をしていたんですか」
「それは……」
ルークの迫力に押された男たちはごにょごにょと口を動かしているが、まるで聞こえない。
「はっきり言ってください。思い出せないならまたゲンコツをしてあげますよ」
「え、えっとだな……」
再び言いよどむ男たち。視線を空中にさまよわせて何かを必死に考えている。
「そ、そうだ思い出した。こいつが王は無能だって言うからついカッとなってしまったんだ。それだけだ」
「あ、ああ。そうだった。俺が王は無能だといったらこいつが殴り掛かってきたんだ」
「では、先に手を出したのはそちらの方ですか?」
「ああ。俺が先に殴りかかった。反省はしている」
「ふむ……」
ルークは男たちをじっと見つめて何かを考えこんでいる。その表情が怖ろしかったのか、男たちの体がビクッと震えた。
「嘘というわけではないでしょうね」
そう言うと男たちは胸をなでおろした。
だがルークは彼らの言い分を信じたわけではないだろう。変わらず厳しい目で二人を見ている。
「ではここからが本題です。あなたたちは誰かに頼まれて喧嘩をしていませんでしたか?」
ピク、と男の眉が動いた。それは今までの挙動不審さに比べたらかなり小さな動き。しかしニナは見逃さなかった。
「そんなことねえよ。言っただろ? ついカッとなって手を出したんだって」
「本当に?」
ルークはぐいと顔を近づけて彼らに問う。男たちの顔がこわばっていった。
「ああ、もちろんさ」
「ふむ……」
それが嘘であることくらいニナでもわかった。クルトの推理は当たっていたのだ。
だが肝心の情報が引き出せなければ意味がない。男二人を逮捕したところで意味がないのだ。このままでは時間が無くなっていしまう。
焦りから冷たい汗が背中を伝う。
かくなる上は――
「……ルークさん、少し目をつむっててください」
「何かあったのですか?」
「ええ。これからあたし、法律に背くんで」
「……?」
首をかしげるルークを置いて男たちの前に立つ。
「『For with the heart one believes unto righteousness, and with the mouth confession is made unto salvation.』」
聞きなれない詠唱に首をかしげる男たち。当然だ。これは人道的な捕虜の扱いを目指して国際的に禁忌とされている「自白魔法」なのだから。
ニナの詠唱によって空中に生み出された光の粒子をかき集めて男たちに放つ。
数秒ばかり光が男たちを包んだが、特に変化が起きた様子はない。困惑する男たちの前にニナは立って質問した。
「もう一度訊くわよ。あなたたちは本当に誰に頼まれたわけでもないのね?」
人見知りのニナだが、追い詰められて火事場のコミュニケーション能力が湧いていた。
男たちはきっぱりとした顔をして。
「ああ、もち――よくわからない長身の男に頼まれたんだ」
「ちょ、おまっ」
驚いたように男は自分の口をつむぐ。だが禁忌魔法はそんな抵抗では崩れない。
「その男は爆弾を仕掛けると言っていなかった?」
「そんなわ――ああ。第一グラウンドの東側のテントに仕掛けると言っていたよ。だから俺たちは第二グラウンドで警備員をひきつけろって依頼された」
「な、何言ってんだよお前!」
慌てたように口をさらに強く押さえつけているがもう遅い。必要な情報はすべて手に入った。
「これは驚いた……ニナさん、自白魔法を使えるのですか」
呆気にとられたようにルークは笑う。
「みなさんには内緒ですよ。条約違反なんてなかった。いいですね?」
「……僕は何も見ていませんよ。さあ、第一グラウンドに向かいましょうか」
「はい!」
互いに不敵な笑みを浮かべて休憩室を出る。去り際に男の絶叫が聞こえたが、構っている時間はないので無視することにした。
だが――そうして第一グラウンドへ向かう途中、ふとニナは考えてしまった。
(あまりにも簡単に情報が手に入りすぎじゃない?)
あの男二人はいわば共犯者。だが、この学園を相手に爆破テロを起こすにはいささか無能すぎるように感じる。どこにでもいる小物なチンピラといった印象だ。現に爆弾の仕掛け場所が男たちを通じてバレてしまった。さすがに自白魔法を使ったのは向こうも想定外だっただろうが、あの様子なら使わなかったとしても時間をかけて尋問すればいつかは吐いたように思える。そんなリスクを冒してまで彼らを使うメリットがあるのだろうか。クルトの研究室にこっそり爆弾を仕掛けられるほどキレ者の犯人がそんなミスをするだろうか。
「……」
もしやこれはミスリードなのでは? 手紙をすべてカタカナで書くことで知能指数を誤魔化したように、愚かな共犯者を通じて嘘の情報をつかまされたのでは?
「ニナさん?」
足を止めたニナに不思議そうな目を向けてくる。
ニナの心には迷いがあった。自分の直感に近い推理をもとに行動していいのかわからない。自分の考えをはっきりと主張できるほど、自信がなかったのだ。
でも――
「ルークさん、あたし、第二グラウンドに戻ります」
「なぜですか?」
「情報が簡単に手に入りすぎています。罠の可能性を捨てきれません」
「確かに……ですがそうではない可能性も捨てきれませんよ」
「なのでルークさんは第一グラウンドに向かってください。あたしは戻りますので」
「……わかりました。では僕は行ってきます」
不安を押し殺してニナは来た道を戻る。
ルークの後ろでなければ小柄なニナは人波に流されそうになったが、ぐっと歯を食いしばり強引にかき分けて進んだ。
まだあちこちで喧嘩が起こっている。ルークが一件の喧嘩を収めたからといって焼け石に水だったようだ。聞こえてくる悲鳴に心を痛めつつもニナは魔術陣探知を続ける。
爆弾の在処で有力なのは地面に埋められているパターンだ。前回、グラウンドが爆破された際も地面に埋まっていて気づかなかったらしい。三十センチほどのスティックを地面に近づけて探知を続けながら歩いて行くも、なかなか成果はでなかった。
(まだ仕掛けられていないのかしら)
いや、すでに混乱から一時間近くが経過している。そろそろ仕掛けていてもおかしくないはずだ。
考えろ。犯人はどこに爆弾を仕掛けたい。闇雲に探していても時間を消費するだけだ。
(普通に考えて、この人混みの中で穴を掘って魔術陣を埋めるなんてできないはずよね。爆弾を仕掛けようにも普通の人の目もあるんだし)
でもわざわざこのパニックを引き起こしたのだから、これに乗じて仕掛けるはずだ。となれば、このパニックが起きてから逆に人が少なくなった場所……?
「まさか」
一つだけ思い当たる場所がある。そこに向かってニナは人を押しのけつつ走っていく。
喧嘩をさせることで警備員を出動させ、職員のリソースを奪った際に生じるわずかな隙。それは――
「教員用テント!」
事件の鎮圧に追われて職員はほとんど出払っている。警戒は手薄なはずだ。
それに時限爆弾を仕掛け、教授たちが戻ってきたところで爆発したとしたら、クルトの仮説である「裏切り者の研究者だけを殺す」という目的にも合致する。
ニナは確信をもって走っていく。
その時だった。
「……え? クルト?」
一瞬、クルトとすれ違ったような気がした。しかし振り返ってみると背丈が違う。よく似た雰囲気の別人だったようだ。
話しかける理由もないのでそのまま教員用テントへと向かう。やはり全員が対応に追われていて誰も残っていなかった。
「ここら辺に……もしかすると……」
ピーピー‼
魔術陣探知機を片手に探していると、教員用テントの隣にある放送器具の予備機材の中から反応があった。この探知機は起動している魔術陣に反応するもの。起動していない機材に反応するはずがない。
機材をかき分けて探すと、予想通り見覚えのあるガラス盤が出てきた。
「これが……爆弾……」
実感がわかないが、魔術陣もなんとなくあの時の爆弾と似ている気がする。
いつ爆発するかわからないのですぐにガラス盤を地面に置き、思いっきりハンマーを叩きつける。
バリン、という甲高い音とともに粉々に砕け散った。
何事かと近くの観客が視線を浴びせてくるが、まさか爆弾を解除したとは思わないだろう。一仕事を終えたニナは緊張感から解放されて紅い空を見上げる。だが――
「……これで終わり?」
あれだけ必死になって探したわりにはあっけない終わりだった。念のため他に仕掛けられていないかと念入りにテントの周りを確認してみたが、どうやらこれ一個だけだったらしい。
この人混みの中、これだけ目立つガラス盤をそう何個も隠せるとは思えない。とりあえず、テロリストに対して学園は勝利した……ということでいいのだろうか。
(なーんか、釈然としないのよね)
なにか重要なことを見落としている気がする。
ニナは犯人のフェイクを見破って爆弾を解除した。そのはずなのに、なぜか妙なもどかしさが胸から抜けず、違和感はだんだんと胸の中で大きくなっていく。
共犯者に対して嘘の情報を吹き込んだことや、パニックになった際の教員テントの盲点など、犯人が頭のいい人物であるのは間違いない。ならばなぜ、こんなにもあっさり解除できる爆弾を仕掛けたのだろう。前回もガラス盤を使ったのだから学園側がそれを対策してくることなど目に見えていたはずだ。
まるで、解除されることが前提のような……。
「……そういえば、クルトの野暮用っていったい何だったのかしら」
ニナは複雑な気分で紅に染まった空を見上げていた。