二章②
「何よあいつ! なーにが『戦勝国のプライドというものだから』よ。帝国人だからっていい気になって……‼」
研究室に帰るとすぐにニナが憤慨した。
「落ち着くんじゃニナ。彼は彼で大変なのじゃぞ」
「あんたも奴の肩を持つわけ⁉」
「ワシはだれの価値観も否定はしないんじゃ。それに、犯人として一番疑われていたのはワシじゃろうしな」
学園長の真っすぐにクルトを見据える目は完全に疑っていた。クルトにだけ質問を続けていたのも、カマをかけていたのではないだろうか。
「それも腹立つわね……‼ あんたは命がけで解除した側だっていうのに」
吊り橋効果という奴だろうか。クルトのために怒ってくれたニナに、滅入った心が少しだけ救われた。
「私も不満よー。あいつ私のことばっかり疑ってきて……」
ルイーサも肩を落としている。一応は見逃されたとはいえ、状況証拠がかなりそろっているので学園長はまだ疑っているだろう。
ルークも複雑そうにクルトを見ている。ルークは帝国人だが、それゆえに様々な思いがあるのだろう。
「というか、体育祭ってなによ。なんで犯人はそれを中止しようとしているの?」
「そういえばニナには説明していなかったのう」
この学園の体育祭は少し特殊だからわからなくて当然だ。
「簡単に言えば、体育祭を偽装した研究発表会なんじゃ」
「……どういうこと?」
「体育祭となれば地域から多くの人が集まるじゃろ? その場でワシらみたいな研究者が軍事研究成果をパフォーマンスを含めた発表をして、帝国の軍事力を見せつけるんじゃ」
「はあ⁉ そんなことやってたの⁉」
帝国は武力を誇示することで王国民の不満を押さえつけている。この体育祭は「王国民が反乱を起こしても帝国にはかなわない」というメッセージだ。
ただでさえこの学園の研究者は帝国の軍事力発展に貢献しているので後ろ指を指されがちなのに、それに加えて力の誇示の片棒を担がされるのは気分が悪い。
「ふざけんじゃないわよ! あたしはそんなのやらないわよ」
「やらないとクビじゃぞ。研究成果が基準に達しなくてもクビじゃ」
「厳しすぎない⁉」
ニナは青ざめた顔をしている。
「しかも体育祭は毎年あるからのう。一年で新たな成果を出せなければクビじゃ。毎年二人くらいは飛ばされるぞ」
「ひえ……」
「ハハハ、そんなにおびえなくてもワシらは安泰じゃ。何しろ体育祭に備えて提出していない研究成果のストックがあるからの」
「そうなんだよかった……って、あんたそんなセコイことしてんの?」
「だって、体育祭で発表できるのは軍事技術の中でも攻撃魔術や魔法に限られているんじゃ。好き好んで人殺しの技術を開発したいとは思わんじゃろ。ほどほどに手を抜かないと自分のやりたい研究をできないんじゃ」
「うーん」
釈然としない声でうなっている。
「ってことはあたしたちがやってる魔術と魔法の融合実験は発表できないのかしら。あれは攻撃魔術じゃないものね。今のところただ光るだけだわ」
「そうじゃのう。ワシらに求められているのは実用性だけじゃからな」
帝国の価値観に基づいて運営されているこの学園では、実用性こそが正義とされている。いくら新奇的な実験だとしても、体育祭では受け入れられないだろう。
幼少より芸術を――実用性のない無駄なものを尊いものとして見てきた王国民にとっては受け入れにくい考えだ。
「じゃああたしは何をすればいいのかしら」
「何もしなくていいじゃろう。一人で融合実験を進めておいてくれ」
「むう……」
クルトなりに気を遣って体育祭の準備をしなくていいと言ったつもりなのに、なぜか不満そうな顔をしている。
「あーダメだよークルト教授ー」
すると、突然ルイーサからダメ出しをもらった。
「何がダメなんじゃ?」
「それじゃニナちゃんが一人だけ仲間外れになっちゃうじゃーん。こんなにかわいい女の子を放っておくの?」
そう言ってニナの頭をなでている。あまりに馴れ馴れしい態度にニナも困惑しているようなそぶりを見せているが、その顔はまんざらでもなさそうだ。
「でもニナは魔法が専門だから、体育祭の研究に参加しても理解できないじゃろう? そのほうが辛くないかの? 自分の研究を進めた方がいいと思うんじゃが」
「わかってないねー。クルト教授は研究バカよ。女の子の心を何にもわかってないよー」
「そんな言われてものう……」
これまでほとんど同学年の女子と話してこなかったというのにわかるはずがない。最大限配慮してきたつもりだったが、不足していたらしい。
「女の子はね、どんな状況であろうと仲間外れがいっちばんダメなのよー。私たちが白熱して議論をしている間、ニナちゃんは部屋の隅にいろって言うの!」
「そうなのか?」
ルイーサの言い分に納得できなかったのでニナを見ると、顔を赤くして背けてしまった。仲間外れは嫌という幼稚な考えを看破されて恥ずかしかったのだろう。
ニナは孤独に耐えられる人だと勝手に思い込んでいたので、意外だった。
「じゃあニナは何をするんじゃ? 体育祭まであと一か月を切っているのじゃぞ」
「それを考えるのがクルト教授の役目でしょー」
「無責任じゃのう……」
クルトはしぶしぶ考え込む。
「ニナはなにか体育祭で発表できそうな魔法はあるのかの?」
「うーん、色々あるけど、未発表の中では『閃光弾』が一番向いてそうね。殺傷性が低いから観客の前でパフォーマンスをしても比較的安全だわ。……まだ完成していないけど」
「体育祭までに仕上げられるか?」
「安全性を確かめるのが難しいってだけだから、そこに目をつぶれば平気よ。短い時間のパフォーマンスに耐えうる程度ならギリギリ間に合うと思うわ」
「ならばそれをなんとか発表に組み込んでみるかの。例えば……そうじゃなあ……」
考えてみるも咄嗟には思いつかない。クルトの研究室は魔術を専門にしているので、違和感なくニナを出すのは難しいのだ。
それに、密かに考えているパフォーマンスの条件を満たさなければならない。
「ニナちゃんとクルト教授の模擬戦はどうかなー? クルト教授は誘導弾の良さを実践的に伝えられるし、ニナちゃんの活躍もできるよー」
この案は工夫次第で条件を満たせそうだ。
「いいアイデアじゃな。ニナもそれでいいかの?」
「え、ええ。問題ないわ」
少しどもったのが気になったが、本人が大丈夫と言うならいいのだろう。
× × ×
そうして体育祭の話し合いを進めていき、休憩になったころだった。
「ニナちゃん、一緒に飲み物を買いに行かない?」
「は、はい!」
ルイーサの誘いで外に出ることになった。
研究室を出て二人は長い廊下を歩く。
「それでニナちゃん、この研究室ではうまくやっていけそー?」
優しい笑みを浮かべて訊いてきた。新参者であるニナを気遣ってくれたのだろう。前の研究室では疎外されていたので、それだけで胸の奥が温かくなる。
「はい。クルト以外はみなさんすごく優しそうで……」
ルイーサは苦笑した。
「まあ、クルト教授も悪気はないんだけどねー。女の子がやってきて照れてるだけだよー」
「でも会っていきなりセクハラはありえなくないですか⁉」
「そうだねー。でも、今日の二人はすごく仲がよさそうだったけどなー」
からかうように言ってきたが、全く身に覚えがない。
「いやいやいやいや。確かに根っからの悪い奴じゃないとは思いますけど、仲がいいわけじゃないですよ」
マヤを本気で大切にしている態度や、命を懸けて爆弾解除をする姿を見れば、クルトが良い人というのはわかる。しかし、セクハラをされた相手と仲良くできるほどニナの心は広くなかった。
「でもニナちゃん、クルト教授にだけ敬語じゃないし、緊張もしてないのよねー。私と話しててもまだ緊張してるでしょ?」
「いやそれは……」
ニナの人見知りは『嫌われたくない』という思いから来ている。クルトと話せているのは、セクハラ野郎に遠慮をする必要がないので、その怯えがなくなるからだ。
「うらやましーなー。私だってニナちゃんといちゃいちゃしたーい!」
駄々をこねるように抱き着いてきた。
「る、ルイーサさん!」
スキンシップに慣れていないニナは混乱して目を回す。
あまりに困惑しているようだったので、ルイーサは渋々と離れた。
「あはは、まあそれは冗談としても、ニナちゃんと仲良くしたいってのは本当だよ? 私も数少ない女の子の友達が欲しいし。それに、色々相談できる人はいた方がいいでしょ? 例えば、体育祭のパフォーマンスについての不満、とか」
「え……? 気づいてたんですか……?」
「勘だけどねー。ニナちゃんが少し不安そうにしてたから、何かあるのかなーって思って」
表情に出したつもりはなかったのだが。ルイーサは本当によく人を見ている。
「不満と言っても大したことないですよ。だから口に出さなかったんですし」
「まあまあ、愚痴るだけでもおねーさんに言ってみなさいよ」
そう言われるとルイーサに対する警戒心が薄くなっていく。
嫌われるのが怖くて自己開示を避けてきたが、話していいかもと思えた。
「今度の体育祭に、前の研究室にいた同い年の友達――ジョアンナって言うんですけど、彼女が見に来るんですよ」
「友達? いが……じゃなくて、わざわざ見に来てくれるなんていい友達だねー」
「そうなると当然あたしの発表も見に来るんですが……クルトと模擬戦をするってなると失敗しないか不安になりまして……」
「あー、昔の友達にはいいところを見せたいもんねー。でも逆にチャンスじゃない? クルトとニナちゃんはみんなの前で発表できるんだから。私とルークなんか裏方だよ?」
「だからこそですよ。当日はお客さんもたくさん来るんですよね? 絶対緊張して失敗しますって……」
ネガティブ思考のニナには悪い考えばかりが浮かんできてしまう。これまでの失敗体験がさらに自信を無くさせていた。
「じゃあ、特訓しない?」
悶々と悩んでいると、ルイーサは微笑みながらそう言ってきた。
「特訓、ですか?」
「ニナちゃんは誰かと戦う経験ってないでしょ? だからそれを克服して自信をつければいいんじゃないかな? 私でよければいくらでも付き合うよー」
「……」
すぐには答えられない。なぜここまで優しくしてくれるのかという疑問に加え、付き合わせてしまう申し訳なさが湧いてきたのだ。
「……いえ、そこまでは申し訳ないです。これはあたしの問題ですから……」
だから、本当はやりたかったのに、様々な感情が複雑に絡まりあって本音を打ち明けられなかった。
ルイーサもまさか拒否されるとは思っていなかったのだろう。戸惑ったような顔をしていたが、その後少しだけ残念そうな顔をして。
「わかったー。でも、困ったときはいつでも言ってくれていいからね!」
と、フォローしてくれた。
家に帰ってからニナはずっと憂鬱だった。
「おねーちゃん、どうかしたー?」
「ん? なんでもないよ。それよりかゆいところはありますかー」
「ないでーす!」
夕食後、クルトに頼まれて昨日と同じようにマヤと風呂に入っていた。小さな頭を流してやると嬉しそうな声をあげてはしゃいでいる。無邪気さにほっこりする一方、その笑い声の中にどこか遠慮が含まれているような気がしてくる。
まだこの家にやってきて二日。当たり前だが、家に帰ってきても落ち着けない。マヤとの距離感もいまいちつかめないし、クルトに対しての警戒心もある。そもそも、だれかと同居するのがここ三年ほどなかった。どう振舞えばいいのかわからない。
ただでさえ色んなことがあった一日なのだ。家でくらいゆっくり休みたいのに……。
マヤの頭を洗い終え、二人して湯船につかる。一人暮らし用の風呂なので窮屈だが、マヤ一人で入らせるには広すぎるようにも思えた。
「あのね、マヤね、せんせいにえをほめられたの! てんさいだっていわれた!」
マヤは学園の初等部に通っている。昨日から話を聞く限り毎日楽しいようだ。
「すごーい。将来はアーティストだ」
「うーん、でもねー、マヤはけんきゅーしゃになりたいの」
「研究者? なんで?」
芸術を重んじる王国ではアーティストこそが人生の花形だ。研究者になりたいなんて言う子供はまず見かけない。
「クルトはてんさいなんでしょー? だからマヤもけんきゅーしゃがいいの。いっしょにけんきゅーするの」
嬉しそうに語っている。自慢の兄(?)なのだろう。
思わず頭をなでてしまった。
「そうね、マヤちゃんならきっとなれるわよ」
「むふふー」
「さ、最後に十だけ数えてあがりましょっか。早くしないとのぼせちゃうわ」
「うん、あとでえをみせてあげるね」
そうして風呂を上がり、体をふいてやる。
寝巻を着てリビングに戻ると、ソファに座るクルトはぼーっとしていた。
「お風呂あがったわよ……って、そういえばあんたは入らないんだったわね」
「む、あがったのか。ちょっとこれからの予定を考えていての」
クルトは立ち上がってため息をつく。
「予定? そんなのただ研究を進めるだけじゃないの?」
「そうなんじゃが、爆破事件の調査もしなければならない。体育祭のパフォーマンスも、お前さんとの共同実験もある。そう考えるとあまり時間がない気がしての」
「ああそっか。これから大分忙しくなるわね」
それに加えてクルトとニナは教師なので体育祭の準備もしなくてはならない。これから一か月はハードスケジュールだ。
「クルト、いそがしーの?」
二人で話していると、マヤが不安そうな声で言った。
「うむ、体育祭までは家に帰れない日も多くなるかもしれない。ワシらが帰ってこなくても、九時には寝るんじゃぞ。ご飯は食堂の配給か、それがない日はキッチンの棚にある缶詰を食べておけ」
「うん……」
風呂場での明るい笑顔はすぐに消えてしまった。それを見たクルトも気まずそうに目をそらしている。
(マヤちゃん、缶詰なんて知ってるのね)
缶詰は戦争用に開発された携帯食料だ。栄養価は高く、保存もきき、料理の手間も必要ない。だが一般家庭に普及していないことが示すように、味の方はひどいものだ。とても六歳に食べさせていいものじゃない。
空気が重くなる。居心地の悪くなり逃げ出したくなったが、すがるようにニナの腰をつかむ小さな手に気づいてしまった。
「マヤちゃん……?」
「あ、ご、ごめんなさい……」
マヤは慌てて手を放す。無意識のうちに掴んでいたといった感じだ。
クルトに迷惑をかけないよう節々に気遣いをしているマヤだが、寂しいという気持ちに嘘はつけないのだろう。
「ごめんね、マヤちゃん。あたしもできるだけ帰ってくるから」
「うん……わかった」
うつむくマヤに気の利いた言葉をかけてやれない。
重苦しい空気は肌をチクチク刺すようで、ニナはまったく心が休まらなかった。
予想通り、翌日からは苛烈な忙しさだった。
体育祭の準備期間に入り、講義が終わってからの教員は毎日準備を手伝わなければならない。研究室リーダーのクルトが若いというのもあり、様々な雑用を押し付けられて自分の研究を進められないのだ。与えられた仕事を終えて研究に取り掛かれるのは日が暮れてから。ニナもクルトも家に帰っている時間はほとんどなかった。
「あーもー‼ なんで若いって理由だけであいつらはあたしたちに押し付けてくるのよ!」
「ふふふ、あやつらはワシの才能に嫉妬しておるんじゃ。ワシがあまりにも天才すぎてニナにも迷惑をかけるのう」
「飾り付け手伝ってあげないわよ?」
「調子に乗ってすまなかったのじゃ」
教授が若いというだけで舐められ、飾り付けなんかの面倒な仕事を押し付けられる。人間関係のわずらわしさはこの大学でも変わらないらしい。
それでも最初の一週間は深夜に帰れたのでマシな方だ。校内の安全が確認され、講義が本格的に再開してからはそんな暇すらなくなってしまった。
日が暮れるまでは講義があり、それから体育祭の準備と自分の研究があるのだ。家に帰る暇どころか研究室で眠る時間すらない。
連日の疲れとマヤへの心配でニナの心は疲弊していった。
「マヤちゃん、ちゃんとご飯食べてるかしら……」
深夜の研究室にて、レポートを書きながらニナはそっとつぶやいた。
ニナの仕事は閃光弾の最終調節である。が、何度実験を繰り返してもあと一歩のところでうまくいかず、中々進んでいなかった。今日も失敗記録と考察を書いていくだけだ。
「マヤはああ見えてしっかりしておる。何とかなっているじゃろう」
クルトもちょうど集中力が切れたのか、書いていた石版から目を離して天を仰ぐ。どうやら誘導弾魔術の最終調整を行っているらしい。
「でも小学生に缶詰はなかなか厳しいわよね。あれ、大人でも食べられない不味さだもの」
「基本的には寮の一階の食堂で食べるじゃろ。心配ならお前さんは帰ってもいいぞ。さすがに責任者のワシは帰れんが、ニナが一日くらい休んでも文句は言われんじゃろ」
「……研究が進んでいないあたしが帰ってもそれは逃げているだけだわ。あたしは自分のできることをして、当日にマヤちゃんを喜ばせるのが一番よ」
正論である。だがその実、ニナの言葉はすべて言い訳だった。
料理のできない自分が帰っても仕方がない。目の前のうまくいかない研究から逃げてはいけない。そんな合理的な判断をしているふりをして、マヤから逃げているだけだった。
別にマヤのことが嫌いなわけじゃない。とても素直でいい子だし、ニナのことも素直に慕ってくれている。
しかし、初対面からいきなり同じ家で過ごせと言われても、人との距離感がつかめないニナにはどう接していいかわからないのだ。マヤもそんなニナの葛藤を見透かしているのか遠慮する節がある。この三週間、それが積み重なって妙な気まずさが生まれていた。
(クルトに対しては遠慮なんかいらないのにね)
研究室の中でも、人柄のつかめないルークにはどう接していいのかわからないし、ルイーサにも特訓の提案を断ったのでどう話せばいいのかわからない。二人とも優しくて気を遣ってくれているのは伝わってくるのだが……。
なにしろ前の研究室ではいじめられていたのだ。またあの悲劇が繰り返さないかと不安になってどうしても一歩引いてしまう。彼らがそんなことをしないのは初対面の印象からわかるのに。
家でも研究室でも気まずいのなら、せめて遠慮なく話せるクルトがいる方がマシという結論を出した。
「はあ……マヤちゃんは研究者になりたいって言ってたけど、絶対やめた方が良いわね。ロクな仕事じゃないわ」
言い訳のように帰れない理由を仕事のせいにする。
「そんなことを言っておったのか? てっきりマヤは画家になると思っていたぞ」
「あたしもそう思ったんだけどね。あんたに憧れてるらしいわよ」
「…………そうか」
クルトは目を伏せる。もう少し喜ぶかと思っていたが、なぜか考え込むような表情をしている。
「そんな落ち込んでどうしたのよ。あんたらしくないわね」
「いや、もしマヤが研究者になったらと想像しての。もちろんマヤは天才だろうし、それがいい方向に傾いてくれればいいのじゃが。……才能は、人の運命を狂わせるからな」
「あんたが心配することじゃないわよ。マヤちゃんの将来はマヤちゃんが決めるんだから」
「そうじゃの」
クルトも疲れているのか元気がない。
「ま、あたしたちは今できることをやりましょう。実験を成功させて、爆破予告犯を捕まえてマヤちゃんが安心して体育祭を楽しめるのが一番よ」
ニナは自分にそう言い聞かせる。
結局、体育祭本番まで二人が家に帰ることはなかった。
× × ×
体育祭前夜、オスカー・ハイデガーは一人校内を歩いていた。
準備で忙しくしているスタッフや教員、実行委員の学生の間をぬってグラウンドへと向かう。その誰もが彼に対して特別な関心を向けることはない。明日の戦場となるであろう場所に悠々と入っていく。
この学園は小中あわせて一つ、高校大学あわせて一つのグランドが設置されている。しかし生徒数に対して二つではあまりに狭い。
グラウンドを囲むようにテントが設置されているが、学生と来客を合わせればとても足りないだろう。明日の人混みは避けられない。
「帝国め……」
この学園は『戦争孤児管理法』に基づき、学習できない子供を救うという名目で帝国によって設立されたが、本命である大学の研究室以外に対してほとんど金はかけられていない。杜撰な教育体制が見て取れるというものだ。
しかし彼は王国を裏切った身である。『戦争孤児管理法』だって、帝国の内部で大きな発言権を持っていた彼が強行した政策だ。学園長を責められる立場ではない。
犯した罪を噛みしめるように、彼は飾り付けられたグラウンドをじっと見つめていた。
その時、ふいに近づく足音が聞こえた。
「ルークか」
ルークはオスカー・ハイデガーのただならぬ空気を感じ取ったらしく、一気に顔が引き締まる。
「こんなところで何をされているのです?」
「眺めていただけだ。勝負は明日だからな」
「……気持ちはわかりますがあまり思いつめすぎず」
「わかっている」
オスカー・ハイデガーは踵を返す。
すたすたと歩いて行く彼の背中は哀愁に満ちていた。
× × ×